第33話 渦巻き【後編】
渦巻きが収まり、奇妙な静けさが魔界を覆ってから数日が過ぎた。
初秋の澄んだ空気はどこか冷たく、しかし『シン華の家』のリビング兼ダイニングには、いつものように穏やかな時間が流れている。
テーブルには湯気を立てる温かいスープとパスタ、そして色鮮やかなサラダが並んでいる。
シンは龍輝の食事を見守り、一華は龍輝の食べこぼしを見ながら、今日の予定に思いを馳せていた。
レオナルド、アーリン、レイモンドもそれぞれの席につき、仕事の合間の平穏なひとときを楽しんでいる。
テレビからは、いつものお昼のワイドショー番組が流れていた。コメンテーターの淡々とした声が響く中、その平穏は突如として破られた。
「――ここで、臨時ニュースをお伝えします。」
アナウンサーの引き締まった声が、リビングの空気を一変させる。
画面が切り替わり映し出されたのは、映画のワンシーンを思わせる映像だった。
カチャ、と一華が持っていたフォークが皿の上で小さく音を立てる。
「……え?」
画面の向こうで、海中から上半身を悠然と突き出していたのは、紛れもなく大怪獣だった。黒光りする硬質な甲殻、真っ赤に光る不気味な眼。映画のCGにしては質感が生々しすぎるなとは思ったが一華は映画のワンシーンだと思っていた。
「……臨時ニュースで映画をPRしてるのかな?」
一華が首をかしげながらポツリと呟いた言葉に、シンが眉をひそめ、腕を組んだ。
「だが、映画のようなCG撮影っぽくないな。やけにリアルっぽい……質感が生々しすぎる。」
シンが冷静に分析し呟いたことは、一華も同じように思った事だったが振り返り疑問点を呟く。
「東国のVFX技術なら世界トップクラスだけど、それでもニュース番組の枠内でここまで大々的に流すのは不自然だよねぇ。でもさすが東国。光の反射や波飛沫の物理挙動が完璧だよ。」
(まさか……数日前、魔界で起きたあの巨大な渦巻きのせいで、あいつがこちらへ――?)
胸騒ぎがした。
シンは食事中のフォークをそっと皿に置き、無言で魔力を解放した。
おぼろげな光と共にダイニングテーブルの中央に、魔界と人間界の世界地図が現れた。シンはその二枚の世界地図を交互に見比べている。
数日前、魔界の海域で観測された、あの巨大な渦巻き。空間そのものが引き込まれそうな異様な状況。あの時、魔界で発生したエネルギーの座標を、人間界の世界地図に当てはめてみたのだ。
魔界の大地と人間界の大地は、完全に重なり合っているわけではない。次元の歪みや位相のズレがあるため、正確な位置を特定するのは容易ではなかった。しかし――。
(……もしかして、あの渦巻きの正体は、人間界に何かが転移したために発生していたのか……? 転移先として、魔界と人間界を繋ぐゲートが一時的に接続していたとしたらどうだろうか……?)
一華が覗く。
「シン、どうしたの? 世界地図なんか出して。」
「あの映像がリアルだとしたらと思ってな……。」
「ん? まさかぁ、人間界にあんな大怪獣がいるわけないよ。あれは映画の特撮とか、あるいは何かのドッキリ映像とか、そういう類いだって!」
一華は笑い飛ばそうとしたが、シンの真剣な眼差しを見て、その表情をわずかに引き締めた。
シンは二枚の世界地図で位置を示しながら説明する。
「俺もそう思いたいが……この前、魔界で発生した巨大な渦巻きを覚えているか? 渦巻が発生したのは魔界のここらへんだ。そして今まさに大怪獣が現れた海域はここだ。もし、あの渦の正体が、あの大怪獣が魔界の深海から人間界の深海へと転移した痕跡だとしたらどうだ?」
「えっ、魔界の生き物が人間界に……?」
一華の目が点になる。
「……そんなの、SFの読みすぎでしょ?」
シンは真剣な面持ちで腕を組み、理路整然と分析を始めた。
「あんな巨大な物体が魔界から消失したなら、その体積分の水や空間が移動したことになり、流体力学的な観点からも――魔界の海域に巨大な渦が巻くのも物理的にありえる話だ。」
そこに、ちょこちょこと小走りでゴンがやってきた。小さな体でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、二人の会話に割り込んでくる。
「ゴン、お前なら知っているか? 古代の『コロッスス』と呼ばれる魔海獣は、あんな姿をしているのか?」
ゴンは首をかしげ、小さな手をパタパタと動かした。
「みーみー……(わたちが見た古代の記録では、クジラのようなもっと流線型の形だったでちゅよ。あんなトゲトゲしくて怖い顔はしてまちぇん。)」
「なら、あのテレビの怪獣とは違うのか……?」
シンが険しい表情を深めると、ゴンは小さな唸り声をあげて真面目な顔に戻った。
「みーみー……(でちゅが、深海の奥底で独自に進化、あるいは変異しちゃなら、わたちにはわかりまちぇん。ちょれに、魔界から人間界へと通じる接続ゲートは、先日の冥王の件ですべて封鎖されたはずでちゅ。)」
「……つまり、この家にある常時接続ゲートを除けば、他のルートは存在しないということだな?」
ゴンはこくこくと小さく頷いた。
「みーみー……(そうでちゅよ。だから、あの怪獣は魔界から来たのではなく、元から人間界の深海に潜んでいた未知の生物と見るべきでちゅ。」
テレビの向こうでは、大怪獣が天を突くような咆哮をあげていた。
その轟音は、テレビを通じてリビングの空気をビリビリと震わせる。
「政府は臨時の災害警戒本部を設置!」
キャスターの悲鳴がリビングに響き渡るが、『シン華の家』でテレビを見つめる面々は冷静に話を続ける。
「だが……人間界の科学で、あんな大怪獣をどうにかできるのか?」
シンが険しい顔で腕を組む。一華が呆れたような、しかしどこか冷徹なトーンで呟く。
「いくらなんでも、最新の軍事ミサイルを集中砲火させれば、さすがに致命傷は与えられるでしょ。人間界の兵器も、バカにできない威力はあるんだから。」
「だが、一華。相手は生物だ。下手に最新のミサイルなどで中途半端に傷つければ、パニックを起こした大怪獣が沿岸都市へ上陸し、目撃者や犠牲者の数は数万人規模に膨れ上がるだろう。」
「そうだよねぇ……もし、魔界人が魔力を使うなら、どう戦う?」
シンは顎に手をあて考え込む。
「送電の魔力や、高熱の火炎魔力を限界までパワーアップさせて、一気に内部から焼き払う。」
「感電させるか、焼き尽くす、かぁ……。」
一華が苦笑する。
「一華なら浄化の魔力を使って、再び海底深くに眠らせることは出来そうだな。」
シンの言葉に、一華は深刻な表情に戻った。
「どちらにしても、人間界の軍や防衛隊が出動しても、あんな巨体を倒したり、刺激して暴れさせたら、……間違いなく、想像を絶する大津波が発生するはずだよね。」
リビングの空気がピリリと張り詰めた。
「……和の国までは、大津波は来ないだろう……。」
シンはどこか他人事のように呟いたが、内心ではこの島国に及ぶ影響を強く不安視していた。自分たちの暮らすこの土地は海に囲まれている。もし海域のどこかで海底の巨獣が暴れ、大津波が押し寄せてくれば、ひとたまりもない。
シンの呟きに一華は心配になり、スマートフォンで大怪獣が倒れた時の津波の影響を調べてみたのだが――一華の顔色が変わる。
「うわっ……! これ、冗談抜きでヤバいよ!」
一華が慌てて突き出したスマホの画面には、東国の南端からこちらへと広がる赤い警戒エリアが映し出されていた。予測を遥かに超える恐ろしいスピードで、巨大な津波のエネルギーが迫っている。
「――大地の南端の岬を回り込んで、この国にも直撃する予測が出てる! このままじゃ、海岸沿いの街が数分で飲み込まれちゃう……!」
一華の悲痛な叫びがリビングに響き渡る。
テレビの中では防衛隊のサイレンが鳴り響き、避難民のパニック映像がこれでもかと流れている。
シンも、引き締まった表情で腕を組んだ。
(これほどの大怪獣が最新兵器で刺激されれば、狂乱した津波エネルギーは何倍にも膨れ上がる。この島国の沿岸部など、数分で地図から消えかねん……!)
魔界の動乱が一段落したと思った矢先、今度は人間界の自然と未知の脅威が自分たちの生活圏に牙を剥こうとしている。
レオナルドやアーリンも、テレビの阿鼻叫喚の映像に、複雑な苦笑いを浮かべて重い息を吐いた。
テレビの向こうでは、大怪獣が再び海面を割り、咆哮をあげていた。
だが――そんな修羅場と化している外の世界とは裏腹に、『シン華の家』のリビングには、龍輝とレイモンドがパスタのソースを口の周りにベッタリつけながら、ケラケラと笑ってフォークとスプーンをカチャカチャと鳴らしていた。
(まあ、いざとなれば魔力でシンが何とかするだろうし、深刻になりすぎても仕方ないか……。)
一華がフッと現実逃避するように肩の力を抜く。
「……のんびりテレビを見ている場合じゃないってことか。」
張り詰めたリビングの空気を断ち切るように、シンが静かに呟いた――その時。
「僕がやるー!」
ぱっと元気よく挙げられた龍輝の手と無邪気な声が、世界を揺るがす大怪獣パニックのまっただなかにあったリビングの空気を、一瞬にしていつものシュールな日常へと引き戻したのだった。
「ん? 何をするんだ?」
全員の目が龍輝の顔を一斉に見つめる。
「猫ちゃんに変身させるのー!」
「そうだね。龍ちゃんの変身の魔力なら一番の最善策だよー!」
一華が激しく同意する。
「だが……余計な血筋は増やしたくない。」
シンはサンとゴンを見つめて呟いた。
ゴンはサンの子を産むためにシンの元へと流れてきたのだ。
シンが眉をひそめる。
「……大怪獣を猫に変身させたならオスであれメスであれ、我が家に変な血筋が増えることになりかねん。」
「じゃぁ、私たちでその猫を飼うと言うのはどうでしょうか?」
レオナルドがアーリンと顔を見合わせたあと、提案してきた。
「……お前たちには、いずれ、サンとゴンの子を譲りたいと思っている。」
「じゃぁ、パンダとかは?」
一華が面白がって提案してきた。
「さすがに個人で飼える動物じゃないぞ。」
「では、ウサギやハムスターはどうでしょうか? チンチラも可愛いですよ。」
アーリンが上品に微笑みながら提案する。
「あぁ、それならいかにもペットらしいし、人間界でも餌の入手に困らないな。」
シンが納得し、龍輝も「僕、ウサギがいい!」と元気よく頷いた。
「決まったなら、さっそく、救い出しに行くぞ!」
シンは大怪獣が撃破される前にウサギへ変身させるために急いだ。
昼食を済ませたシンは、龍輝をベビーキャリアで抱き上げ、真っ白なペガサスに変身したサンに跨ってテレビの海域上空へとテレポートした。
◇◆◇
カメラに撮影されないようシンの隠蔽の魔力で姿を隠しつつ、大怪獣の姿を捉える。
「龍輝、いくぞ!」
龍輝が変身の魔力を解放した瞬間、シンも隠蔽の魔力を大怪獣に向けて放った。
テレビカメラの前から大怪獣の姿が消え、龍輝の胸元にはあんなに巨大だった怪獣が、手のひらに乗るほどのふかふかなタレ耳ウサギに縮小されて抱かれていた。龍輝は変身と同時にウサギを胸元へとテレポートさせていたのだ。
「よし、帰るぞ!」
シンは東国の偵察機やメディアたちが「怪獣が消えた!?」とパニックに陥る声を背に、『シン華の家』のリビングへと戻ってきた。
◇◆◇
『シン華の家』へと戻ってきたシンと龍輝、そしてサン。
サンは、直ちに元の姿の黒猫へと戻り、シンはベビーキャリアから龍輝を下ろす。
「可愛いー!」
龍輝が抱くタレ耳うさぎを見た一華が声をあげる。
ウサギをリビングにおろすと、ちょこん座る姿に、一華たちは「うわぁ、本当に手のひらサイズになっちゃった!」と目を見張った。
龍輝はサンとゴンに向けて、「お友達だよー」と見せる。
「にゃにゃ……(大怪獣に戻らにゃいにゃんか?)」
サンの問いかけに龍輝は小首を傾げる。
「うーん?」
「みーみー……(一華ちゃま、うさぎちゃんになっても、中身はあの凶暴な大怪獣のままでちゅよ! 人間界のニンジンとかを食べるどころか、わたちたちまで餌になっちゃいまちゅ。うっかり家も破壊しちゃわないように、しっかり浄化しちぇくだちゃいな!)」
ゴンがぴょんぴょん跳ねながら注意を促す。
「そうだね、一応念のため!」
一華は納得し、月のモチーフがついたステッキを大きく振りかざした。
「大怪獣としての荒ぶる闘争本能も、深海の暗い記憶も、ぜーんぶ綺麗に洗い流しちゃえ! これからはウサギとして穏やかに生きるためのデトックス・マジック、ピュリファイ、ピュリファイ、ラララララ、フロールナ・パワー!」
一華のステッキから放たれた淡い光の粒子がタレ耳ウサギを包み込むと、ウサギは小さく「きゅぁ……」と愛らしい鳴き声をあげ、すっかり腑抜け……もとい、完全に無害な草食動物の穏やかな目つきに変わった。
「よし! ウサギの名前はどうするんだ?」
「……かいじゅうのカイちゃん!」
「怪獣のカイちゃんか!?」
龍輝は満面の笑顔で頷く。タレ耳ウサギのカイは、鼻をひくひくさせて周辺のにおいを嗅いでいる。
シンはさっそくウサギ用のケージや餌を買いに、ペットショップへと車を走らせた。
一方、テレビ画面からは大怪獣の姿が消え、世間が『大怪獣消失事件』に大騒ぎする中、ニュースは穏やかな日常の放送へと戻っていったのだった。




