邂逅3
北海道懐古編が続いていますが、あと数話で終了の予定です。
もうしばらく、ご辛抱ください。
さて。
はるばる東京から北海道にやってきたんだけど、寄りたい事はもうひとつだけだ。
本当は礼文にも行きたかったけど、寒さの問題で今回は見送りだし、どこに行ったかわからない人の消息を探すほどの時間もないからね。そういうのは次回に託すことにする。
だったら、残るは最後。
昨日のマスター同様、あの頃迷惑をかけたもう一軒に。
キャンプ場のあった上富良野町から、九線道路を通って富良野市に戻ってきた。
そのすぐちかくに、昔何年もお世話になったその農家はある。
「お、納屋が新しくなってら」
家屋が古びたのをのぞけば、昔と全然変わらない。
あの頃、親方が乗ってた乗用車がなくて軽四が見えるけど……もしかして修理か車検か?
「ここ?」
「ああ、俺の記憶で見てみな?スイカ農家のケンさんの家だよ」
首をかしげるノルンに教えてやった。
ノルンは俺の記憶を見ているらしいが、要は他人の日記帳を見るようなものらしい。
だから俺にとっては馴染み深いキーワードでも、ノルンにはそれがわからない事がある。
そういう時は、こうしてヒントをなげてやるわけだ。
入り口の広場にバイクを止めた。
広場はトラクターが出入りする時の邪魔になるが、今の時期はハウスで作業をしているはず。
防除などで使うにしろ、もう少し先だろう。
このあたりの畑は大型機械を入れるため、一枚で五反、二枚で一町の広さがある。バイトに来ていた頃は歩き回り、走り回るので、運動不足になる事だけは絶対になかったなぁ。
よし。
「悪いけど」
「うん、待ってる」
いってらー、と明るく手をふるノルンに見送られ、俺は中に入っていった。
農家というのは作物やスタイルにもよるだろうけど、普段は畑仕事をしているわけだ。
となると、収穫期や農閑期を除けば昼間の母屋ってのは無人が多いわけで。
「うん、やっぱりいないな」
何棟かあるハウスの中だろう。
懐かしいあぜ道に入り、てくてく歩いていくと、軽トラのとまっている入り口が見えた……うん、あそこで間違いないな。
顔をつっこみ、すみませんと声をかけた。
「はい、どちらさまで?」
遠くからかけてくる声が、どこか、けげんそうだった。
あー……さすがに客商売のマスターと違って気づかないか。
「すみません、昔お世話になった諸田誠で……」
「あぁぁ、てめーマコか!!ははは、久しぶりだなオイ!!」
「……どうも」
本当にみんな、ほんとにマコ、マコばっかなんだからもう。
しばし家の方に移動して休憩となった。
「すみません仕事中に。今はハウスだろうと、ちょうど休憩の時間を狙ったつもりだったんですが」
「おう、さすがにわかってんな。
最近は二人だけになって、路地はやめちまってよ。ハウスだけでまったりやってんだわ」
「そうですか……じゃあ、じっちゃんとばっちゃんは」
「親父はだいぶ前だよ。
おふくろは、実は去年の春まで生きてたよ。百歳で市からお祝いもらってな」
「そうですか……会いたかったなぁ」
改めて紹介する。
懐かしいふたり。
富良野のスイカ農家で俺の大恩人、ケンさんと若奥様の通称ママさんだ……って、今はもう若奥様じゃないけどな。
昔、このへんにいた頃、何年もスイカのバイトでお世話になったんだ。
まだ雪の中の頃からハウスの設営を手伝い、間のちょっと暇な時期を除き、収穫までほとんどお世話になっていた……しかも何年も。
物価も安く、町で借りたアパートもたったの月、一万一千円。
風呂は近くに銭湯があった。
農繁期は朝六時に出勤して朝食から親方のとこで、日が暮れるまでお仕事。
こう書くと大変そうだけど、六時に行くと朝食をケンさんとこで一緒に食べさせてもらい、それから仕事に入れたんだよ。
当然、昼も、場合によっては夜も呼ばれてた。
こうなると、使うお金は銭湯代、酒代、車の燃料くらい。
そうして貯めたお金で、暇な季節に道内各地を回っていたってわけ。
とにかくお金がかからないもので、俺はなかなかバイト代をもらわなかった。
なので、「こらマコ、うちを銀行代わりにすんな」とよくケンさんに叱られたもんだ。
それほど忙しくない季節には、富良野平野の雄大な夕暮れを見つつ、のどかな気持ちで家路につく。
ははは……しまいにゃ、短期バイトくんの給料計算まで手伝ってたもんなぁ。
牧歌的というか、ひどくなつかしい思い出だ。
「いや、あの頃は本当にお世話になりました」
「いやいや、おまえは仕事があれば通年きてくれたしよ、勝手もわかるし性格もわかってる、こっちも使いやすかったさ。
それに比べて最近のやつ、知ってるか?」
「そういや公園のキャンプ場で求人できませんよね?どうしてんです?」
昔は、近郊のキャンプ場に長期滞在者がいて、そこから若者を雇えたんだ……実を言うと、俺もそうやってケンさんとこと縁のできた一人だったりする。
でも近年、公園のキャンプ場は閉鎖になり、今はそもそも野営自体が禁止になってしまった。
ならば当然、別のルートで雇うしかないわけだけど。
「うーん、別の方面から紹介してもらって人が来るんだけどよ……やたらと細かいし、何かあるとすぐやめちまうし、なんとも使いづらいんだよなぁ」
「ありゃ」
俺は頭をかいた。
「いや、俺も腹こわしてばあちゃんに腹巻き作ってもらったし、昼寝してて午後に寝坊したこともあるじゃん。そんないいもんじゃなかったんじゃ?」
「おまえ、朝六時にこいったら六時からくるし、農繁期とか休みくれとも言わずにがっつり来ただろ?
けど今どきの子にそんな事したらすぐやめちまうし、早朝から働かしたとか文句言われるし」
「えー……朝くるのお得じゃん。
出勤してすぐご飯が食べられて、それで一休みしてから仕事だよ?
そりゃー農繁期はてんてこまいだけど、そんなん農家なんだから当たり前じゃん。
俺、なんて楽しいバイトだろって思ってたよ」
「ははは、おまえはそうだろうな……けどよ、今はそういう時代じゃねえって事だわ」
「そうか……親方も大変だなぁ」
「まったくだよ」
ちなみにケンさん夫婦には子供がいない。
俺がお世話になっていた時にも、結婚して何年もたつけど子供ができないと言ってたからな。
あれだけラブラブでも子供できないとなると、たぶん無理じゃないかと思っていたが……この雰囲気からすると、どうやら的中しちまったか。
じっちゃんとばあちゃんがいなくなって、寂しくなった家には猫が増えていた。
その猫を見て、だいたい事情が察せられたので、俺は子供については話題に出さなかった。
さて、仕事中の農家をいつまでも止めておくわけにはいかない。
おいとまする事にした。
なつかしい玄関から出て、そして周囲を見て。
「それじゃ、どうもいきなりすみませんでした」
「いや、いいさ。久しぶりだったからな。
それで今日はどこまで行くんだ?」
「はい、いけるとこまで──それじゃ!」
そういうと俺は手をふって別れ、バイクに戻った。
「──どうだった?」
「どうとは?」
「探してるひと、いたんでしょ?」
出発するためにレブルの荷物を直していると、ノルンがそんなことを言った。
だから俺は言い返した。
「いっとくけど、昔の恩人ですよ?サワナさん?」
『あら』
ノルンは──正しくは、ノルンにアクセスしてきたサワナさんは、困ったように頭をかいた。
『気づいてたの?』
「正しくは、今気づきましたね。
話を戻しますけど、ここのひと──昨日のマスターもケンさんもですけど、俺たちの事はもう、昔の思い出の中なんです。
だから、今の状況はわからないんですよ」
『そうなの?』
「ええ」
実際、そのとおりだった。
マスターは彼女のことを話題にも出さなかった。
ケンさんにいたっては、むしろ俺より知らない状態だった。
……まぁ、なんとなくわかる。
俺とあのひとの縁は切れちまったんだ。
たぶん俺にはもう、あのひとと会える日はこないんだって。
「あと、もう一点。
俺、年金暮らししているおばあさんを、そういう対象には見ないですよ?」
『え、そんな年上なんですか?』
「当たり前です、旅の大先輩ですよ?世代からして違いますって」
俺はためいきをついた。
「なんか今回の旅って、男とばかり会ってる気がしますよ俺……あとは人でない存在かな?
ま、いくつかの心残りは解消されましたけどね」
『まぁ、それはよかったですね』
「ありがとうございます……もうそろそろ帰途につきますよ」
『そうですか。気をつけて戻ってくださいね』
「ありがとうございます」
まぁ、その前に見ていくところがあるけどな。
俺はレブルのハンドルを富良野の市街にむけ、発進させた。
──そしたら。
「ありゃ」
あぜ道の向こうで、誰かが手を振ってる……ありゃケンさんとママさんじゃないか。
よしと、俺もレブルから手を振った。
──さようなら、昔の俺を助けてくれた大切な人たち。
ありがとう。
本当に、本当にありがとう!!
途中で視界がくもったので、シールドをあげて少し目をこすった。
「……なんだよ」
「なんでもなーい」
ノルンはニコニコと笑うだけだった。
市街地の外れ。
立体交差を抜けて左折し、ガソリンスタンドを目印に左折すると、その空き地はあった。
だけど。
その場所にきた俺はレブルをとめ、思わず立ちすくんだ。
「……取り壊し済みだったか」
何もない雑草だけの空き地を見ていると、とても切ない気持ちになった。
俺が絶句していると、ノルンが俺をじっと見上げてきた。
「どうした?」
「ここ、なに?」
「ああ──ここは昔、俺が住んでた借家があったところだ。
例の大先輩も、となりに住んでた。
ちなみに、この区画の住人は全員、旅のはてに富良野に住み着いた人たちだったんだぞ」
ああ、うん。
こうして説明しているだけでも、あの頃の光景が目に浮かぶよ。
──マコ?
──マコくん?
俺の都合で、俺自身が手放してしまった幸せな日々。
優しい人たちの声が、記憶に重なって聞こえてくるようだった。
「へー」
もちろんノルンにとっては、俺のはるかな郷愁なんてどうでもいいんだろう。
レブルから飛び立つと、ふわふわと空き地の中を飛び回った。
「何も残ってないと思うぞ?」
「うん……?」
ノルンはフワフワと飛んでいたが、やがて空中に一点で止まった。
……何をやってんだ?
「お」
なんか、ノルンから蔓草みたいなのがガーッと伸びたかと思うと、地面から何かを掘り出しやがった。
なんだ今の。
いや……もしかして例の「もらった加護」関係ってやつかな?
ま、まぁいい。
ノルンが取り出したもの……大きさは、だいたいノルンが両手でもつほどの球体だった。
そしてノルンはそれを抱えると、俺の元に戻ってきた。
「これ、埋まってた」
「漁師の浮き玉じゃないか、よくそんなもん残ってたな」
大昔の、ガラス製の浮き玉だった。
しかし、よく壊れずに残ってたな。
おそらく取り壊してから重機で整地もしたろうに。
もちろん、この浮き玉はこのへんのものではない。
あたりまえだ。
ここは富良野、北海道のへそなんて自称していた町だ。
こんなところに海で使う、しかも古いガラス製の浮き玉が自然にあるわけがない。昔の誰かが忘れていったものだろう……?
「あ、これ桃マークじゃん」
見覚えのある、懐かしいマーキングの素人塗装でピンクの桃が描かれていた。
漁師のガラスの浮き玉に、素人塗装で桃……これはたぶん。
「……こりゃまた、ずいぶんと懐かしいものが」
「?」
「ああ、これな。
俺の部屋にも桃マークのガラスの浮き玉あるだろ?紐で編んだ網にいれて吊ってるやつ」
「!」
ノルンも理解したらしい。
「そ、あれと同じものだよ。
もうずいぶん昔に、礼文島の宿であったイベントで配られたものなんだよ」
当時、あれに居合わせた者で、その後、富良野のとこに来訪した者……誰かの忘れ物だろうな。
取り壊しのあとに訪れた誰かが埋めた可能性は……?
いや、ないか。
だったら、こんな玉のままボロボロで埋まってるわけもないか。何かに包むかどうかするだろう。
「袋か何かで包まれてなかったか?」
ふるふると否定。
うん、やはり忘れ物だろう。
最初に包まれていた網は……何しろ十年単位だからな、土で腐って失われたか。
「……わかった、もらって帰ろう」
本当は持って帰るべきじゃないのかもしれない。
だけど。
ここにあり続けても、いつか再開発か何かのおりに壊されるだけだろう。
だったら。
このタイミングでノルンがほりあてたのも、ひとつの運命かもしれない。
俺はその玉を荷物の隅っこにいれた。
「よし。って、もう昼か。よし動くぞ!」
「おけ」
エンジン始動。
最後に、思い出がいっぱい詰まった……今はもう何もない場所を見て。
「……」
そして、静かに立ち去った。
桃のマークの漁師の浮き玉
今はどうなってるのか知りませんが……。
昔、礼文島の桃岩荘ユースホステルでその昔、閉所記念で貰えた古い浮き玉そのものです。
桃のマークが何かの塗料で描かれていて、僕が持っている92年のものも、未だに桃のマークもきれいに残っています……包んでいる網はもうボロボロですが。
繰り返しますが、今どうなっているのかはわかりません。
浮き玉にガラスが使われていた大昔の異物で、廃棄になったものの再利用だと思います。よって、なくなった時点で終了になったかもしれません。