第76話 デイトレイド実践見学1
9時になった。
画面の数字が一斉に動き出す。
静かだった板が、一気にざわつき始めた。
初値が付いた瞬間、株価は弾かれたように跳ね上がる。
ぐん、ぐん、と勢いよく上昇していく数字を、俺は息を呑んで見つめた。
9時前に注文を出していた1000株が、初値で約定していたようだ。
成り行きで注文を出していたらしい。
買えた値段を確認した道造さんが、その1000株を売るために注文の準備を始める。
成り行き売り、1000株――クリックしたらすぐに注文が通る状態だ。
成り行き売りは値段を指定しないため、買い注文さえあればその瞬間に約定する。
「指値の注文だと低めに設定しておけば問題ないが、高めに設定すると売れないときがある。今日みたいに上がる時は問題ないが、時には買値で準備しても売れないことがあるからな」
道造さんが画面を見たまま言う。
何やら解説をしてくれているようだが、俺にはその真意はよく分からない。
ただ、指値は金額を指定して注文をだす方法。
成り行き売りは、金額を決めずにいくらでもよいから売ってしまう注文方法だ……とこの前教えられていた。
成り行き買いは、値幅制限ぎりぎりの値段を上限に、いくらでもよいから買うという注文方法だ。
この場合、ストップ高の値段で買える株数までしか注文ができないため、買える株数はかなり少なくなってしまう。
値幅制限は、前日の終値を基準に決められていて『みず〇銀行』は、6468円のため制限値幅は1000円だ。
つまりこの場合、7468円から5468円の範囲でしか取引できず、7468円をストップ高、5468円をストップ安と呼ぶ。
7468円で1000株買えば746万8千円だが、6468円なら646万8千円しかかからない。
実際の約定金額が6468円だったとしても注文自体は746万8千円なければ成り行き注文はできないのだ。
このように、成り行き買いには買える株数が少なくなるというデメリットがあるが、成り行き売りは持っている株を売るだけなので、こういうデメリットはない。
それに、実際の成り行きの売買は、注文を出した瞬間に大きく値が動けば、想定していた値段と大きく変わることになるので不確実性がデメリットといえる。
だが、ほぼ確実に約定する。
指値で注文を出した場合、売りは注文の値段より安く売られることはないし、買いは注文の値段より高い値段で買われることはない。
だが、約定できないことも多くなる。
注文の仕方ひとつで起こる事象は変わるということを、理解しておく必要があるのだ。
そういうことを、道造さんは言いたいのかもしれなかった。
「成り行きで、注文を出しておいたんですか?」
「そうじゃ。指値で注文を出しても、今日は買えないと予想していたんでな」
なるほど。
さした値段以上の初値が付いたら買えないことになるんだもんな。
もちろんその後上がり続けた場合のことだが……実際そうなった。
予想的中……さすがだ。
次は売る番ということだね。
道造さんが多機能チャートを真剣に見つめている。
ボリンジャーバンドが2σを超え、そして3σをも超える。
MACDは緑の線が赤の線に近づき始めている。
「ここじゃな」
道造さんがマウスをクリックする。
準備されていた売り注文が通る。
「いくらで売れたかのう?」
道造さんが売った瞬間に株価が下がり始めた。
すごい。
「道造さんが売ったら下がりだしましたよ!」
「まあな。ぎりぎりじゃった。わしの売りが引き金になったのじゃろう。皆、売ろう売ろうと構えておったはずじゃからな」
そうか、道造さんは画面の向こうのトレーダーたちと戦っていたんだな。
そして、今は勝ったんだ。
「120円抜けたから、12万円の儲けじゃった」
すごい。
この一瞬で12万円儲けたのか!
「さて、今日は何回取引できるかのう」
道造さんは、画面を三井〇友銀行に変える。
多機能チャートも三井〇友銀行に。
ボリンジャーバンドもMACDも下がり続けていた。
「だいたいメガバンクは同じような動きをするからのう。というより大方は日経平均が上げる時は多くの銘柄が上げ、下げる時は下げるもんじゃ。連動するということかのう。いや、外部環境の影響は皆同じに受けるということか」
なるほど。
みんな上がる時は上がり下がる時は下がるんだな。
「銘柄によって外部環境が逆に働くものもあるが、そういうのは少数じゃな」
上がる時に下がるのもあるってことか?
すべてが同じってわけじゃないと……
それじゃあ、言ってることが違うじゃないか。
「そういうのも傾向として、見て覚えることじゃぞ。多くの銘柄が似た波形を描いて、同じところで上がり、同じところで下げておる。同じ業種は特に似るな」
つまり、株に資金が入った時は日経平均が上がり、その時は多くの銘柄が値上がりすると……また、その逆もあるってことかな。
でも、個別の要因もたまにはあるから、これも絶対じゃないってことね。
「うむ。今日は銀行は上げ傾向。そろそろ反転するころじゃろう」
道造さんが2つのテクニカル指標を鋭い眼光で見つめる。
ボリンジャーバンドは株価が移動平均線にぶち当たっていた。
そしてMACDも緑の線が赤い線を下から上に突き抜けている。
MACDの買いサインだ。
今回は、信用するということね。
三井〇友銀行の株価は朝方5458円をつけたが、今は5372円まで下がっている。
道造さんが三井〇友銀行に買い注文を出す。
5372円で1000株――今度は指値注文だ。
即座に買えるかと思っていたが注文が通った時には5374円に上がっていた。
タイムラグの影響が思ったより大きいな。
これじゃあ、買えないんじゃないだろうか。
道造さんは、口をへの字に曲げながら画面をジッと見つめている。
注文しなおせばいいんじゃないかな――。
74円と73円で売り買いされていたが、一気に73円の板が食いつくされる。
板が一段変化して73円が売り板になり72円が最上位の買い板に変わった。
だが、道造さんの注文は72円の売り物の最後のほうに位置するはず。
買えるまでは、72円の出物が相当買われなければ順番が回ってこない。
俺もジッと板を見つめる。
72円の板が一瞬食いつくされて、またすぐに復活した。
これは、きっと今、買えたんじゃないか?
道造さんが買えているかを確かめる。
本日約定一覧のページを開くと5372円で1000株約定していた。
次は上がるのを待つ番だ。
しばらく値動きは大きくは上がらなかった。
71円と74円の間をうろうろしている。
ボリンジャーバンドは株価が移動平均線に沿って動き、MACDも緑の線と赤い線が重なって動いていた。
正確には71円で下抜けし74円で上抜けしている。
1分ごとに上抜けと下抜けの表示が変わる。
そして5分後――緑の線が大きく上抜け、株価は一気に76円にあがった。
俺は思わずぐっと拳を握った。
道造さんは冷静に、目を細めてその動きを見ている。
こんなことは、慣れてるってことみたい。
はらはらして見ていた自分がバカみたいだった。




