第75話 デイトレイド直前口座
『みず〇銀行』の画面には、数字、記号、グラフ、多くの情報がびっしりと並んでいた。
その中でもチャートと呼ばれる波打つグラフと、板と呼ばれる注文の状況の表が、ひときわ大きく目立っている。
「以前に教えたことがあったじゃろう。これが、チャートと板じゃ」
以前に話は聞いていたが、実際見たのは初めて。
なるほど、これが板とチャートか。
「チャートは、今までどういう値段で推移してきたかを表したグラフじゃな。板は、今の注文状況が分かる」
「はい」
「6468円を境に、売りと買いがどれだけあるか1円刻みに分かるじゃろう」
道造さんが、板を指さし解説する。
板の中央には、上から下へと価格が1円刻みで並んでいる。
6468円を境に、左側には売り注文、右側には買い注文。
6468の左には、何千株もの売り注文。
6467円の右には、同じく何千株もの買い注文が積み上がっている。
「取引が始まると、これが動き出すんじゃ。目まぐるしくな」
それがもうすぐ見れるっていうわけか。
取引が成立するたびに値段が更新され、売りと買いの数量が変化していく。
この表は、その戦場をリアルタイムで映しているというわけね。
「ここを見てみい。売り板が厚いじゃろう。ここを超えるにはかなりの買い注文が必要じゃろう」
道造さんが指差した先には、他より大きな数字が並んでいた。
中央の数字が昨日の終値――最後についた値段。
その上下、およそ十段ほどの価格が並んでいる。
6478から、6445まで。
その中には、ところどころ数字が飛んでいる部分があった。
つまりそこには注文がなく、空白になっているということだ。
「そうですね」
「こういう板の厚いところでは、相場が反転しやすいということじゃ」
「買われていた流れが、ここで止まって、売りに転換しやすいと?」
「この板を食いつくさなければ、上には行けんからな」
壁みたいなものか。
分厚い売り注文の壁を突破しなければ、価格は上がらない。
「確かにそうですね」
「下にも板の厚いところがあるじゃろう」
「はい」
「ここも、食いつくさなけりゃ、下には行けん」
「はい」
「逆に、こういうところをあっさり抜いて行くようなら、まだまだ勢いが止まらないっちゅう感じじゃな」
「なるほど……動きを見ていることで、そういう気配を感じとるわけですね」
「そういうことじゃ」
ただの数字の羅列だと思っていたものが、少しずつ意味を持ち始める。
これはただの表じゃない。
人の心理と金がぶつかり合う、『流れ』そのものだ。
「じゃあ、勘が大切なんですね」
「勘が一番大切じゃが、その勘が働くのを助けるのが分析じゃ。多機能チャートを表示してみようかの」
道造さんがページの下の方をクリックすると、新しいウィンドウが開き、別のチャート画面が追加された。
「設定じゃが、わしはボリンジャーバンドとMACDを参考にしとる。ストキャスティクスとかもたまに見るがのう」
ボリンジャーバンド、MACD、ストキャスティクス?
難しい専門用語が飛び出したな。
まあ、名前だと思ってスルーしておけばいいか。
「分析プログラムの名じゃと思っとくれ。とりあえず、今はそれでいい。個別に説明していくからの」
「はい」
設定が終わると、さっきよりも複雑な線が何本も重なっている。
俺は、画面に並ぶ線と数字を見つめながら、小さく息を吐いた。
そんな俺の様子を横目で見て、道造さんがクククと喉の奥で笑う。
「この7本の線がボリンジャーバンドじゃ。真ん中の線が移動平均線、そして上下に3本の線が±1σ、±2σ、±3σ。これは標準偏差を利用した線で株価がバンド内に収まる確率を示しているそうじゃ。それぞれ68.3%、95.4%、99.7%が収まるんじゃと。細かいことは知らんでいい。要は2σを超えたらそこそこ上がってるし、3σを超えるのはかなり高値だということが分かればよい」
なるほど。
……難しい計算は知らなくても、3本目の線を越えたら売り時って思えばいいんだ。
「ただしじゃ」
道造さんの声が、少しだけ低くなる。
「2σに沿って動いたり、3σに張り付くように動くこともある。95.4%や99.7%という数字だけで、そこが転換点とは限らないんじゃ」
――え、まじか!
3本目の線を越えたら即売り……ってわけじゃないのか?
「だから、勘が大切ということじゃよ。分析は分析。未来予知にはならん」
きっぱりと言い切られる。
……なるほど。
結局、最後は勘か。
「次は、MACDじゃな」
道造さんが、画面の下に表示された別のグラフを指差す。
「これも難しいことは分からんでもいい。この2本の線の赤がシグナル線、緑がMACD線といって、緑が赤を下から上に抜けた時が、買いサイン。上から下に抜けたら売りサインなんじゃ。それから0より上にあれば上昇トレンド。下にあれば下降トレンドじゃ」
……え、なにそれ。
めっちゃ分かりやすいじゃん。
これ、いつ売って、いつ買うか、まるわかりなんじゃね?
これさえ見てれば勝ち確定じゃん!
「じゃが、だましもよく出るんじゃ」
その一言で、あっさり崩された。
思わず顔をしかめる。
……だまし?
間違うってことか?
つまりは、あてにならねーのかよ!
「下ぬけしたと思ったら、すぐに上ぬけし返したり、上ぬけしたと思ったらすぐに下ぬけし直したりな……」
なるほど、確かにそういう動きもあるかもな。
「まあ、とにかく分析では未来は読めん。あくまで確率の話じゃからのう」
淡々とした声だったが、その言葉は妙に重かった。
つまり、どれだけ分析しても――
外れる時は外れる。
つまり、最終的には勘だ。
「こういうテクニカル分析は、大いに参考にはなるが、100%正解とは限らん。じゃから、信じるか信じないかは勘じゃな」
「つまり、最終的には勘なんですか?」
「まあそういうことじゃ」
なーんだ。
結局勘なら何でもいいじゃん。
「じゃがな」
道造さんが、わずかに声を強める。
「勘を働かせるにも根拠がいる。シグナルを何度も見ておると、『これは当たる』『これは怪しい』となんとなく感じるものよ。それが勘なんじゃ」
――ああ。
なんとなく、分かった気がする。
ただの思いつきじゃない。
経験からくる違和感みたいなものか。
「なんのテクニカル分析も使わんより、値動きを当てる確率は明らかに上がる。じゃから……」
何でもいいわけじゃねーな、こりゃ。
むしろ逆だ。
ちゃんと見て、考えて、その上で勘を使う。
「勘が働くのを助けるのが分析なんですね」
「そういうことじゃ」
道造さんが満足そうに大きく頷いた。
テクニカル分析に頼り切るな――
でも、使わないのも論外。
「まずは、見て学ぶことじゃな。そろそろ9時になる。取引が始まるぞ。寄り付きは値動きが激しい。ここで取引ができればよいのじゃがのう」
道造さんはそう言うと、パソコン画面を睨みつけた。




