第4節:暴れ龍の背負うもの
本日2本目です。
光圀の心が、大きく揺れた。
この美しく気高い女と共に、広大な世界を旅する人生。
それは、自由を愛する彼にとって、どれほど魅力的な誘いだろうか。
彼女の手を握り返し、このまま船に乗っていれば、退屈な謹慎生活も、息苦しい身分も捨てられる。
だが。
光圀の脳裏に浮かんだのは、水戸の領民たちの顔だった。
不正に苦しむ町人たち。汗水流して田を耕す農民たち。
自分が江戸で暴れ回ったのは、彼らを虐げる悪徳役人が許せなかったからだ。
(俺の国は、まだちっぽけだ。外の世界を知らねぇまま、内輪揉めばかりしてる)
光圀は、マリアの温かい手を優しく握り返し――そして、ゆっくりと離した。
「……マリア」
光圀の声は、どこまでも優しかった。
「俺には、扶桑国に待っている人がいるんだ」
マリアの顔が強張る。
血の気が引き、蒼い瞳が不安に揺れる。
「女、かい……?」
「違うよ」
光圀は小さく笑い、首を振った。
「俺の領地の、不器用で気のいい領民たちだ。あいつらは、お人好しで優しすぎるくらいだからな。……誰かが矢面に立って、守って導いてやらなきゃダメなんだ」
学問を広め、歴史を編纂し、己の国が世界の中でどうあるべきかを指し示す。
それこそが、徳川光圀という男が一生を懸けて成し遂げねばならない「使命」だった。
「俺がただの男だったら……」
光圀の眼光がわずかに揺れ、月の光に照らされて一筋の涙が頬を伝った。
「あんたの尻に敷かれて、一生海の上で暮らすのも悪くなかったがな。……だが、俺は徳川の人間だ。そういうわけにはいかねぇんだ」
漢の涙。
決して揺るがぬ覚悟と、彼女への深い愛情ゆえの拒絶。
マリアはその涙を見て、全てを悟った。
自分が愛した男は、自分と同じように「背負うもの」を持つ、本物の「将」なのだと。
「……そうか」
マリアは自らの涙を隠すように、フッと顔を背けた。
「馬鹿な男だ。海賊の宝より、泥まみれの民を選ぶとはな」
「ああ、俺は馬鹿だよ。世界一のな」
二人は夜風の中、肩を並べて静かに笑い合った。
その笑顔は、どこまでも切なく、そして美しかった。
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