第22話 雨不足【後編】
そして迎えた、約束の日の朝。
宮殿のフラワーガーデンには、シンの呼びかけに応じた北地域の領主たちや小麦農家の民、そしてヴォルトン率いる『SINQstore』の配送担当者たちが勢ぞろいしていた。
抜けるような青空の中、人々のざわめきと熱気が微かに波打っている。
これから何が始まるのかと、見学に訪れた魔王ハオやアズサ、そして側近の従者たちも興味津々の視線を注いでいた。
「これより、農業における画期的な灌水方法についての説明を行う。」
シンの凛とした宣言とともに、灌水用機械のパーツが一つひとつ丁寧に解説されながら組み立てられていく。フラワーガーデンの一角を疑似的な小麦畑に見立て、レオナルドが手際よく灌水チューブを敷設していく。水源の代わりに用意された大きな水槽の脇に小型の電動ポンプがしっかりと据え付けられた。
シンが電動ポンプのスイッチを入れる。
ブーーーーーン、シュルシュルシュル、ゴーーーーッ
機械音が静寂を切り裂き、直後に力強い水流が押し寄せた。
プシューッ……!
「おぉ……!」
周囲から感嘆の声が漏れ、やがてパラパラと、しかし確かな熱を持った拍手が沸き起こった。先日のテスト通り、黒いチューブの無数の穴から均等に、霧をまとったような水が勢いよく噴き出している。水滴が朝日に反射してキラキラと輝き、人工の雨が作り出す美しい光景に人々は目を奪われていた。
「この通り、この機械一式を利用すれば、雨不足に悩まされることなく作物を健やかに育成できる。水源となるのは川、池、湖、あるいは井戸など何でも構わない。ただし、もしそれらの水源が枯渇状態に陥っている場合は遠方から水を送り込むことも可能だが……それはあくまで最終手段だ。」
農民たちはシンの言葉に無言で頷いている。
シンは集まった者たちを見渡し、一段と厳かに続けた。
「まずは水源から適切な農業用水路を整えること。領地の間を流れる川や湖を自分たちだけで独占してはならない。下流で暮らす者たちの権利も考慮し、等しく分け合うことだ。水を巡る争いは、結果としてすべての者から恵みを奪うことになる。」
その言葉に、領主たちはハッとした表情を浮かべ、深く頷いた。
「「承知いたしました!」」
「ポンプは電動式ゆえに電源が不可欠となる。まずは小麦畑の近隣に資材用の倉庫を建設してくれ。その後に各領地の担当者たちがソーラーパネルを設置して電源を確保する。灌水機器の本格的な導入はそのあとだ。どうだ、やり遂げられるか?」
シンの問いかけに、現場の責任者が力強く胸を張る。
「「お任せください!」」
しかし、その背後に控えていた高齢の農民が、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの……! その『ソーラーパネル』やら、黒いチューブから霧を吹く機械やら、ありがたいのは山々ですが……。ワシらのちっぽけな頭で、そんな魔導具を超えた代物を本当に使いこなせるもんでしょうか? 下手に扱って壊したら、弁償どころかバチが当たりそうで……」
不安げに眉をひそめる農民たちを見渡し、シンは穏やかな笑みを浮かべた。
「心配はいらない。最初は専属の配送担当者が現地について手取り足取り教える。失敗しても、それを責めることはしない。新しい技術に戸惑うのは当然だ。」
シンの飾らない言葉に、農民たちの間に走っていた緊張の糸がふっと緩む。
「新しいやり方を覚えるのは少しばかり骨が折れるかもしれないが……、飢えに怯えながら空を見上げるだけの毎日に比べれば、よほど希望があるはずだ。」
シンは農民たちの顔を見渡したあと、さらに続ける。
「建設場所が決まったら、水源までの距離、畑の広さ、必要な灌水チューブの長さを正確に計測し、担当者経由で報告してほしい。」
領主や農民たちはシンの説明を一つ残らず頭に叩き込み、自分たちの領地にある小麦畑の環境を改めて調査するため、引き締まった表情で帰路についた。長年天候に泣かされてきた男たちの足取りには、かすかな、しかし確かな希望の光が宿っていった。
その後、各領地の配送担当者たちにはその場に残ってもらい、一人ひとりに新しいスマートフォンが手渡された。
アーリンによる基本操作のレクチャーと、新しく実装された報告システムの使い方の説明が始まる。担当者たちは恐る恐る画面をタップし、自分専用のIDとパスワードの用紙を見つめながら、手元の端末に表示されたログイン画面に打ち込んでいく。
操作に慣れるためのテストとして、架空の状況を入力し、報告書を送信する練習を行った。
「今日から、毎日の業務の終わりには必ずこの報告システムへ日々の状況を送信すること。商品配送の状況だけでなく、各領地で起きている異変や、少しでも気づいた点があればどんな些細なことでも構わないから送信してくれ。」
アーリンが優しく補足を入れる。
「ちなみに、この報告書は魔界の電波が届かない場所でも入力できるよう『オフライン入力』に対応しています。入力されたデータは、担当者の方々が『SINQstore』へ帰店し、オンラインに切り替わったタイミングで自動的に同期される仕組みになっていますので、安心して活用してください。」
さすがは気の利くできる女、アーリン。特段の要望を出さなくとも、現場の過酷さを熟知した上で使い勝手の良い設計に落とし込んでいた。
「まさか、魔力で無理やり雨雲を寄せ集めるのかと思っていたが……まさか人間界の灌水技術を持ち込むとはな……。」
スマートフォンを物珍しそうに触る従者たちを眺めながら、魔王ハオは面白そうに呟いた。
その瞳には感嘆の色が浮かんでいる。
「天候に左右されるのが自然の摂理だと諦めていたが、人間の知恵はこうして環境をもねじ伏せるか……。」
その隣で、シンは静かに、しかし揺るぎない確信を持って返答する。
「はい、人間どもの知恵は、魔界でも役に立ちます。利用しない手はありません。」
「あぁ、まったくその通りだな。」
あとは現場からの詳細な報告を待ち、それぞれの環境に合わせた機器一式を手配するだけだ。この小麦畑の灌水方法が軌道に乗れば、ゆくゆくは魔界全土の農業へと広く採用していくことも可能だろう。タイミングを見計らって、次はスプリンクラー形式の導入テストも試してみる価値がありそうだ――シンはそんな未来の青写真を描いていた。
「シン。今回の北の件が落ち着いたら、この灌水システム一式を他の乾燥地帯や別の作物栽培にも義務化する方向で動け。魔界全土の農業インフラの基準を、これに刷新するぞ。」
ハオは、ただ慈悲で雨不足を解消するのではなく、彼らに自立したビジネスとしてシステムを根付かせるというシンの意図をしっかりと汲み取っていた。その瞳には、単なる気まぐれではない、王としての確かな慧眼が宿っている。
「――ただの施しではなく、自分たちの力で継続させなければ意味がない。お前のそのやり方、実に気に入った。」
「必ずや、魔界全体の基盤として定着させてみせます。」
シンの揺るぎない返答に、ハオは満足げに深く頷いた。まさかの魔王も、同じ未来を見据えていたのだ。荒涼とした地でも畑作農業が行えるようになるのは、そう遠くない未来かもしれない。
◇◆◇
数日後、各地の配送担当者たちから次々と詳細な報告書がアップロードされてきた。とりわけ北地域の担当者からは、灌水システムの試験導入に関する前向きな報告が相次いでいる。
シンは報告データに基づき、それぞれの小麦畑の規模や地形に最適な灌水機器を次々と具現化し、それにあわせた請求書を作成していった。
それを横目で覗き込んでいた一華が、ふと疑問を口にする。
「あれ? 今回の機械ってさ、無償提供じゃないんだ?」
手元のスマートフォンをスワイプしながら、一華は首をかしげた。
「以前の太陽光システムや家電に関しては、全戸一斉設置という公平性があったため例外だった。しかし今回は、特定の地域で、かつ一部の農地で発生したトラブルだ。ここで無償にしてしまえば、他の地域や自力で対策している農家との間に不公平が生じる。それに、現場を奔走する配送担当者たちの人件費も発生している。有償でなければ、全体の平等性も失われる。」
シンは手を休めることなく、冷静に理由を説明した。
「なるほどねぇ。今後の灌水システムを魔界全体にしっかり定着させるためにも、ルールは公平でなきゃいけないってことか。甘やかすだけじゃなくて、自立させることも大事だもんね。」
「その通りだ。ただの施しではなく、彼らのビジネスと生活基盤の一部として組み込まれなければ、持続可能なシステムにはならない。支払いは分割でも小麦の物納でも何でも構わない。どうせ、俺が『具現化』したものだからコストは一切かかってないからな。」
「ちょ、ちょ、ちょい待って!」
一華はすかさずツッコミを入れる。
「原価ゼロで作ったものを魔界の農民たちにありがたがらせて、しっかりローン組ませて回収する気満々じゃん!」
「何を言う、適正な対価をいただくのはビジネスの基本だ。それに、彼らが自らの力で稼ぎ、生活を立て直すための十分な価値を提供している。」
「うーん、言ってることは正論なんだけど……」
一華は呆れ半分、感心半分といった様子でやれやれと首を振った。
「なら、少しおまけしてあげてよ。」
「……承知した。少しばかり返済期間の猶予を設けるとしよう」
一華は頭を横に振った。
「いやいやいや、人間界でも農家は機械に投資コストがかかっているんだから、魔界でも同じことでしょ。初期負担を大きくしすぎて同じ轍を踏まないように配慮してあげてよ。もしくは、買い取る小麦価格を少し高く設定してあげるとかさ。どう?」
シンは冷徹に言い放つ。
「貢納は魔界のルールであって、『合同会社SINQ』には関係ない。不作を防ぐために灌水機器を導入するのも、自然に頼るのも農家の自由だ。……しかし、義父上からは農地への灌水機器の導入義務化を命じられている。そのため、初期の導入ハードルが高すぎるのは確かに問題だな……。」
「だったら、せめて最初の導入時だけでも大幅に価格を抑えてあげてよ。そうしないと農家たちの負担が大きすぎるでしょ。」
「一華の言う通り、初期導入で農家が破綻しては元も子もないな。……では、魔王家からの特例補助金という名目で初期費用を抑えた請求書を発行するが……原価と言っても人間界の価格は魔界の百分の一だぞ……。」
「まぁまぁ、私たちは民間企業じゃないんだから……今回は利益度外視にしなくちゃ。魔界人が飢えたら意味ないでしょ。全魔界人の食糧を人間界で調達するのも限界あるし。」
結局、一華はシンの現実的な折衷案に納得せざるを得なかった。自分が出来ることなら全額無償にしていただろうが、魔界全体のインフラとして持続させるためには必要な配慮なのだと理解もできたからだ。
一方、シンは一華を納得させるつもりだったが、終わってみれば逆に一華に丸め込まれたような気がした。
その後、シンの采配のもと、配送担当者たちによって各地に灌水機器の設置が着々と進められ、雨不足による壊滅的な不作の懸念はみるみるうちに解消されていった。
もっとも、生育期における一時的な雨不足が、最終的な収穫量や品質にどれほど影響を及ぼしているかは、実際に収穫して製粉してみなければ分からない。気象条件の変化や土壌の微細な変化など、予断を許さない要素はまだ残されている。しかし、迫り来る飢饉への強力かつ確かな対策になったことは言うまでもない。
あとは、これから先に出現するかもしれない病害や蝗害が発生しないことを祈るだけだ。シンは次の地域のデータへと視線を移した。




