第23話 川遊び【前編】
「次の休日に川遊びに行くぞ!」
ある日の仕事中の席で、シンが急に思い立ったように宣言した。リビング内の空気は一瞬でピタリと止まり、次の瞬間には「キャッキャ!」という期待に満ちた歓声が上がった。龍輝が『遊び』という言葉に食いついたのだ。
「えっ、でも、子供たちに川はまだ早くない?」
驚く一華に、シンは迷いのない口調で返す。
「子供用のプールは別途用意する。お昼は川魚のバーベキューだ。」
「うそ、川魚初めて食べる! ちなみに誰を誘うの?」
「社員たちと、あとは義父上たちにも声をかける。」
「当日は飲み物とバーベキュー用の食材があればいいよね。あ、あとスイカ割りもしたい!」
一華はワクワクしながら、テキパキと食材や飲料水をメモに書き留めていく。メニューは定番の肉に加え、子供たちでも食べられる肉巻きおにぎり、そしてデザートのスイカだ。
「あっ、水着はどうする? 買いに行く?」
「全員で購入しに出掛けるのは難しいな。一華の衣装チェンジの魔力で、それぞれの好みの水着に変えてくれ。」
「わかった! じゃぁ、あとで希望を聞かないとね。」
一華はパソコンを操作し女性用と男性用の水着を検索・ピックアップして印刷した。
そして、ふとソファでくつろぐアーリンのお腹に視線を落として告げる。
「アーリンは、お腹を冷やしちゃいけないから泳ぎはダメだよ。」
アーリンは「残念ですが……」と仕方なさそうに肩を落としたが、その表情はどこか優しかった。命を宿す母としての慈愛が、周囲の空気までふんわりと柔らかくしている。
その後、シンからハオとアズサにメッセージが送られると、即座に参加の意思が返ってきた。
『SINQstore』の日常に突如投下されたビッグイベントである。社員たちにも事前に参加確認をし、各自で好みの水着を選んでおくよう伝達済みだ。準備の段取りは驚くほどスムーズに進んでいった。
◇◆◇
川遊び当日。
雲一つない青空が広がり、まさに絶好の行楽日和となった。『SINQstore』の前庭に参加者たちが集合し、目的地の川のほとりへと一斉にテレポートする。
――瞬間、喧騒が嘘のように消え去り、肌を撫でる風が一気に涼やかになった。
「うわぁ、気持ちいい……!」
透明な川のせせらぎとともに、澄んだ清らかな空気が鼻腔をくすぐる。都会のコンクリートの熱気から切り離されたそこは、まさに大自然が作り出した特等席だった。
子供たちも安全に楽しめるよう、比較的穏やかな中流域の広々とした河川敷が今日の特等席だ。ひんやりとした川風が心地よく、木々の緑とせせらぎの音が日常の忙しさを忘れさせてくれる。
一華は、各自が選んだデザインに合わせて次々と衣装チェンジの魔力を解放する。まずは配送担当者たちから始まり、シン、ハオ、レオナルドにリアム。
さすがに魔界の男たちだけあって、みんな見事な筋肉質だ。シンはもちろんのこと、護衛任務をこなすレオナルドが鍛え上げられた肉体をしているのは想像がつく。だが、一番の驚きはハオだった。
ムキッ!
「パパも、普段から鍛錬しているの?」
一華は、ハオの少しふくよかなおじさん体型……いわゆるビール腹を勝手に想像していただけに目を丸くした。
ハオは苦笑して答える。
「座っているだけに見えたか?」
「だって、常に護衛がついているし、わざわざ鍛える必要なんてないでしょ?」
「基本だな。自分の身は自分で守れなければ、いくら護衛がいても不意を突かれてやられる。甘く見てはいかんよ。」
ハオの落ち着いた言葉を聞きながら、一華は「なるほどねー。」と深く納得した。穏やかな父の顔の裏にある、歴戦の強者としての矜持。護衛がついているからと油断せず、己を律する魔界の厳しさを垣間見た気がした。
確かに、高校時代のシンを思い出しても納得がいく。ちょっと魔力を解放するだけで常識外れのスピードが出るあの身体は、日頃の鍛錬がなければ一瞬で崩壊してしまうだろう。鍛え上げられた肉体美は、伊達ではないのだ。
続いて、龍輝とレイモンドの番だ。二人は水着のほかに、安全のためのスイムベストも着用させる。初めての水着姿は、言葉を失うほど可愛らしい。ぽてっとした小さな体にぴったりサイズのライフジャケットを兼ねるベストがよく似合っていて、見ているだけで頬が緩んでしまう。
最後は女子組の番だ。マリー、アズサ、そして一華自身も次々と着替えていく。
マリーと一華は、洋服のように可愛いワンピース型の水着をチョイスした。一華が少し露出の多いデザインを選ぼうとしたところ、シンに即座に却下されたのは内緒だ。
「目のやり場に困る社員が出る。」というのが理由らしいが、一華はちょっと不満げにしつつも内心では嬉しかったりする。
一方のアズサには、露出は控えめながらも大人の色気が漂うエレガントな水着をチョイス。さすがに一華には出せない、落ち着いた美しい魅力を醸し出している。
「ママ、ナイスバディ!」
一華が素直な感想を飛ばすと、アズサは照れくさそうに頬を染めた。
「もう、一華ったら……。でも、ありがとう。水着なんて何年ぶりかしら。一華が小さい頃にプールへ連れて行った以来よ。」
アズサの懐かしそうな笑顔に、一華も幼い日の記憶をふと重ね合わせる。
そして、妊娠中で一人だけ泳げないアーリンのために、気分だけでも味わってもらおうと、お腹を冷やさないためのパレオ付きのマタニティ用水着にチェンジしてあげた。アーリンは嬉しそうにお腹の膨らみを手で包み込み、「これなら私もみんなと一緒にいる気分を味わえます。」と満面の笑みを浮かべた。
水着に着替えた男性陣は、待ちきれないとばかりに早速バーベキューコンロの準備に取り掛かっている。もちろん、片手にビールを掲げながらワイワイと楽しそうである。冷えたビールをゴクゴクと喉を通る音が、青空の下で小気味よく響く。
シンは平らな河原のスペースに、大きなビニールプールを魔力で具現化して設置した。先日行った灌漑テストで使用した農業用ポンプを取り出し、灌水チューブの代わりに穴が開いてない短いチューブを繋いだ。シンの送電の魔力で人間界仕様のポンプに電力を送り込むと一気に水を溜め始める。ゴボゴボと勢いよく流れ込む水に、子供たちの期待感も最高潮だ。
プールの半分ほどまで水が溜まるとポンプを止め、龍輝とレイモンドを中へ入れてみた。
しかし――。
「ち、ちめたいよ!」
龍輝が抗議の声をあげる。ブルッと小さな体を震わせ、すぐにプールの縁につかまってはい上がろうとした。
「ん? 冷たいか?」
シンは首をかしげ、自分の手で水に触れてみる。
(子供には、川の水はそのままじゃ冷たすぎか……)
川の水は常に流れているため、太陽の光で温められた表面の水もすぐに下流へ流れてしまう。夏の暑い日であっても、水源の冷たさがそのまま残る川の水温は子供の体には刺激が強すぎたのだ。
「ふむ、少し温めるか……。」
シンは一度二人をプールから上げ、落ち着いた手つきで二人の頭を優しく撫でた。
「ちょっと待ってろ……。」
そう言うと、シンは手際よくお湯の準備を始める。手頃な石を集めて即席の竈を即座に作り上げ、その上にたっぷり水を入れた大鍋をドンと置く。下には薪をくべ、シンが軽く魔力を解放すると、一気に勢いよく炎が立ち上った。
魔力を帯びた炎は通常の薪火よりもはるかに強力で、みるみるうちに鍋の水温が上がる。ちょうどいい湯加減になったところで、シンはプールにお湯を少しずつ薄めるように混ぜていく。
「よし、これでどうだ?」
もう一度龍輝を抱き上げ、そっと足を浸させてみる。
「どうだ? まだ冷たいか?」
龍輝は水中で足をバチャバチャと動かし、首を横に振って「ちめたくない! あたかい!」と満面の笑みを見せたので、シンはそのままプールへと下ろした。レイモンドも続いて水の中へ入り、心地よさそうにパチャパチャと水面を叩く。
普段はお風呂で遊ぶことが多い二人だが、これだけ広い水場は初めてだ。龍輝にとってはお水とお湯の差はあっても、お風呂より少し広いだけだが、レイモンドにとっては、いつもよりずっと開放的な空間に目を輝かせている。
レオナルドがレイモンドに優しく泳ぎを教え始め、子どもたちは「キャッキャ」と高い声を上げて水しぶきを立てていた。その楽しそうな笑い声に釣られて、河原全体の雰囲気がさらに明るく和らいでいく。
「シン、龍ちゃんは私が見てるから、泳いで来たら?」
一華がタオルを片手に声をかける。
「お前一人で大丈夫か?」
「ふふっ、こんなに浅いプールなら私でも余裕だよ! 子供たちと一緒に私も少し泳いじゃおうかな。」
「なら、ちょっと魚でも調達してくるか。」
シンはバケツを片手に、足取り軽く川へと歩みを進める。
(川魚って、普通は釣り竿や仕掛けを使うものじゃないの……?)
一華は思わずツッコミを入れかけ、しかし次の瞬間には、すっかり川へ入っていくシンの堂々とした後ろ姿に目を奪われていた。
(……って、いつ見ても、こういうときのシンってずるいくらいかっこいいよねぇ……。)
いつも一緒に暮らしていると忘れがちだけど、こうして日常から離れて客観的に見ると、やっぱりシンはかっこよすぎると心の中でこっそり悶える。
一華はすぐに気を取り直し、龍輝のバタ足のお相手に戻る。泳ぎを教えに来たはずが、すっかり子どもたちと一緒になってびしょ濡れになっていた。
「ママ、もっとお水かけて!」という龍輝のリクエストに応え、水のかけ合いっこが始まると、一華も童心に返って思い切りはしゃぎまわる。
周囲の社員たちも「おっ、シン様が本気を出したぞ。今日のバーベキューは豪華になりそうだ!」と手を休め、遠巻きにワクワクした視線を送っている。
一方のシンは、周囲の喧騒をよそに、透明度の高い川底にじっと目を凝らした。ひんやりとした清流の中に足首まで浸かり、まるで野生の猛禽類のような鋭い集中力をまとっている。
次の瞬間、迷いのない素早い手つきで水中へ手を沈める。
ザブンと水飛沫が舞い上がり、周囲の社員たちが思わず「おっ……!?」と息を呑んで動きを止める。次の瞬間、引き上げられたその太い手には、金色に輝く一匹の美しい鮎がしっかりと握られて激しく暴れていた。鮮やかな金鱗と引き締まった体躯は、いかにも清流で育った上質な証拠だ。
「さすがシン様……!」「素手で一撃とは……!」と、見守っていた社員からどよめきと感嘆の歓声が上がる。
シンは微動だにせず、すぐにバケツへ鮎を放り込み、再び川底へ手を伸ばす。その流れるような神業の連続に、水面が揺れるたびに次々と魚が捕らえられ、あっという間にバケツはいっぱいに満たされていった。
大漁のバケツを抱えたシンは、満足そうな笑みを浮かべながら岸へと戻ってくる。
シンはそのまま、バーベキューの火の番を任せている料理番のジャンのもとへバケツを届けた。ジャンは「おぉ、これは見事な鮎ですね!」と目を輝かせ、手際よく下準備を済ませる。丁寧に塩を振り、一本一本心を込めて串を打つと、熾火となった炭火でじっくりと香ばしく焼き始めた。
ジュッ、と炭のうえで脂が弾けるシズル音が響き、たちまち芳醇で香ばしい煙がふわりと周囲に立ち込める。川風のひんやりとした冷たさと、炭火が放つじんわりとした温かさが絶妙に混ざり合い、それだけで食欲とレジャーの高揚感を最高潮へと押し上げていく。
なおも社員たちの中にも素手で魚を捕まえる者が現れ、「負けてられないぞ!」とばかりにみんなでワイワイと大漁の歓声をあげている。魔界出身の身体能力の高さが、こんなところで思わぬレジャーの盛り上がりを生み出していた。
社員が捕ってきた魚は足りない分をその場で追加して焼くことにして、残りは今日の記念にと家族用にお土産として持ち帰らせることにした。
……みー……




