第222話 気まずいんじゃない?
石神駅に戻ってきた俺は、晩飯を『お食事処・酔いどれ』で食べていっていいのかと悩んだ。
とーちゃんの邪魔になったりしないかな?
とーちゃんは、俺のことを自慢していたけれど、女将さんにしたら俺はとーちゃんの妻の実の子だ。
とーちゃんとかーちゃんは正式には離婚していないから、女将さんは現状浮気相手ということになる。
女将さんは俺に会うのは気まずいんじゃないか?
それに......よその女ととーちゃんの子である俺を、嫌っていても不思議はない。
というより俺を見れば、かーちゃんを意識しないわけにはいかないよね。
昨日は、とーちゃんと女将さんがそういう関係だとは思っていなかったから、遠慮せずに行っちゃったけど――やっぱり、行かない方が無難だろうか。
俺は今日、別のところで晩飯を食べることにした。
そうだねえ............以前道造さんと行った町中華――あそこがいい。
細い横道を入って道造さんと何度も換金しにきた買取所を通り過ぎる。
ワンブロック向こうの少し広い道に出て右に曲がると、赤いのれんのかかった町中華が見えてくる。
少し色あせた看板。
油で黒ずんだ換気扇のフード。
入口の横には、手書きの「冷やし中華はじめました」の紙。
そう――ここここ。
ガラガラっと引き戸を開けて中に入る。
店主の中年の男が、右掌で空いているカウンター席を指さした。
席に着くと、おばちゃんが冷たい水と少し角の折れたメニューを置いていった。
「餃子と高菜チャーハンね!」
道造さんと一緒に食べたメニューを頼む。
「餃子1つ、高菜チャーハン1つー!」
おばちゃんが注文を繰り返す。
「はいよ!」
店主が返事をすると、厨房の奥からは、中華鍋を振るう音が響いてきた。
ガコン!
シャッ、シャッ、シャッ!
強火で一気に炒める音。
油がはじける音。
何とも言えないにんにくとごま油の香りが鼻をくすぐった。
「はーい。高菜チャーハンと餃子1枚ね!」
おばちゃんが、そっけなくチャーハンと餃子をカウンターに並べた。
湯気がふわりと立ちのぼる。
高菜の混じった黄金色の米粒が、油をまとってつやつやと光っている。
その横にはこんがり狐色の焼き目が付いた小ぶりの餃子が五つ、きれいに弧を描いて並んでいる。
餃子の横には、刻みねぎが浮かんだ澄んだ琥珀色の中華スープが揺れている。
道造さんと一緒に食べたあの時のままだ。
高菜チャーハンにレンゲを差し込む。
ぱらり、とほどける米を口に運んだ。
うめー!
高菜の塩気と酸味がじわっと広がり、そのあとに卵の甘みが追いかけてきた。
やっぱりここの高菜チャーハンは最高だぜ。
俺は我を忘れてがつがつと食い続けた。
晩飯を食い終わり、家に帰ると机の上に置手紙を見つけた。
とーちゃんからだ。
昼間にとーちゃんが戻ってきていたみたいだ。
家にいればよかったかな。
手紙に目を通すと――やっぱりね。
とーちゃん、金を全部使っちゃったんだってさ。
明日は綾華が迎えに来るし、とーちゃんに金を渡せるのは今晩しかないよなー。
本当に困ったとーちゃんだぜ。
どうして金を使いきったんだ?
昨夜は女将さんと一緒にいたのだろうから、ぼったくられには行っていないだろう?
......いったいどういうことかねえ?
一昨日までに使い切ってたってことか?
だから昨日、俺の飯代を代わりに払うって言わなかったのか?
金があったら、格好つけのとーちゃんだもの、俺が払うって言ってただろう。
確かにつじつまが合う。
一昨日までに使い切っちゃってたんだ......間違いないわな。
さて――それじゃあ今から金を渡しに行こう。
でも......いったいいくら渡せばいいんだ?
とーちゃんには1日100万渡せばいいと思っていた。
でも、いったい何日分渡せばいいのだろうか?
それに、今のとーちゃんは、ぼったくられに行っていないんじゃないのだろうか?
なら、1日100万円も必要ないはずだろう?
明日はサッカーの予定だから、晩飯時に会おうと思えば会える。
金が欲しかったら取りに来いと言っておけば取りに来ることはできるはず。
............100万円渡せばいいか。
そんなことを考えながら、俺は『お食事処・酔いどれ』に歩いて行った。
駅近くの裏路地を入り、両脇の看板の灯に照らされただけの細く暗い道を進んでいくと『お食事処・酔いどれ』に着いた。
引き戸を開けて中に入ると、カウンターの中にとーちゃんの姿。
俺はとーちゃんと目が合うと、手招きをした。
女将さんの目の前で金を渡すのは、気が引ける。
とーちゃんの格好がつかないもん。
店から出て道で待つと、すぐにとーちゃんが出てきた。
「天心、晩飯食っていかねーのか?」
「もう食べたんだ」
「毎晩食いに来てくれりゃあいいのによ」
「女将さん、いやな思いしないのかな? 俺を見たらかーちゃんのこと意識するんじゃないの?」
「売上が上がるから、来てくれた方がいいんじゃないか?」
「フーン。――なら、毎晩食いに来るわ。とーちゃんとも会えるしね」
「そうしてくれ。それから金持ってきてくれたよな」
「うん」
俺はとーちゃんに帯封付きの100万円を渡した。
「明日も持ってきてくれよな!」
「とーちゃん。昨日は女将さんの部屋に泊まったんでしょ?
ぼったくられに行っていないよね?」
「なんでそれを知ってるんだ? ......まあ、――想像はつくか」
「ぼったくられに行っていないなら、金は余っているんじゃないの?」
「面目ねー。一昨日までに使い切っちまったのよ」
とーちゃんは、気まずそうに頭を掻いて俯いた。
「まあ、いいけど。でも、これからはぼったくられに行かないんでしょう?
行かないなら、そんなに金は使わないよね」
「まあな。でもよ、――静のやつ、借金に縛られてるみてーなんだ」
マジか! ......幸薄そうだとは思っていたけど。
女将さん、静さんっていう名前なんだ。
......もう呼び捨てにする関係なのね。
「いったい、いくらくらい借金があるの?」
「まだ、そこまで打ち明けてくれねーんだ」
とーちゃんが心配そうに眉根を寄せた。
「――で、とーちゃんが借金の肩代わりをしてやりたいと?」
「まあ......できればな」
「とーちゃん、泥棒はしないでよ。金なら俺が何とかするから」
「すまねーな。頼りになる息子を持って俺は幸せだぜ......」
とーちゃんに、頼りになる息子を持って幸せだと言ってもらえた。
そこはかとなく嬉しいぜ。
「じゃあ、明日も来るから借金の総額が分かったら教えてね」
「ああ、頼んだぜ。俺は店に戻るから――」
とーちゃんが、踵を返して店に入って行った。
俺も店を後にして歩き始めた。




