第24話 川遊び【中編】
……みー……
青空の下、パチパチと弾ける炭火の音、香ばしい川魚の香り、そして子供たちの元気な笑い声。
鮎の塩焼きができるまで少し時間があるなと、シンが再び川の方へ足を向けた――かと思えば、ほんの数秒ですぐに戻ってきた。その手には魚ではなく、小さく、しかし確かな温もりを持つ何かが握られていた。
シンは竈のそばにしゃがみ込むと、遠くにいた一華を手招きして呼んだ。
「一華、タオルを一枚持ってきてくれ。」
一華は龍輝をアズサに少し預け、急いでシンのもとへ駆け寄る。
「みー……」
か細く、か弱い鳴き声が聞こえた。
「えっ? それ、どうしたの?」
「川を流れていた。」
「もしかして親からはぐれちゃったのかな……?」
「あぁ、上流で探しているかもしれないが、このあたりには親の姿はなかったな。」
シンは持参した清潔なタオルで子猫の全身の水分を優しく拭き取り、竈の残り火の近くで温めてやっていた。濡れてペシャンコになった毛並みは痛々しかったが、そのお腹はわずかに上下している。
「とりあえず、連れて帰るまでは何も食べられないけど、大丈夫かな……?」
「まずは冷え切った体を温めるのが先決だな。どれくらい流されてきたのか分からんが、すっかり体温が奪われている。」
子猫はずっと「みー、みー」と切なそうに鳴き続けている。その細い声を聞いているだけで、胸が締め付けられるような気持ちになった。
一華は「何か燃やせるものを探してくる!」と周囲の小枝を集めに戻った。近くでは、ハオとアズサが龍輝たちにつきっきりであやしている姿が見える。
食材を捕まえていた社員たちは、いつの間にか少し高所からの飛び込み遊びに興じていた。いい大人が子供のようにはしゃぐ姿に、一華は思わず苦笑する。
「薪、拾ってきたよ!」
一華が小枝を抱えて戻ると、シンはまだ小さな命を包んだタオルを慎重にさすっていた。
周りでは、社員たちがすでに香ばしく立ち上る香りに引き寄せられるようにざわざわと集まり始めている。
「子猫って、生後どれくらいなんだろ?」
「うーん、サンの時と同じくらいか?」
「だったら、そろそろ離乳食の時期だよね。帰ったらペットショップにウェットフードを買いに行かなくちゃ!」
二人がそんなやり取りをしていると、心地よい炭火の匂いとともに、料理番ジャンによる力強い声が河原に響き渡った。
「皆様、お待ちかねのお昼の準備が整いました――!」
ジャンの声を聞きつけ、川遊びや飛び込みを楽しんでいた社員たちも、水遊びに夢中だった龍輝やレイモンドたちも、体を拭いて次々とテーブルの椅子へと腰かける。
一華とシンも席に戻りたいところだが、子猫の毛がまだ少し湿っている。完全に乾かしてあげなければ低体温症の恐れがあるため、もう少しだけ見守る必要があった。
龍輝は、パパとママが自分たちの席に戻ってこないことに気づき、アズサの服を引っ張った。
「パパは? ママは?」
「パパとママはね、ほら、あそこにいるわよ。」
アズサが背中を向けて寄り添う二人を指さす。
「パーパー! マーマー!」
龍輝が青空の下で大きな声で呼んだ。
「シン、そのタオルを新しいのに替えてあげたら、もう大丈夫なんじゃない?」
「そうだな。いくら拭いても湿ったタオルではかえって冷えるか。」
シンは湿っていない部分で子猫を包み直し、龍輝たちのもとへと歩み寄る。
「みー……」
シンの手から聞こえた小さな声に、龍輝は小首を傾げた。
「ん?」
一華は新しい乾いたタオルを取り出し、シンの濡れたタオルと手際よく交換する。
「龍輝、子猫だ。」
シンは、新しいふわふわのタオルに包まれた小さな命を龍輝に見せた。
「……ゴンちゃん?」
龍輝は目を丸くする。それは確かに、かつてのドラゴンだったゴンちゃんの子猫時代に似ていた。ゴンちゃんよりは大きく、生後一か月ほどだろうか。
肌も、鼻も、口も、小さな肉球もすべてが綺麗なピンク色で、全体が真っ白な産毛に覆われている。龍輝が「ゴンちゃん」と重ねるのも無理はない。もちろん本物のドラゴンではないが、あまりの可愛さに誰もが息をのんだ。
「名前は、龍輝が付けてやるか?」
「うん……ゴンちゃん!」
「みー」
「また同じ名前を付けるのか?」
「うん、ゴンちゃん、おかえり!」
「みー」
子猫がまるで返事をするかのように小さく鳴いた。その瞬間、周囲の空気がさらに柔らかくほぐれたような気がした。
そこへ、ジャンが魔王族の人数分の『鮎の塩焼き』を串に刺したまま持ってきてくれた。
ジャンは宮廷で腕を振るう魔王族専属の超一流料理人だ。素材の持ち味を最大限に引き出すために炭火の遠赤外線を計算し尽くし、一本一串に魂を込めて焼き上げた鮎は、黄金色の皮がパリッと美しく輝いていた。
「鮎の塩焼きなんて初めて食べるー!」
一華は目の前に差し出された、黄金色に香ばしく焼かれた魚に感動の声を上げると、ジャンは誇らしげに胸を張り、しかし恭しく一礼する。
「川のせせらぎを聴きながらいただく野外の炭火焼きは、宮廷のどんな高級料理をも凌駕する贅沢でございます。どうぞ、熱いうちにお召し上がりください。」
「そのまま豪快にかぶりつくんだ。」
シンのアシストを受けつつ、黄金色に香ばしく焼かれた鮎の串を手に取り、一華は恐る恐るかぶりついた。
パリッ!――と心地よい皮の弾けた音のあと、ふっくらとした白身から熱々のジューシーな旨味が口いっぱいに広がる。
「うわっ……! 香ばしくて、中はすごくジューシー! 淡白で味がしないのかと思ってたけど、すごく美味しい!」
思わず目を輝かせる一華に、シンは満足げな微笑みを浮かべながら、手際よく自分の分の骨を外していく。
「川の恵みそのままをいただくのが一番だな。」
その言葉通り、外はパリッと、中はふっくらと焼き上げたジャンの腕前は、プロの料理人顔負けだった。
シンは箸で細かくほぐした身を龍輝の口元へと運んでいく。皮、内臓、骨などを上手に仕分けながら、自分の分の塩焼きも次々と胃袋へ収めていく。
「ねえ、魔界では魚釣りはしないの? みんな素手で捕まえてたけど……。」
一華は箸を止めずに質問した。
「見えている獲物は、素手の方が逃げられなくて早いからな。」
シンは淡々と答える。
「そんなに簡単に捕まえちゃったら、川の魚がいなくなったりしないの?」
「そもそも、魔界の川で遊ぶ文化などない。川は修行や鍛錬の場だからな。」
「そっかぁ。バーベキューコンロもなかったし、こうやって竈を作って、わざわざ鮎の塩焼きなんて作らないんだ。」
「素人が見様見真似で手を出せるもんじゃないだろ。」
「うん、ジャンが焼いてくれた鮎、本当に最高!」
「お褒めにあずかり光栄です。」
ジャンは丁寧に一華へ頭を下げた。
「ここ、ちゃんとうまく整備したら、いつでも川遊びに来られるよね。泳がなくてもバーベキューとかキャンプとか。あと、夜には花火とかもできそう!」
「打ち上げ花火ですか?」
アーリンが興味津々といった様子で尋ねる。
「ううん、手持ち花火! 打ち上げ花火は場所も取るし音も大きいから勝手には無理だけど、手持ち花火ならすごく綺麗だし、後始末さえきちんとしておけば自分たちだけで楽しめるの。人間界では最近できる場所が減っちゃってるけど、魔界のこの場所なら誰にも迷惑をかけないし、ちょうどいいかも!」
「まぁ、それは素敵ですね。ぜひやってみたいです。」
アーリンが目を輝かせる。
「打ち上げ花火も昼間なら目立たないが、夜の花火か……それも悪くないな。ここに竈とテーブル、そして常設のチェアと屋根を配置すれば、毎回重い機材を持ち込まずとも済む。夜遅くなれば花火もできるし、川の水を使えば消火も安全に行える。」
シンはすでに脳内で、完璧なキャンプ場のレイアウトを構築し始めていた。
「うんうん! ゴミさえしっかり持ち帰れば、川も汚れないしね。」
そこに、ジャンがまた新しい料理を運んできた。今度はアルミホイルに包まれた一品だ。
「ニジマスのアルミホイル焼きでございます。」
ホイルを開けた瞬間、バターの濃厚で豊かな香りが鼻腔をくすぐり、一段と食欲をそそられる。
「わぁ、こういう洋風の焼き方もできるんだ!」
人間界では鮭を使うことが多いホイル焼きだが、川の恵みであるニジマスでも抜群に美味しそうだ。
一華が一口頬張る。
「身がふっくらしてて、バターとすごく合う!」
龍輝の口にも小さくほぐした身を運ぶ。
「美味しい?」
「うん!」と龍輝は元気に頷いた。
ジャンは次から次へと料理を焼き上げる。淡白な川魚の次は、人間界から持参した大人気メニューの『肉巻きおにぎり』だ。子供でも持ちやすいように、割り箸にしっかりと巻き付けられている。
タレは二種類。大人用にはパンチのある特製焼肉のタレ、子ども用には醤油ベースの甘辛いタレだ。
肉巻きおにぎりは、育ち盛りの社員たちの胃袋へと飛ぶように消えていき、危うく全てなくなる寸前で、ジャンが死守した最後の二本が家族の分として回ってきた。
さすがに龍輝とレイモンドが丸かじりするには大きすぎるため、お皿の上で小さく切り分けてやると、二人はスプーンを使って上手に口へと運んでいる。
「美味しい?」
「うん!」とまた元気に頷く龍輝。
一華も、龍輝のお皿にあったおにぎりの端を一口もらう。
もっちりした白米に甘辛い醤油ダレと豚肉の脂がしっかりと絡み合い、これだけでも何個でも食べられそうな絶品だった。




