第36話 龍神【前編】
天上界の神たちは、魔界の龍の生息地で発生した不穏な動きを静かに察知していた。
しかし、すぐさま神の遣いであるゴンへ伝達を下すことはせず、ただ淡々と、しかし鋭い眼光をもってその動向を監視し続けていた。地上の小さな動きが、やがて大きな運命の歯車を回すことになることとはつゆ知らず、それを神々は上空から見下ろしていた。
◇◆◇
「キャーッ!」
魔界の宮殿の厳かな空気を切り裂くように、甲高い悲鳴が響き渡った。
「何ごとだ。」
執務室で書類に目を通していた魔王ハオが顔を上げると同時に、慌てた様子の従者が扉を勢いよく開けて駆け込んできた。息を荒らげ、冷や汗を流している。
「きゅ、宮殿の上に、りゅ、龍がいます……!」
「な、なんだと……どういうことだ?」
「さぁ、わかりません! 暴れる様子はないのですが……東の生息地にどうやって返せばいいのか分からず、皆怯えております……。」
事態の深刻さを一瞬で察知したハオは、椅子から立ち上がると、従者を従えて宮殿の広場へと急ぎ足で向かった。
宮殿の正面広場へ出たハオが、眩しい魔界の空を仰ぎ見ると、威厳のある宮殿の屋根に、気高い前足をかけた一匹の白龍が静かに佇んでいた。その神々しい姿は、周囲の魔界の者たちが気圧されるほどの、十分な迫力を放っていた。
ハオは深く息を吸い込んで心を落ち着かせ、白龍へと直接テレパシーを飛ばした。
――《東の生息地に何かあったのか?》
白龍は神々しい金色の眼光をこちらへと向け、重厚な声をハオの頭に直接返してきた。
――《魔王か。西のドラゴンが東に侵入してきた。我が子である卵を奪われたのだ。取り戻してくれ……。》
――《なんだと……西のドラゴンが、真裏にある龍の生息地に侵入しただと……。》
――《白い卵に見えて、シルバーのように光り輝く卵だ。どうか、取り戻して来てくれ。》
――《ドラゴンの生息地のどこを探せばいい。》
――《魔王の孫に龍神がいるだろ……あれなら探し出せるはずだ。》
――《孫?……龍神?……龍輝のことか?》
――《あぁ、そうだ。頼む。》
――《ここにいては魔界人が怯える。東の生息地で待っていてくれ!》
――《わかった。》
白龍は魔王ハオにそう告げると、宮殿の上空を優雅に数回旋回し、東の生息地へ向けて大空を縫うように力強く帰っていった。
執務室に戻ったハオは、すぐさま義理の息子である時期魔王候補のシンへと緊急のメッセージを送った。
一華の衣装チェンジの魔力で魔界の服に着替えたシンは、執務室の前へと瞬時にテレポートし、ノックののちに部屋へと入った。
シンに長椅子に腰掛けるよう促し、ハオは一拍おいてから重い口を開いた。
「……先ほど、東の龍がこの宮殿の上空まで来てな。西のドラゴンに奪われた卵を取り戻してほしいと懇願してきたのだ。」
シンは微動だにせず、静かに尋ねる。
「なぜ、西のドラゴンが真裏に位置する東の龍の生息地に現れたのでしょうか?」
ハオも苦渋の顔で白龍の言葉を伝える。
「それはわからん。卵の色は、一見すると白だが、シルバーのように光り輝くものだそうだ。」
「……そう言われましても、西のドラゴンが自分たちの棲みかのどこかに隠し持っているのであれば、探し出すのは容易ではありません……。」
「それが、その白龍が言うには、儂の孫に『龍神』がいると言うのだ。それなら探し出せるというが……。」
「……」
「龍輝のことだと言う。頼めるか?」
「白龍が、龍輝のことを『龍神』と言ったのですか?」
「あぁ、そうだ。」
「……そのことについて、お話しておきたいことがあります。できれば今すぐ『シン華の家』へお越しいただくことは可能でしょうか? 義母上もご一緒に。」
「構わないが……。」
こうして三人はその場で、人間界にある『シン華の家』へとテレポートした。
◇◆◇
接続ゲートの部屋からリビングへと足を踏み入れた三人を見て、龍輝は遊んでいたおもちゃのブロックを手から放し、満面の笑みでパタパタと駆け寄ってきた。
「じぃじー、ばぁばー!」
アーリンはすぐに立ち上がり、温かいお茶の準備をするためにキッチンへと向かった。
「パパ、ママ、どうしたの?」
一華が心配そうに尋ねる。ハオとアズサはソファに腰を下ろし、その間に龍輝をちょこんと座らせた。シンも一華の隣に並んで腰を下ろす。
シンは一華に向き直ると、ハオが白龍から受けた依頼の経緯をすべて詳細に説明した。
さらにハオとアズサに向き直り、今回の来訪の真の理由――かつての兄弟げんかの後、天上界の神々が魔王族には神の魂を生まれ変わらせるという神業を行ったこと、そして自分たちの魂がまさに『神の生まれ変わり』であるという衝撃の真実を明かした。
「兄弟げんか……あの兄と弟の件か?」
「はい。すでに私は生まれていましたが、まだ幼かったこともあり、一度魂を抜いて神の魂に入れ替えたそうです。」
「シンが……一度死んだと???……そんな神業、信じられぬ……。」
「私も最初は信じがたいことだと思っていました。……ですが、ゴンは私と一華しか知らないはずのことを口にしたのです。天上界からずっと見ていたと。」
「な、なんと……一部始終を知っていると言うのか……?」
「はい」
その時、我が子がお産箱のなかでぐっすり眠っていることを確認したゴンが、ソファのほうへとトコトコと歩いてきた。みんなからよく見えるテーブルの向こう側に、ちょこんと小さくお座りをする。
ハオは複雑な眼差しでゴンを見つめた。
「ゴンは、あの兄弟げんかの一部始終を見ていたと言うのか……天上界から……。」
「みゃみゃ……(ハオちゃまのお兄ちゃまがシンちゃまをさらったためにおきたことでちゅよね。お兄ちゃまは王妃を娶ることなんて考えてなくて、自身亡きあとは誰かが継げばいい程度に思っていまちた。でちゅが、側近にそそのかされて、シンちゃまを『次期魔王として魔王自身で教育すること』に考えを変えたようでちゅ。)」
「……あぁ、そうだ。兄は側近たちにそそのかされていた。兄が死ねば彼らの地位が揺らぐからだ。側近たちは自身の都合の良いようにシンを教育しようと企んだ……。」
「えっ、前教えてくれた時、パパはそんなこと言ってなかったよね?」
一華が目を丸くして驚き、シンを見る。ハオは静かに言葉を継いだ。
「側近にそそのかされようが、魔王自身で教育すると決め、実際に行動を起こしたのは兄だ。側近たちを処刑した後、幽閉されていた兄は後悔し、弁明してきた……。だが、弟は命を落とし、シンから両親を奪った原因は兄との争いに間違いない。弁明しようが後悔しようが、やってはいけないことに手を出した……兄は魔王としての眼力に欠けていたのだ。」
(……できるとしても、やってはいけないこと……以前、一華が言っていた言葉だ……。)
シンはかつての一華の言葉を思い出していた。
「みゃみゃ……(ハオちゃまは、自身を奮い立たせて『悲しい決断』をしたことを後悔しないように、お兄ちゃまを絶対悪として心に刻んだんでちゅ。)」
「……ゴンはそこまで分かっているのか……。」
「みゃみゃ……(天上界にいる神ちゃまには、すべてお見通しでちゅよ。)」
ゴンは誇らしげに、ふふんと微笑んだように見えた。その姿はどこか神聖ですらある。
「わかった! ゴンの言うことを、信じよう。」
「みゃみゃ……(ありがとうでちゅ!)」
「それで、龍輝は龍神の生まれ変わりで間違いないのか?」
ハオが、核心へと話を再び戻した。
「みゃみゃ……(わたちには、生まれ変わった魂が誰のものかはわかりまちぇん。わかっているのは神ちゃまの魂というだけでちゅ。)」
ここで、アズサが首をかしげながら口を挟んだ。
「和の国では、龍神様は『水の神』として雨を降らせたり、水害を防ぐ守護神として信仰されているけれど……龍ちゃんは、そんな魔力が覚醒しているのかしら?」
アズサが一華とシンに顔を向けて尋ねる。
「どうだろう……雨を降らせたことなんてないよねぇ……。」
「一華の機嫌が良い時の方が、晴れ渡る力の方が強いんじゃないかな?」
「でも、どうやって龍の卵を探すの?」
「実際に、西のドラゴンの生息地をしらみつぶしに探すしかなさそうだな……。」
「ゴンちゃん、天上界からはどこにあるか分からないかな?」
「みゃみゃ……(ちょっと、聞いてみまちょうか!?)」
その時、龍輝がパッと顔を輝かせた。あどけない笑顔の中に、底知れない光が宿る。
「ぼく、わかるよ!」
「よし、じゃあ今から行くぞ! サン、ペガサスに変身してくれ!」
シンの力強い呼びかけに、サンは瞬時にまばゆい光を放ち、優美な白いペガサスへと姿を変えた。シンと龍輝がその背中に跨ると、一瞬の閃光とともに魔界の西の境界地へとテレポートしていった。
二人を見送ったハオとアズサは、魔王城の執務室へと静かに戻っていった。




