第16話 BBQ(バーベキュー)
「今日は無礼講だ。自由に食してくれ。」
人間界のカレンダーでは土曜日の正午を告げるころ。
シンの開催宣言で、魔界の『合同会社SINQ』と宮殿内の従者たちも参加できるよう『合同会社MAOH』の合同開催とした福利厚生イベントであるバーベキューが幕を開けた。会場となった『SINQstore』の前庭には、宮殿から借りたガーデンファニチャーがいくつも並び、人間界で買い出しを済ませた大型バーベキューコンロから、いくつもの白煙が上がっている。
もちろん、魔王夫妻も同席しているのだが、魔王族で社長であるシンの言葉に、社員やその家族、宮殿内の従者たちは気兼ねすることなく、自分たちで肉を焼き楽しんでいる。
ガーデンファニチャー、バーベキューコンロについては、ヴォルトン一行が朝早くから設置した。
木炭を組んだのは主にジャンの役目だった。マッチもライターもない魔界では、対象物に手のひらをかざし微かな魔力を解放することで火種を作る。中心の着火剤がパチパチと音を立て、瞬く間に炭へと燃え移る様子に、ジャンは感嘆の声を漏らした。
「これならどこでも手軽にできますね。」
魔界において、食材を直火や煮込み料理で調理するのが主流であり、網の上で肉を炙るスタイルは誰も見たことのない未知の調理方法だった。
前庭の少し離れた場所では、ヴォルトンたちが持ち込んだ巨大なトマホークステーキを網に載せ、威勢よく焼き上げている。
事前予告ポスターで「好きなもの持ち込みOK」としたのは、他でもない。各領地を回る配送担当者たちがバーベキューのデモを開くための予行練習を兼ねていたからだ。
「ここで自由に試させれば、タレやコンロの扱いも身につくだろう。」
——シンは、前回の米粉プリンのように社員が自腹で買い占めに走る事態を防ぎつつ、新たな販路の拡大を目論んでいたのである。
ジュワッと炭の上に脂が落ちて煙が立ち上ると、周囲の社員たちから「おお……!」とどよめきが起こっている。
「おい、そっちはもう裏返す頃合いだぞ!」
「いや、まだ早い、肉の旨味が逃げる!」
普段は冷静な部下たちも、トング片手に真剣な顔で焼き加減を議論し合っている。人間界で調達した焼き肉用のタレを初めて口にした者たちから、そのあまりの美味さに「これは……悪魔的な美味さだな……。」と声が漏れる。
人間界で行われるBBQと何ら変わらず、熱気と笑顔に包まれている。
一方、シンが用意したお肉は、焼き肉用ですぐ焼けて、焼けたかどうかも判断しやすい。シンはフランクフルトや焼き鳥を焼きながら答える。
「みんなでワイワイと好きな食材を焼いて食せる、便利なコンロだ。魔界では火おこしは当たり前に誰でもできるからな。」
社員たちがグループごとに分かれて肉やフランクフルトを頬張る中、一華とシン、そして魔王夫妻であるハオとアズサのテーブルはひときわ穏やかな空気に包まれていた。
「たまには、こうしてみんなでBBQするのもいいもんだな。」
「そうね。ジャンも一緒に食せますもんね。」
缶ビールを片手に微笑み合うハオとアズサ。その視線の先で、シンは一華が電子レンジで下ごしらえしてきた野菜とミニハンバーグを炭火で丁寧に炙る。
龍輝はいつもと違う香りと味が気に入ったのか、冷めたものから手掴みでパクパクと口に運んでいる。足元には、黒猫のサンがちょこんと座っていた。
サンにも赤身の薄切り肉を数枚焼く。サンがお肉を貰える時は、自身の誕生日だけであり、しかも、焼いたお肉は今日が初めてだ。シンが焦げないようにしっかりと焼いた肉を、一華が小さく細切れにして差し出すと、サンはちょっぴり温かいお肉にかぶりついた。
「にゃにゃにゃ……(うまいにゃ、うまいにゃ)」
愛らしいサンの姿に目を細めながら、一華は焼き係に徹するシンにも「あーん」と肉を差し出す。その仲睦まじいやり取りを見た龍輝は、指を差しながら「あっあっ」と声を上げた。
「龍ちゃんはまだ食べられないの。それに、パパはお肉を焼く係をしているんだから、なかなか食べられないでしょ。」
一華がBBQ中の焼き係をめぐるCMのワンシーンを思い出していると、龍輝は「ぶー、あっあっ」と声を上げ、自分の小さな口を指さした。
「もしかして、食べさせてってこと?」
龍輝はコクコクと頷く。一華はミニハンバーグを一口サイズに切り分けて口元へ運ぶと、龍輝は首を横に振って否定した。
「このお肉ってこと?」
一華は焼肉用の薄切り肉を指さすと、龍輝は再び力強く頷く。一華はスマートフォンを取り出し、『一歳 焼肉』と手際よく検索する。
「シン、薄切りの赤身の部位を少し焼いてあげて。」
「食べさせていいのか?」
「脂が少ない部分を小さくしてあげれば大丈夫みたい。タレは子供用のタレが無いから今日の所は薄めるよ。」
「承知した。」
シンは赤身の薄切り肉を焼き、別のお皿に取り分けた。脂の少ない部位を小さく切り、タレを薄めて龍輝の口へと運ぶ。しかし、薄めたタレでは物足りなかったのか、龍輝は首を横に振り、自分用のミニハンバーグへと手を伸ばした。
「流石に、焼き肉のタレはまだ早かったみたいだな。」
「ふふっ、薄すぎて物足りなかったのかな? 今度から子供用のタレも用意してあげなくちゃね。」
一華はもう催促してこない龍輝に安堵した。焼肉を気に入ってしまうと、今後の食事事情が大きく影響しかねないからだ。
そんな親子のやり取りを隣で見守っていたアズサが、ふっと柔らかい笑みを浮かべて一華の背中を押した。
「一華、龍ちゃんのことは見ててあげるから、シン君と一緒に好きなもの食べてきたら?」
「いいの?」
「いってらっしゃい。」
お皿とお箸を片手にシンのもとへ向かう一華の背中に向け、龍輝がふと「ママ」と呟いた。そんな声が耳に届いたのは近くにいたアズサとハオだけだった。
「そう、ママだよ。」
アズサが肯定すると龍輝は指さしたまま「パパ」と呟く。またも声が耳に届いたのは近くにいたアズサとハオだけだった。
「うんうん、パパとママだよ。私はばぁばだよー。」
アズサが教えると、すぐ隣にいたハオが負けじと顔を覗かせた。
「私がじぃじだぞぅ。」
「バ・バ、ジ・ジ」
「じぃじ、ばぁば」
「じぃじ、ばぁば」
『パパ』『ママ』に続き、『じぃじ』『ばぁば』とアズサが丁寧に教えると、龍輝は素直にその響きをなぞっていく。
「うふふ、そうそう、龍ちゃん、お上手。」
アズサがパチパチと手を叩いて褒め称えるころ、当のシンと一華は、周囲の微笑ましい特訓に気づくこともなく、肉を頬張りながら穏やかな時間を分かち合っていた。
「龍ちゃんのパパとママ、仲良しだねぇ。」
「ぶー」
アズサのその言葉を聞き、龍輝はふっと小さな体をふんわりと浮かせ、シンの背中にピトッと張り付いた。
「あらあら」
「龍輝は自分も仲良しだって言っているのではないか?」
ハオが代弁する。
「龍ちゃん、どうしたの?」
一華はシンの背中に張り付いた龍輝に声をかける。シンは缶ビールを一華に預け、トングを置くと、龍輝をひょいと左手で抱きかかえた。
「なんだ。龍輝はもうお腹いっぱいなのか?」
シンは龍輝が自分も含めて仲良しだと飛んできたことを知らずに尋ねる。
「パパとママ、仲良しだねぇって言ったら、自分も含めて仲良しだっていうことらしいわよ。」
アズサの解説に、龍輝は得意げにコクコクと頷く。
「ふっ、そうだな。俺たちは三人とも仲良しだ。」
シンが優しく頭を撫でると、龍輝は「キャッキャ」と無邪気な笑い声を上げた。その様子を足元からじっと見つめていたサンが、「にゃんにゃ……(俺もにゃ!)」とばかりにすり寄ってくる。
シンは足元のサンを見つめながら「あぁ、サンも含めて四人は仲良しだ。」と応じた。
一華はさらに仲良くさせようと人間界ではできない遊び『乗馬』を体験させるため「サンちゃん、ポニーに変身して。」と声をかける。
ポンッ!
微かな魔力の波紋とともに、サンは漆黒の艶やかな毛並みを持つ小さなポニーへと姿を変えた。たてがみはふさふさで、しっぽは地面に着きそうなぐらい長い。
龍輝はサンが変身したポニーに笑顔を向け、小さな手をパチパチと叩く。
シンが魔力を解放して、サンの背中に鞍を設置すると、「龍輝、乗ってみるか。」と龍輝をその背中に乗せる。
初めての乗馬でありながら、龍輝はサドルホルダーを小さな両手でしっかり握り、サンの歩みに合わせて見事にバランスをとってみせた。
シンが完全に手を離しても、龍輝は笑顔で乗りこなしている。
「えっ、龍ちゃん、もう乗馬もできるの?」
一華の驚きの声に、周囲で肉を焼いていた社員たちも次々と手を止め、感嘆の声を漏らし始めた。
「すごいな。龍輝様はもう乗馬ができるのか?」
それを聞いた他の社員や家族までもがポニーを乗りこなす龍輝に目を向ける。
社員の子供たちも大きな馬とは違う珍しいポニーに惹かれ、わらわらとサンの周りに集まってきた。
囲まれて身動きが取れなくなった龍輝が小さく「ぶー」と不満の声を漏らす。しかし、親である一華とシンはあえてすぐには助けず、少し離れた場所から見守ることにした。
子供たちはポニーを触りながら、「可愛い」と呟いているだけで、龍輝に何かをするわけではない。
「龍輝はどう対処するかな?」
シンの問いかけに、サンが龍輝の戸惑いの感情を敏感に察知する。次の瞬間、サンはその場で真っ白な翼を持つペガサスへと変身しそのまま青空へと勢いよく飛び立った。
「うわぁ……!」
地上に残された子供たちが、頭上で優雅に旋回する美しいペガサスを見上げて歓声を上げる。龍輝は風を切る感触がよほど楽しいのか、「きゃはは!」と澄んだ笑い声を響かせた。
「代わりにサンちゃんが対処したんだね。」
「まだ、無理だったか……。」
「まだ、話せないし、喜ぶか怒るだけじゃぁねぇ。」
大空を何度か回ったペガサスは、一華とシンの目の前にふわりと着地する。シンが龍輝を降ろすと、サンはいつもの黒猫の姿に戻った。
「龍輝、怒るだけじゃ他人には気持ちは伝わらないぞ。もうそろそろ喋りだしてはどうだ?」
「えっ、龍ちゃん、本当は喋れるの?」
シンが冗談めかして耳打ちすると、龍輝は「ぶー」と小さく漏らした。まだ言葉にする気はない様子でぷいと顔をそむけた。
お腹を満たした子供たちが、再び黒猫に戻ったサンに群がる。
「私も乗ってみたい。」「僕も乗せて。」とせがむ子供たちに悪気がないと悟ったのか、サンは再び漆黒のポニーへと姿を変えた。
シンが魔力を解放して鞍を設置し、「ポニーだから、小さい子だけだぞ。」と声をかける。傍らに近づいてきていたレイモンドを乗せることにした。
「レイモンド、どうだ。歩いてみるか?」
レイモンドがコクコクと頷く。シンはいきなり手を離さず、背中を支えながら少しだけ一緒に歩き、やがて少しずつ手を離していく。レイモンドもサンの歩みに合わせてバランスを自身の体幹で取れている。
毎日、龍輝と一緒におもちゃコーナーいや鍛錬コーナーで遊んでいたおかげか、レイモンドの体幹はしっかりと育っていた。
短い往復を終えて戻ってきたレイモンドは、満足げな笑みを零している。
「レイモンドまで早くも一人で乗馬ができるようになっているとは……。」
「龍輝に付き合っていたら、嫌でも鍛えられたんだろ。」
「はい。龍輝様のおかげです。」
シンが次の子供を乗せ換えようとするが、龍輝に近い年齢の子供たちは、龍輝ほど体幹が育っておらず、高さに驚き泣き出す子まで現れた。
「乗馬体験はこれでお終い!」
サンの体力の限界を感じ取り、シンはポニーの乗馬体験を終了した。サンは黒猫の姿に戻ると、一華の足元へと一目散に逃げ帰る。
「にゃんにゃんにゃ……(疲れたにゃ……龍輝とレイモンドだけにしてくれにゃ……。)」
「サンちゃんが変身したからでしょ?」
「にゃんにゃにゃん……(そうにゃん……いい気ににゃってたにゃん……)」
その足元で、龍輝がサンの隣にしゃがみこみ、その背中をそっと撫でた。
「たいたい?」
その幼い響きが静まり返った足元に落ちた瞬間、一華は文字通り息を呑んで硬直した。心臓が跳ねるような衝撃の中、隣にいたシンもまた、トングを持ったまま動きを止める。
「えっ? 龍ちゃんが喋った……よね?」
驚いた一華がしゃがみ込むと、アズサが優しく微笑みながら頷いた。
「ええ、はっきりと。あなたたちのこと、パパ、ママって言ってたわよ? おまけにじぃじとばぁばも言ってくれたわ!」
「うっそー。龍ちゃん、ママって言ってみて。マーマ。」
一華が自分の顔を指さしながら期待を込めて覗き込むと、龍輝はくりっとした大きな目をパチクリとさせ、ハッキリと「マーマ」と紡いだ。続けて隣のシンを小さな人差し指で指し示すと、「パーパ」と綺麗に発音してみせる。
その瞬間、一華の胸に込み上げてきたのは、言葉にならないほどの熱い感動だった。魔王の血を引く我が子が、日々すくすくと育ち、初めて自分の意思で自分たちを呼んでくれた。目頭が熱くなり、思わず零れ落ちそうになる涙を堪えながら、一華は龍輝を力いっぱい抱きしめた。
「龍ちゃん……! すごいよ、お話しできたね……!」
一華の瞳にうっすらと浮かぶ涙を見たシンは、どこか気恥ずかしそうに目を伏せつつも、その口元には隠しきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「龍輝がようやく喋り始めたか。怒るだけじゃ何も伝わらないからな。」
照れ隠しのようにそう呟いたシンだったが、その手つきはいつになく優しく、愛おしそうに龍輝の頭を撫でていた。
「もう、シンたら、素直に褒めてあげたら? それとも、パパが最初じゃなかったから?」
「い、いやっ……そんなことは……ない。」
一華がそれ以上追及するのをやめると、シンはバーベキューそっちのけで、龍輝に次々と新しい言葉を教え始めた。何でもかんでも鍛錬化してしまうのはシンの性分らしい。龍輝もまた負けず嫌いの性格を発揮し、嫌がることもなく、一生懸命に小さな唇を動かして言葉を紡いでいく。
自分の考えを正確に伝えるにはまだ少し先のことだが、龍輝は今日、確実にその一歩を踏み出したのだった。




