第29話 ゴンの告白
一仕事の終えた午後のティータイム。
心地よい静寂に包まれた空間の中、一華、シン、龍輝、レオナルド、アーリン、レイモンドの六人は、ソファに腰を下ろし、優雅なティータイムを満喫していた。
淹れたての珈琲から立ち上る芳醇な香りがリビングに広がり、疲れた身体を内側から優しく解きほぐしていく。龍輝とレイモンドは果汁100%のリンゴジュースを、一華は妊娠中のアーリンに付き合い、あたたかなルイボスティーを口に含んだ。
「ふう、この時間が一番落ち着くー。」
一華がカップをソーサーに置き、ふっと息をついた。それはまさに、穏やかで平和な日常のひとコマだった。
だが、その平穏は、思いがけない訪問者によって唐突に破られることになる。
「みーみー」
透き通るような高い鳴き声が、リビングの空気を揺らした。一同が視線を向けた先、全員から一番よく見えるテレビの正面に、真っ白い子猫のゴンがちょこんと行儀よくお座りをしていた。
「どうしたの? ごんちゃん。そんなところで。」
一華が首をかしげながら声をかけると、ゴンは凛と胸を張る。
「みーみー……(わたちがここにきた理由をおはなちいたちまちゅ。)」
耳を疑うような言葉だった。突如として魔界語を、しかも幼児のようなたどたどしい発音で話し出したゴンに、六人の手がぴたりと止まる。ティーカップを持つ手を止め、リビングの時間が凍りついたかのように静まり返った。
「みーみー……(わたち、神ちゃまに送りこまれてきまちた。)」
「神様……?」
シンの低く響く声には、隠しきれない警戒の色が混じっている。しかしゴンはまったく臆する様子もなく、小さなピンク色の鼻をぴくつかせながら話を続けた。
「みーみー……(はい、神ちゃまたちは天上界にいらっちゃいまちゅので、人間界と魔界で問題が起きても直接手を出すことができまちぇん。魔界と人間界を守るために、わたちを魔界に送りこみまちた。そして、一華ちゃまと龍輝ちゃまも、神ちゃまの魂が送り込まれた生まれ変わりでちゅ。)」
「えっ? もしかして、私は月の女神の生まれ変わりってこと?」
一華が驚きの声を上げる。対してゴンは、短い前足をぱたぱたと振った。
「みーみー……(わたちには何の神ちゃまが宿っているのかはわかりまちぇん。以前、魔界でおきた兄弟げんかを治めるために、魔王族には神ちゃまを生まれ変わらせることに決めたそうでちゅ。でちゅが、すでに、シンちゃまは生まれていたようでちゅ。まだ小ちゃかったので、一度、魂を抜き、神ちゃまの魂と入れ替えたそうでちゅよ。)」
「……っ」
シンは言葉を失い、ただ鋭い瞳でゴンを見据えた。
「みーみー……(シンちゃまと同じように、サンちゃまの魂も一度入れ替えまちた。)」
「にゃにゃん……? 俺の魂もにゃんか?」
部屋の隅で聞き耳を立てていたサンの黒目が大きく丸くなる。ゴンは誇らしげに頷いた。
「みーみー……(そうにゃんです。ただ、その時に記憶も消えちゃいまちて……)」
「えっ、記憶まで消したの……?」
一華が驚愕の声を上げる。
「にゃにゃん……(俺は猫王ならぬ、猫神様にゃんか?)」
「みーみー……(魂が変わったので一度亡くなったようなものでちて……別の猫として成長するよう体の大きさも小さくしたそうでちゅ。)」
「ちょっと待って! 魂の入れ替えとか、さらっと言ってるけどスケールが大きすぎない……?」
「みーみー……(ハオちゃまは大人になっていまちたので、魂の入れ替えは行えできまちぇんでちた。)」
一華が頭を抱えてソファにもたれかかると、シンも険しい顔で腕を組んだ。
「……俺たちの知る魔界の常識を、完全に超越しているな。」
一華とシンが息を呑む中、ゴンは淡々と告げる。
「みーみー……(これからも一華ちゃまが産む子供たちは、いずれも神様の生まれ変わりでちゅ。)」
「子供たち……?」
「みーみー……(はい。お腹にいる赤ちゃんもでちゅ。)」
「えっ? 私、妊娠してるの?」
一華は反射的にお腹に手を当て、目を見開いた。
「みーみー……(ちりまちぇんでちたか? お腹に赤ちゃんいまちゅよ。)」
「みーみー……(それから、レイモンドちゃまと、アーリンちゃまがもうすぐ生む赤ちゃんには、神ちゃまが選んだ魂が宿っていまちゅ。結婚ちても問題ないでちゅよ。)」
予期せぬおめでたい告白に、レイモンドとアーリンは顔を見合わせ、驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべた。
「俺たちの子供にも……?」
レオナルドが驚きに目を見張ると、アーリンは愛おしそうに自身のふっくらとしたお腹にそっと手を添える。
「レオナルド……聞いた? 私たちの赤ちゃんも、神様に選ばれた特別な魂なんだって……」
「あぁ、俺たちが愛情をたっぷり注いで育てよう。」
レオナルドとアーリンはしっかりと手を取り合い、温かい笑みを交わし合う。
一華は隣に座る二人のやり取りを横目に、ふたたびゴンに視線を向けた。
「女の子が生まれるの?」
「みーみー……(女の子かどうかはちりまちぇん。それから何人生まれるかもちりまちぇん。)」
「みーみー……(言い忘れてまちた。神様の生まれ変わりでも全知全能の神ではないでちゅ。単独行動を防ぐため、一人ですべての魔力は扱えないようになっていまちゅ。一華ちゃまが全知の神とすれば、シンちゃまは全能の神と言う風にでちゅ。必ずペアが必要でちゅ。)」
「それはわかる。シンが全知全能だと暴走しちゃいそう……。」
一華は傍らに座るシンを見つめながら、どこか納得したように呟く。シンは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「みーみー……(はい。それに、一華ちゃまが全能の神だとしたら、魔力が使いこなちぇまちぇん。適材適所でちゅ。)」
(神の魂の入れ替えに、俺たちが『ペア』で動かなければならない理由……)
シンは頭の中で次々と明かされる情報を必死に整理しながら、鋭い視線をゴンに戻した。
「ところで、ゴンちゃんはどういう理由で神様に送り込まれてきたの? これを伝えるためだけじゃないでしょ?」
一華が冷静に問いかけると、ゴンは少しだけ体を赤らめた(ように見えた)。
「みーみー……(はい。子孫を残すためでちゅ。)」
「子孫?」
「みーみー……(サンちゃまの子供を産むためでちゅ。)」
ゴンは恥ずかしそうに、しかしはっきりとそう言い放った。サンもまた、気まずそうに自分の尻尾を毛づくろいし始める。
「しかし、サンは随分と前に去勢済みだぞ?」
シンが鋭い指摘を入れると、ゴンはふふんと鼻を鳴らした。
「みーみー……(神ちゃまも想定済みでちゅ。ここだけの話でちゅが、失敗させていまちゅ。)」
「な、なんと……それは本当か?」
「みーみー……(はい。実は摘出させたように見せかけて、残していまちゅ。)」
「ふふっ、サンちゃん、痛い思いしただけだったね。」
一華がクスリと笑うと、サンは自分の下半身を慌てて確認するような仕草を見せた。
「にゃにゃん……(ほんとにゃんか?)」
「今までの話をすべて信じろと言うのは、いささか無理があるのではないか? 一華の生まれ変わり程度なら魔界人でも想定できる。むしろ、ゴンに宿っているのは冥王が送り込んだ刺客の魂だと言われた方がまだ納得できるがな?」
シンが慎重に、しかし厳かに反論を試みる。しかし、ゴンは微動だにせず、冷徹な真実を告げた。
「みーみー……(天上界にいる神ちゃまが直接手を下せるのは冥界だけでちゅ。先日の冥王の行いは神ちゃま達のお怒りを買っちゃいまちて、二度と生まれ変われないように、地中の奥底に沈められ、なかったものになっていまちゅ。)」
「な、なんと……冥王は抹殺されたのか?」
シンは冥王が再び魔界を襲いに来る心配が消え去り、胸を撫でおろした。
「みーみー……(はい。わたちの言うことが信じられないと言うのであれば、天上界で見てきたことを全てお話ししまちゅね。)」
ゴンは黒く丸い目をさらに大きく見開いた。
「みーみー……(まずは、一華ちゃまとシンちゃまが、高校に入って二人暮らしを始めたころでちゅね。一人でテレビを見ていた一華ちゃまが月の画像を見て黒猫に変身した時のことでちゅ。その時かけつけたシンちゃまの格好……)」
「ああああ、その先は言わんでいいっ!」
シンの絶叫がリビングにこだました。
「みーみー……(そうでちゅか? では、修学旅行二日目の朝のこと。シンちゃまはホテルの部屋に戻って一華ちゃまに馬……)」
「ああああ、それも言わんでいいっ! わかった。わかったから。信じるからもう言わんでくれ……っ!」
シンは顔を文字通り真っ赤に染め上げ、両手で頭を抱えてソファに沈み込んだ。隣に座る龍輝が、心配そうに「パパ? 大丈夫?」と背中をポンポンと叩いている。
「パパ、お顔、真っ赤だよ? お熱出ちゃったの?」
龍輝がきょとんとした顔で首をかしげると、一華は苦笑しながら「ううん、パパはね、昔の恥ずかしいことを思い出して照れてるのよ。」と優しくフォローを入れた。
「神様たちは、天上界から私とシンのことはすべて見てきたってことよね?」
「みーみー……(はい。信じてもらえまちたか?)」
「信じるよ。でも、どうしてサンちゃんの去勢を失敗させてまで、子孫を残す必要があるの?」
一華が恥ずかしさを押し殺して本題に戻すと、ゴンはキリッとした表情を作った。
「みーみー……(それはですね……神様が操る魔獣を増やすためでちゅ。サンちゃまは猫ですが、ペガサスや黒ヒョウなど猫以外に変身できまちゅよね。これは神ちゃまの魂が宿っているからでちゅ。)」
「確かに、魔界の猫は、他の猫には変身できても、別の動物には変身できないはずだ。サンについては人間界の満月のパワーで変身できる魔力を覚醒させたと思っていたんだが……。」
シンが顔を上げ、苦い表情で納得する。
「みーみー……(いきなり覚醒させると不審がると思い、人間界の満月パワーを利用させてもらいまちた。サンちゃまと私の子供は、神ちゃまが操る魔獣として、サンちゃまみたいにいろんな魔獣に変身できまちゅよ。)」
「そんなに神様が魔界に生まれ変わってきて、天上界では問題ないの?」
「みーみー……(天上界にはたくさんの神ちゃまがいらっちゃいまちゅ。ただ、人間たちに拝まれているだけでは退屈でちゅからね。魔界人に、しかも魔王族に生まれ変われば、悪事をやっつけ、正すことができまちゅ。)」
「我々は肉体を貸すというわけか?」
「みーみー……(簡単に言えばそうでちゅが、魔界人も人間も生まれる時、冥界から選ばれた魂で生まれ変わりまちゅ。それが天上界の神ちゃまだったということだけでちゅ。なにかご不満でも?)」
「俺たちは神に操られているのか?」
「みーみー……(あぁ、そういうことでちゅか。違いまちゅよ。元が神の魂っていうだけで、一華ちゃまやシンちゃま、それに龍輝ちゃまが思う通りに動いてもらって大丈夫でちゅ。)」
「……そうか。わかった。」
「みーみー……(ただ、神ちゃまから指示が下りてくることがあるかもでちゅ。その時には動いて欲しいそうでちゅよ。)」
「ただ働き……か。」
「みーみー……(和の国の総理大臣のように、お金で依頼することはないでちゅが、何らかの恩恵があると思ってくだちゃいな。)」
「恩恵か……。ゴンが送り込まれてきた時点で、避けられないってことだな。」
シンは観念したように大きく息をついた。
「みーみー……(理解が早くて助かりまちゅ。)」
「ゴンは、これからもその話し方なのか?」
「みーみー……(わたち、まだ赤ちゃんでちゅ。大人に成長すればゴージャスな猫ちゃんになりまちゅ。その時は大人の喋り方になるでちゅよ。)」
「ふふ、そうか。楽しみだな。サン、待ったかいがあったな。」
シンが微笑むと、サンは少し照れくさそうに「にゃん」と一声鳴いた。
「みーみー……(では、ごゆるりとティータイム……)」
締めようとしたゴンの声を、シンが遮る。
「最後に、俺がお前を助けなかった場合はどうするつもりだったんだ?」
「みーみー……(あれはとっても苦ちかったでちゅ。助けてくれてどうもありがとうでちゅ。でも、シンちゃまは必ず助けてくれると言われてまちたので、他の人にみちゅからないように流れるのは大変でちたよ。それにシンちゃまにしか鳴き声も聞かせないように気をちゅけてまちたち。)」
「な、なんと……すべて仕組まれていたということか……。」
シンはソファに深くもたれかかり、天を仰いだ。
「みーみー……(ではでは、ごゆるりとティータイムを楽しんでくだちゃいにゃ!)」
そう言い残すと、ゴンはパタパタと短い足で走り出し、サンが待つ特等席へと戻っていった。
静寂が戻ったリビング。しかし、先ほどまでの穏やかな空気とは少し違う、どこか波乱含みの空気が漂っている。
「ごゆるりとティータイムを楽しんでといわれても……すっかり冷めちゃったね。」
ティーカップから立ち上る湯気はとっくに消え、淹れたての芳醇だった香りはどこかへ去っている。
一華は気まずい笑みを浮かべながら立ち上がり、空気をがらりと変えるために、もう一度お湯を沸かそうとキッチンへと向かった。
お腹に宿る新しい命、そして神々の思惑。これからの日常がこれまで通りとはいかないことは明白だった。
(だが、どんな運命が待ち受けていようとも、俺たちが守るべきものは変わらない。)
シンは珈琲の冷めたカップを見つめながら、静かに決意を固めた。キッチンへ向かう一華の後ろ姿を見送りつつ、彼はこれから始まる波乱に満ちた新しい日々に、そっと胸を躍らせるのだった。
◇◆◇
翌日、シンは早速、一華を連れて産婦人科を受診した。ゴンの言った通り、見事に妊娠が確認されたのだった。




