第31話 ゴンとの攻防
日曜日の昼下がり、いつものように穏やかな空気が流れていたリビングに、ゴンの澄んだ、けれどどこか緊張を帯びた声が響いた。
「みーみー……(シンちゃま、一華ちゃま、魔界で大噴火したようでちゅよ。)」
ソファでくつろいでいたシンは、新聞からふと視線を上げてゴンを見た。隣でルイボスティを飲んでいた一華も、カップを持ったまま動きを止める。
「ん? 大噴火?」
「みーみー……(はい。火山が大噴火したでちゅ。神ちゃまが教えてくれまちた。)」
「配送担当者たちや義父上からは、何も言って来てないぞ。」と、シンは眉根を寄せる。
「みーみー……(魔界人が住んでいるのとは反対側でちゅ。魔獣が棲んでいる、誰も近寄らない場所でちゅ。)」
「不可侵領域での大噴火……俺にどうしろと言うのだ?」
「みーみー……(どうちまちょ。魔獣たちが焼け焦げてしまいまちゅ。)」
「だから、魔王と言えども立ち入れない領域でどうやって助けろと言うのだ……。」
シンは呆れたように息を吐き出す。しかし、隣の一華は心配そうな顔で腕を組んだ。
「みーみー……(隠蔽の魔力で立ち入れまちゅ。テレポートさせれば助けられまちゅよ。)」
「生きていれば逃げ出すことぐらいできるだろ。それに、よそ者がいきなりテレポートされてきたら、他の幻獣たちに襲われるだろ。」
シンが冷静に指摘する。
「みーみー……(そうでちゅね……。どうちまちょ。)」
「どこかに避難場所は確保できないの? 領地と領地の間には境界地があるように、誰も縄張りにしていないところ。噴火が来たとなると餌の確保が困っちゃうでしょ?」
一華が熱心に提案する。
「領地の境界地といえども、魔界人の領域に幻獣などをテレポートさせてくるのは義父上の許可がいるし、魔界人が襲われるか、逆に幻獣が襲われかねないぞ。」
「みーみー……?(真裏側の噴火にゃんで、南北へ逃げてまちゅ。でも、そっちは環境が著しく異なってちまうので、出来れば東西へ逃げてほしいのでちゅが……東はドラゴン、西は龍の生息地でちゅ。共存できまちぇんか?)」
「いやいやいや、ドラゴンたちの餌は小動物だろ。自ら食われに行くとは思えないが……。」
「みーみー……(じゃぁ、ドラゴンと龍の生息地との境界地の森なら大丈夫でちゅよね。)」
「まぁ、そこなら不可侵だからな。ただし、魔界人は立ち入って狩猟を行っているぞ。しかも、面積からして相当狭くなるが……。」
「みーみー……(うーん、むぢゅかちいでちゅね……。)」
ゴンが頭を悩ませる。そこへ、シンが静かに告げた。
「これも自然の摂理として受け入れるしかないのではないか? ただの地震なら再生させればいいが、大噴火となれば大地は焼け尽くされ荒れ地となる。草木が生えだすのは何百年もの時間が必要であろう。流れ出た溶岩が内部まで冷え固まるまでに数年以上かかるのではないか?」
「みーみー……(とりあえず、溶岩が広まらないように冷却してくだちゃい。)」
「あぁ、そういうことなら可能だが……。」
一華がスマートフォンを手に取り、検索画面を素早く操作して火山災害や対策の情報を調べ始めた。
「人間界では二十四時間体制で、溶岩の先端へ大量の放水をし続けたことがあったみたいだよ。テレポートして水を掛け続けるとなると魔力の隙間がでてくるし、二十四時間なんて私たちだけじゃ無理だよ。しかも、それが何か月も続くって……。」
「結局、自然の前に俺たちは指を咥えて待つしかないということだな。」
「むしろ、神様たちなら抑え込められるんじゃないの? 魔界の大地を作ったのは神様たちなんでしょ?」
一華は、かつて龍輝に聞かせていた魔界創造の昔話を思い出していた。
「みーみー……(シンちゃまと一華ちゃま、そして龍輝ちゃまは神様と同等でちゅ。なら、できまちゅよね。)」
「そうくるか……。」
シンは苦笑する。
「龍ちゃんなら、前の地震の時みたいに元に戻せるよね?」
「再生の魔力か!」
「龍ちゃん、大噴火のあと、再生の魔力で元に戻せられる?」
一華が床で遊んでいた龍輝に声をかけると、龍輝は首をかしげた。
「?」
龍輝はまだ幼く、『大噴火』という言葉が具体的にどういう状態を表しているのか理解できていないのだ。小首を傾げるその姿は愛らしいが、事態は一刻を争う。
「とりあえず、実際に見てみるか……。」
「みーみー……(ささ、早く行きまちょ!)」
「ゴンも行くよな?」
ゴンはまーるい目をさらに大きく見開いて、少しだけしっぽを揺らした。
「みーみー……(も、もちろんでちゅよ……!)」
一華はすくすくと成長して少し重くなった龍輝をベビーキャリアで抱きあげようとしたが、妊娠中の一華を気遣い、その前にシンがヒョイと龍輝を取り上げた。
「俺が龍輝を抱っこするから、一華はゴンを抱えてくれ。」
「わかった!」
「サン、ペガサスに変身してくれ。」
「みーみー……(わたちも立派なペガサスに変身しまちゅ! 一華ちゃまはわたちの背中に乗ってくだちゃい。)」
「えっ? 私、乗馬できないよ!」
「みーみー……(大丈夫でちゅ。わたちがバランスとりまちゅ。手綱さえ持ってれば落っこちないでちゅ。)」
その言葉の直後、サンとゴンの体は眩い光に包まれ、その場で真っ白いペガサスへと変身した。ゴンはサンに比べて少し小ぶりだが、気品のある美しい姿だ。
一華はゴンに、シンと龍輝はサンに分かれてそれぞれに跨る。シンが自身の強力な隠蔽と結界の魔力を解放すると、世界が音もなく歪み、一瞬にして大噴火している魔界の現地へとテレポートする。
「うわぁっ……!」
一華は、後ろでいつも支えてくれていたシンがいなくなり、ペガサスが急に動いた際にバランスを崩しそうになったが、ゴンがすかさず尻尾で一華の背中を支えてくれた。
「一華、大丈夫か?」
シンの声が結界越しに届く。
「うん……なんとか!」
一同の目に飛び込んできたのは、地球の終わりをも思わせるような自然の脅威だった。
赤々と煮えたぎるマグマが地表を割り、ドロドロとした溶岩が轟音を立てて周囲の森を飲み込んでいく。空はもうもうと立ち込める黒煙と火山灰で真昼とは思えないほど薄暗い。
空間そのものが歪むほどの凄まじい熱波と、鼻をつくような強烈な硫黄の匂いが辺りに立ち込めているという過酷な環境であるはずが、強固な結界の魔力のおかげで、まるで安全な場所からモニターを見ているかのように鮮明に捉えられた。
龍輝の目は大きく見開かれ、息を呑んでいた。生まれて初めて見る、圧倒的な破壊の現象だ。周辺の幻獣たちはすでに恐怖に駆られて遠くへ逃げ出しており、生き物の気配は消えていた。
「龍輝、これが噴火と言うものだ。地中深くに溜まっているマグマや溶岩が、火口から地上に勢いよく吹き出す現象のことだ。これを収めて元の大地へと戻していくんだが……できるか?」
シンが我が子に優しく語りかける。
龍輝はゆっくりと振り返り、シンの真剣な顔を見つめた後、小さく「うん、うん」と力強く頷いた。
「よし、行くぞ。」
龍輝が小さな両手を前に突き出し、その全身から眩い再生の魔力を解放する。
それに呼応するように、シンもまた神域の魔力を解き放った。一華も自身の持つ魔力パワーを重ね合わせ、三人の光がひとつに重なり合う。
その瞬間、世界から喧騒が消え去った。
次から次へと地表を覆い尽くさんとしていた溶岩は、まるで時間を巻き戻すかのように勢いを失っていく。火口から吹き上がり続けていた火山灰もピタリと止まり、これ以上外へと飛び出すことはなくなった。
ドロドロに赤かった溶岩は急速に熱を失い、その場で黒く硬い岩肌へと変わっていく。
しかし、三人の魔力はそこで終わらない。さらに魔力を強め、マグマと溶岩に焼き尽くされ、灰と化した大地へと注ぎ込んだ。
荒れ果てた黒い大地は、まるで逆再生の映像を見せられているかのように、瞬く間に元の深い緑に覆われた美しい森へと回復していく。死の世界が、一瞬にして豊かな生命の息吹を取り戻したのだ。
だが、地表をすでに流れ出てしまっていた大量の溶岩を、そのまま元に戻してしまうと再び熱がこもり、再噴火を引き起こす懸念があった。
「ここにある分は、一度リセットしておこう。」
シンは冷静に判断すると、まだ火口に残っているマグマも含めて、一網打尽に巨大なテレポートの魔力を展開した。行き先は、魔界の深海深く――生物さえも棲みつくことができない魔力で隔離された特別な海域だ。
音もなく、地表にあふれていた溶岩の塊が次々と深海へと転移され、一瞬にして冷却されていく。
(これで、次の噴火までは十分すぎるほどの時間を稼げただろう。)
すべての異変が鎮まった静寂の中、シンが小さく息をつく。
「収まったな。」
「みーみー……(はい。もう大丈夫でちゅ。すごいでちゅ! 帰りまちょ。)」
ゴンの安心しきった声を聞き、一華も「ふうっ」と肩の力を抜いた。
ゴンの合図とともに、再び空間が揺らぎ、見慣れた『シン華の家』のリビングへと全員が戻ってきた。
サンとゴンはペガサスから元の愛らしい猫の姿に戻る。
「ふうーっ……びっくりしたけど、なんとかなってよかった……。」
一華はソファにどっと倒れ込むように腰を下ろす。シンも龍輝を優しく下ろし、同じようにソファに座った。
「よくやったな、龍輝。お前のおかげで森も動物たちも助かったぞ。」
シンが愛おしそうに息子の頭をなでると、一華もふっと柔らかい笑みを浮かべてその頬を撫でた。
「龍ちゃん、すごかったね!かっこよかったよ。」
褒められた龍輝は、少し照れくさそうにはにかみながら、胸をトンと小さく叩いて「ぼく、がんばった!」と言わんばかりに誇らしげな笑みを浮かべてみせる。その無邪気な子供らしい仕草に、二人は自然と目を細める。
「みーみー……(おちゅかれちゃまでちた! 神ちゃまには、ちゃんと解決したって報告しておきまちゅね。)」
サンとゴンはパタパタと一華の足元に駆け寄ってすりすりと甘えてくる。
そんな愛らしいペットの様子を見ながら、一華とシンは顔を見合わせ、どちらともなく苦笑交じりの何とも言えない表情を浮かべるのだった。
二人にご褒美のおやつを与え、日曜日の平穏な午後は、こうして少しだけ慌ただしく、しかし温かい結末を迎えたのだった。




