第17話 ならし保育?
「シン様、少しお休みを頂いてもよろしいでしょうか?」
朝、レイモンドを伴い出勤してきたレオナルドとアーリンから申し出があった。
「どうした? どこか具合が悪いのか?」
「あのぅ、どうもアーリンが妊娠したようでして……病院で検査してもらおうと思いまして……。」
アーリンは少し頬が赤く染まっている。
「おっ、そうか。レイモンドは連れていくのか?」
「戻ってくる時間が分からないので連れていこうかと……。」
(レオナルドが買い出しに行けないとなると、代わりに自分が運転することになるが、一華を一人にさせたくない。この際、魔界で預かってもらうか……。)
シンは龍輝とレイモンドに向かう。
「お前たちは、魔界に遊びに行きたくないか?」
その言葉を聞き、龍輝の顔がパーッと輝く。コクコクと頷く。隣で見ていたレイモンドも続いてコクコクと頷いた。
シンは一華、レオナルド、アーリンに尋ねる。
「義父上と義母上にみてもらうのはどうだ?」
「私はいいと思うけど……。」
一華はしゃがみ込みレイモンドに尋ねる。
「レイ君、おしっこって言える?」
「……。」
「魔王でも王妃でも今は甘えていいんだよ。従者だってたくさんいるんだから……」
急に龍輝の口から発せられる。
「ちー」
「えっ? 龍ちゃん、おしっこ?」
龍輝は首を左右に振り否定する。
「レイ君の代わりに言ってくれるの?」
龍輝は「うんうん」と頷く。
「レイ君、龍輝に伝えられる?」
レイモンドは龍輝の顔を見て、頷いた。
「じゃぁ、試しにパパとママに預かってもらおうか。パパも自由に遊びに来いって言ってたからね。サンちゃんも護衛頼める?」
「にゃんにゃにゃ……(わかったにゃん。俺のご飯とトイレ用意してくれにゃ。)」
「そうだな。必要だな。」
シンは微かな魔力を解放し、その場で新しいドーム型の自動猫トイレと食器を具現化した。
一華はパンツタイプのおむつやおやつなど、二人と一匹の必要物品をトートバッグに手際よく詰め込む。
「この通り、子供たちは魔界で預かってもらうから、お前たちは病院に行ってくるといい。」
「ありがとうございます。」
レオナルドとアーリンは一華とシンに深々と頭を下げたあと、レイモンドに向けて「楽しんでおいで。」と声をかけ、病院に向かった。
自分たちも魔界に向かおうとするが、龍輝がおもちゃコーナーへと走っていった。一華とシンのもとに戻った時には手にチャンバラごっこで使用するスポンジ剣を二つ持っていた。
「龍ちゃん、あっちでチャンバラごっこするの?」
「うんうん」と頷く龍輝。
シンはヘルメットと紙風船を別のトートバッグに詰め込んだ。一行は常時接続ゲートを抜けて、全員が歩いて魔王ハオの執務室へと向かった。
◇◆◇
執務室前に到着すると従者に扉を開けてもらった。
真っ先に龍輝が声を出す。
「じぃじ、ばぁば」
「おぅおぅ、ようやく来たか。」
孫の龍輝が遊びに来たと聞いて魔王ハオの目じりが下がっている。
「午前中だけでいいの?」
アズサの問いに一華が答える。
「うん、今日の所は買い出しに行ってる間だけ、預かってもらえれば大丈夫。ならし保育みたいな感じで。」
「そうね。ならしは必要よね。」
一華はトートバッグの中身をママ、アズサに説明し、続けてシンが、チャンバラごっこの遊び方を説明した。紙風船を貼り付けたヘルメットを龍輝に被せた。
「そうかそうか、じぃじと対決するのか。ふふ、魔王に勝てるかのぅ。」
ハオは自信たっぷりの笑顔で龍輝に話しかける。サンのトイレとご飯も用意し、一華とシンは人間界へと戻っていった。
一華とシンは初めて子供たちを預けたことに心配しながらも、小型トラックSINQ号へと乗り込み、倉庫型スーパーへと向かった。
執務室では、執務そっちのけで孫たちとのチャンバラごっこが始まった。龍輝の要望通り、まずはハオとの対決から始まった。
「龍ちゃん、頑張ってー。」
アズサから龍輝の応援があがる。
扉の外ではいつもは静かな執務室から賑やかな声が漏れ聞こえ、護衛についていた従者たちが気になり、少しだけ扉を開け目だけを覗かせる。
そこには、普段の威厳はどこへやら、孫を目の前にして目を細め、夢中でスポンジ剣を振り回すハオの姿があった。
(……な、なんと、ハオ様があんなに楽しそうなご尊顔を……)
扉の隙間から覗き見ていた従者たちは、思いがけない光景に息を呑み、思わず顔を見合わせた。
龍輝はパタパタと浮遊し、近づいてスポンジ剣を振り下ろすが、ハオは即座に移動して、まったく当たらない。ハオはシンほど冷徹になれず、紙風船を叩くことをしない。龍輝を中心に回転するように移動し、龍輝が目を回してしまった。
これ以上は続けられないと、ハオはスポンジ剣を振りかざし、龍輝の紙風船をパンッと割ってしまった。
「あーぁ」
龍輝から声が漏れる。アズサが慰めるように声をかける。
「龍ちゃん、残念。」
「んー」
全然敵わないことに怒る龍輝。が、扉の方に向き「あっあっ」と覗き込む従者たちを指さした。ハオは鋭い眼光を扉に向け、低い声で命じた。
「お前たち、入って来い。」
覗き込んでいた従者たちは怒られると覚悟して入ってきたが、魔王ハオからは思いもしない言葉が発せられた。
「今度はお前たちの誰かが龍輝と対戦してやれ。ただし、魔力は一切使うなよ。」
一番若い従者が背中を押され前に出た。ハオが先ほどまで被っていた紙風船を貼り付けたヘルメットを被せられ、スポンジ剣を持たされる。龍輝は新しい紙風船を貼り付けて準備万端だ。
その若い従者は独身で小さな子供を相手に戦ったことがない。しかも魔王の孫、未来の魔王だ。
「よ、よろしくお願いします。」
スポンジ剣を片手で構えるが、どう動いていいのかわからない。龍輝は誰であろうとも、パタパタと浮遊し頭上目掛けてスポンジ剣を振り下ろした。
パンッ!
若い従者は構えた腕を上げることなく、頭上の紙風船が割られてしまった。
「キャハハ」
龍輝は初めて紙風船を割ることができて声を上げ、手を叩いて喜んだ。
「おいおい、魔力は使うなとはいったが、負けろとは言ってないぞ。」
ハオの言葉に若い従者は今にも泣きそうな声で訴えた。
「で、ですが、ハオ様、龍輝様の頭を叩くなんて私にはできません……。」
「そうか、そうだよな……、じゃぁ、龍輝は一回休んで、レイモンドと対決して見ろ。」
ハオの言葉に、従者がヘルメットを被せ、レイモンドはスポンジ剣を構えた。
「始め!」
しかし、レイモンドは今まで魔力を覚醒させたことがない。龍輝のように頭上高く浮遊することができず、高さが届かないことには勝てる要素がない。
「おい、とりあえず、足を動かせ。」
もう一方の従者からの声がかかる。我に返った若い従者は、右へ左へと足を動かし、スポンジ剣から逃げる。
その時、レイモンドの体が床から少しずつ上がっていく。若い従者の顔の前にいたレイモンドがパッと姿を消したと思ったら、背中側へ姿を現した。すかさず、レイモンドはスポンジ剣を振りかざした。
パンッ!
「キャハハハ」
龍輝が手を叩いて喜んでいる。レイモンドは何が起きたのかわからなかったが、紙風船を割った事だけは自分でやったことは分かっていたため、笑顔になる。
「龍輝、魔力を解放してレイモンドのサポートをしたな。」
ハオの言葉に龍輝は「うんうん」と頷いた。
「龍輝は他人を動かすことができるのか……、自分はできないのか?」
「……?」
右に左にと小首を傾げる龍輝。シンとの対決で顔の目の前にテレポートしてやられたことはあるが、背中側へとテレポートしたことがない。
ハオが龍輝に向け命じる。
「試してみろ。」
再び龍輝と若い従者の対決が始まった。龍輝は先ほどと同様に頭上高く浮遊の魔力で舞い上がり、その瞬間、背中側へと自身をテレポートさせ、そのままスポンジ剣を振り下ろした。
パンッ!
「へっ?」
若い従者はいきなり頭を叩かれたことに何が何だかわからなかった。
「お前、子供だからと見くびってただろ……。」
もう一方の従者に声をかけられた若い従者は自省する。
「龍輝様に意識は向けていたのだが……姿を消した途端、急に気配が感じられなくなった……。」
その言葉を聞き、ハオが呟く。
「なんと……龍輝は気配遮断の魔力を重ねたのか……。」
「まぁ、新たな魔力の覚醒ね!」
ハオの呟きを耳にし、アズサは微笑みを浮かべる。サンを膝にのせて静かに対決を見守っていたが、思わず胸の前で両手をパンと重ねた。サンが膝上から落ちないように添えられた両手が外され、体重を預けていたサンが膝上から落ちそうになる。
「にゃにゃんにゃ……(わわわ、落ちるかと思ったにゃー。)」
「あら、さんちゃん、ごめんねー。」
「今度は二対二で対決してみろ。」
ハオは、同じスポンジ剣をコピーして具現化すると、もう一人の従者にもスポンジ剣を持たせ、ヘルメットを被せた。
紙風船を貼り付けたヘルメットを被ったのは従者二人だけ。従者二人には紙風船を割られることなく逃げ続けることが課せられた。
龍輝は自身とレイモンドを同時に頭上高く浮遊させる。二人がスポンジ剣を振りかざしても従者二人は右へ左へと足を動かし逃げ回る。龍輝とレイモンドの気配を感じられるうちは、大人の魔界人であれば誰であっても難なく逃げられるスピードしか出せない。
龍輝は自身に気配遮断の魔力を解放し、若い従者たちの背中側に次々とテレポートして次々と紙風船を割っていく。レイモンドをおとりにして、自身が動くという見事な連携だった。
龍輝は自身とレイモンドを床に下ろした。
「ちー」
龍輝がおしっこを訴える。
「トイレに連れて行ってやってくれ。」
ハオが従者に命じる。
もう一方の従者は子持ちで子供のトイレには慣れている。すかさず龍輝の体を抱き上げ、執務室の外にあるトイレへと向かおうとしたが、龍輝が抗議の声をあげた。
「ぶー」
龍輝が首を横に振り否定した。レイモンドを指さして「ちー」と口にした。
レイモンドは龍輝に聞こえる声で訴えていたらしい。
「レイモンドのようだ。」
従者はレイモンドの体を抱き上げトイレへと急いだ。
「龍ちゃんはトイレ行かなくて大丈夫?」
アズサが龍輝に尋ねると、膝上にいたサンがドーム型の猫トイレへと駆けていった。
「あらあら、サンちゃんもトイレタイムのようね。」
龍輝は自身のオムツを指さして「ちー」と口にした。
「もしかして、もうしちゃったの?」
アズサの問いかけに「うんうん」と龍輝が頷く。
「レイモンドのことは伝えられるのに、自身のことは伝えないの?」
さらに問いかけるが、龍輝は小首を傾げる。
龍輝は一華からは『自身のことも伝えて』とは言われていなかったからか、対決中にさっさと済ましていたようだ。
「ふふ、オムツ替えましょうねー。」
アズサは龍輝のおしりを綺麗に拭き、新しいパンツ型オムツに履き替えさせたところへ、レイモンドがすっきりした顔で手を引かれて戻ってきた。
「まんま」
龍輝がおやつを催促した。アズサがトートバッグからおやつを取り出し、龍輝とレイモンドに手渡した。
サンがアズサに向いて甘える。
「にゃんにゃ……(俺も欲しいにゃ。)」
おやつを堪能した龍輝とレイモンドは、もうチャンバラごっこは満足したらしく、一歳の誕生日に各領主から贈られたプレゼントに興味を示す。そこにはアンティークなロッキング木馬が置かれていた。馬の姿かたちが再現されている。
「あっあっ」
龍輝は木馬を指さして乗せろと催促する。
ハオは若い従者に命じ、龍輝を木馬に跨がせると、龍輝は前後に力を入れて「パッカパカ~」と笑顔で楽しんでいる。
その時、おやつを堪能したサンがアズサの膝上から飛び降り、ポニーへと変身した。
龍輝がポニーの姿に変身したサンに気づくと、「あっあっ」とレイモンドとポニーを交互に指さし、レイモンドを乗せろと従者に指示する。すかさず、ハオがポニーに鞍を設置すると、子持ち従者がレイモンドを跨らせた。
木馬のように前後に揺らすことができないが、サンはぐるぐると室内を歩く。落ちないよう子持ち従者がしっかりと隣に仕える。
執務室はすっかり子供たちの遊び場と化していた。
そこへ、一華とシンが執務室に入ってきた。
「外に護衛がいませんが……。」
シンが口にしながら扉を開けると、従者二人がすっかりお守り役になっている光景が広がっていた。
「こ、これは……どういう状態でしょうか???」
「ふふ、従者二人とチャンバラごっこのあとは、木馬に興味しめしたの。サンちゃんがポニーに変身して今二人が楽しんでいるところよ。」
「パーパ、マーマ」
龍輝はすっかりロッキング木馬が気に入ったようだ。
「もう、連れ帰るのか?」
ハオが寂しそうにシンに尋ねる。
「あ、はい。執務の邪魔になりますので……、というかどうでしたか?」
今度はシンの問いかけにハオがどや顔で答えた。
「龍輝が気配遮断の魔力を覚醒させ、従者二人を負かしたぞ。」
「なんと、気配遮断の魔力ですか……。」
一華が口角を上げ、揶揄うようにシンに声をかける。
「シン、うかうかしてたら、次は龍ちゃんに負けちゃうかもよ。」
「あぁ、いつまでも子供として扱っていてはこちらが負かされてしまうな。」
シンの言葉に若い従者が激しく同意する。
「はい。目の前にいたと思ったら、後ろにテレポートして気配まで消されては対処のしようがありません。」
「それより一華、レイ君のおしっこは伝えられるのに、自身のおしっこは伝えられないのってどうしてなの?」
アズサが一華に尋ねる。
「えっ? あぁ、今まで伝えられたことないから?」
「トレーニングパンツに替えたら言い出すんじゃないの?」
「まだ早いかなって思ってたけど、試してみるか……ね、龍ちゃん。」
「はーい!」
龍輝が片手を上げて笑顔で返事をした。初めて執務室で遊び始めたのだが、すっかり従者たちと慣れ親しんでいるのを見て、無理やり離していいものか気になりシンは龍輝に尋ねた。
「龍輝、帰るか?」
「はーい!」
龍輝が片手を上げて笑顔で返事をした。と思ったら、パタパタと浮遊の魔力を解放し、ポニー姿のサンの上に跨り、落ちないよう前に跨るレイモンドに抱きついた。
「ふふ、このまま帰るということか。」
一華とシンは持ち込んだものを仕舞い、バッグに詰め込んだ。
ハオとアズサに一礼をすると、ポニー姿のサンの手綱を引き、一行は人間界へと戻っていった。
「お前たちもご苦労だった。」
ハオに労いの言葉をかけられた従者二人は、ようやく二人のお守りから解放され扉の外で再び護衛任務に就いた。
◇◆◇
ポニーに乗ったまま人間界の『シン華の家』まで戻ってきた龍輝とレイモンドは、そのままおもちゃコーナーまで行き、床へと下ろされた。サンは元の黒猫の姿へと戻る。
「二人は魔界へ行って楽しかったか?」
シンの問いに龍輝とレイモンドはコクコクと力強く頷いた。
「また、行きたいか?」
同じく、二人は頷く。
「なら、次までにトイレ行きたいと言えるようにならなきゃダメだぞ。」
シンに続いて、一華がしゃがみ込み、二人の小さな肩に手を置いて優しく諭す。
「龍ちゃんは、おしっこ、うんちしたくなったら言ってね。レイ君は誰にでも言えるようにね。」
龍輝は「うー」と少し難しい顔をしながらも、また魔界に遊びに行きたくて、きゅっと口を結んで力強く「うんうん」と頷いた。隣でその様子を見ていたレイモンドも、つられるように真剣な表情でコクコクと首を縦に振る。二人の頼もしい姿に、一華は思わず目を細めて微笑んだ。
お昼までまだ時間があり、再び、二人は遊びだした。シンはプリン工場を稼働させ、明日出荷分のプリン作りを始める。
◇◆◇
昼前にレオナルドとアーリンが戻ってきた。レイモンドが二人の姿を目にすると駆け寄る。
「アーリン、どうだった?」
一華が尋ねる。
「はい、妊娠してました。ただ、二週間後に受診して確定となるようです。」
「そっかぁ、おめでとうでいいんだよね?」
「はい、胎嚢は確認できましたが、少し受診が早かったので次回、心拍を確認してということらしいです。」
レイモンドの時には妊娠に気づかず、二か月を過ぎての受診だったため、初診時に心拍まで確認できたが、その経験から受診を早めたため、今度は心拍が確認できなかったということだ。
早めに受診することに問題はなく、これからは護衛任務を解き、『合同会社SINQ』の社員として勤務することになった。
◇◆◇
二週間後の検査で、アーリンの妊娠が無事確定した。
「レイモンドは、もうすぐお兄ちゃんになるんだよー。」
アーリンが声をかけるが、レイモンドはまだよく分かっておらず、小首を傾げる。
数カ月後には更に賑やかな『シン華の家』となる。新しい家族の誕生に向け、みんなの期待と楽しみがますます膨らんでいくのだった。




