南総に向かって出発[3]
「!」
サワナさんは抱きしめられてビクッと反応したけど、抵抗はしなかった。
「……よしよし」
そのまま俺に身体を預けつつも、自分は震えながらサーナちゃんをあやし続けた。
広いハイエースの運転席だけど、それでも大人ふたりプラス幼児の抱擁にはちょっと狭いようだ。
だけど、それでも俺はサーナちゃんが泣き止み、サワナさんの震えが止まるまで抱きしめ続けた。
やっと落ち着いてきたところで、ようやく離れた。
「すみません」
「いえ、ありがとうございます」
照れているサワナさんの顔を見て、ようやく俺もサワナさんの感触を思い出した。
彼女の体って、おそらく衣服からそのようだけど、滑らかで金属のボタンやバックルのように、ごつごつとひっかかるものがほとんど存在しない。ひたすらに柔らかくて、暖かく、そしてエロティックだ。
いつまでもさわりたい、もっとさわりたいと思ってしまう種類の滑らかさというか。
あーうん、旦那さん、きっと彼女をかわいがっていたんだろうなぁ。
そんな邪念をふるふると追い払うと、サワナさんに告げた。
「落ち着いたみたいだけど、どうする?
ふたりとも怖がってるようなら鈴を止めて元に戻すよ?」
「いえ、このまま行ってください」
きっぱりとサワナさんは言った。
「でも、怖いんじゃないの?」
「急にひとの気配が消えたので、驚いたんですよ。
うまく説明できないんですが……たった今まで、朝から晩までうるさいほど聞こえ続けていた喧騒と唸り声みたいなものが、いきなり耳鳴りがするほどの静寂に変わったと思ってもらえますか?
たとえそっちが本来正しいと知っていても、それでも驚きますよ」
「ああなるほど、そういうことか」
「わかっていただけますか?」
「それほど強烈じゃないけど、イメージとしては理解できた」
年末とか飛行機で実家に帰ると、気味が悪いほど静かなのに困惑することがある。
空港や連絡バスでは周囲に音があるからいいけど、降りて郷里に降り立つと異様な静寂に気味が悪くなるんだ。
それは都会の喧騒がそれだけ酷いわけで、静かな田舎が当たり前なんだけど。
けど、その暴力的な騒々しさに順応していると、逆に静寂が怖くなってしまう。
だから、そういう意味では、少しだけなら理解できた。
「うーん、あまり大丈夫な気がしないんだけど?」
「大丈夫ですよ」
サワナさんはサーナちゃんをチャイルドシートに戻すと、額にちゅっとキスをした。
サーナちゃんはそれで完全に落ち着いたのか、ふわぁと眠そうにあくびをし、そのまま居眠りをはじめた。
そして。
「……」
なぜか俺をじっと見ているサワナさん。
「あの、なんですか?」
「おまじないくれますか?ここに」
ツンツンと自分の額を指でつっつくサワナさん。
「あの、もしかして、同じように額にチューしろとか言いませんよね?」
「よろしくお願いします」
上目遣いで、甘えるように言い切られた。
「いや、それはさすがにやばいでしょ!」
思わず口ばしってから、自分の失言に気づいた。
でももう遅い。
「そこはホラ、役得ということで」
「……」
「お願いします」
どうやら逃げ場はなさそうだった。
ここで最後まで拒否したとしたら、もちろんだけど強制はされる事はない。
だけどおそらく、彼女と俺の距離は永遠に詰まることなく終わる気がした。
それはイヤだと心底思った。
──ええいままよ!!
俺は、なんかものすごく危険な予感を感じつつも、誘われるままにサワナさんの額に口を近づけた。
……どうか、このかわいい人が怖い思いをしませんように……
チュッとして、そして顔を離した。
「……」
サワナさんは、なんだか夢でも見ているような顔で俺をボーッと見ていたが、やがてハッと気を取り戻した。
そして、ウフフ楽しそうに笑って俺を見た。
「ありがとうございます、やっと落ち着きました」
「ホントに?」
「ええ。さ、行きましょう?」
「……わかった、じゃあシートベルト」
「えー」
「可愛く誤魔化してもダメです。シートベルト」
「はぁい」
なんだろう、急にサワナさん、べたべたと甘えるような態度になってきたけど。
もしかして、こっちが素の性格だったり……いやまさかね。
小柄で細めで、たおやかで、たくましく生きているのに本性は甘え系とか……危険すぎる。
恋は遠い日の花火ではない。
昔のTVCFが頭の中でリフレインした。
そんな甘い幻想を必死に振り払う。
ないない、そんなうまい話なんぞあるものか。
きっとそれは最悪にやばい、落とし穴につながる道だ。
「さ、いきますよ?」
「はーい」
なんか二倍増しに上機嫌なサワナさんに怖いものを感じつつ、俺は右にウインカーを出した。
■ ■ ■ ■
なんて可愛い性格なんだろうと、その瞬間に思った。
なんで、こんな純情さんがこんな歳まで売れ残っているのか、本当に人間というのはよくわからないものだ。
たしかに、人間目線だとカッコいいとはいえない外見かもしれないが、そんな見た目なんて一瞬のことだろうに。
やぼったいセンスやスマートと言えない言動や態度にしても、そんなものはどうにでもなる。
そんなことより、わたしだけでなく、サーナだけでもなく、わたしたち両方を受け入れてくれるというのは大きいと思う。
わたしたちの種族の男は残念ながら元夫の子には冷酷で、ヨソにやられたり殺される事もある。
逆に子供をかわいがってくれる種族の中には、女なんぞ子を産む機械としか思ってない者たちもいる。
彼は、マコトさんは、そのどちらでもない。
サーナのためなら職場に直接電話、なんて非常識なことでも……まぁ二度とやるべきではないけど、非常時にはそれさえも許してくれる包容力を持っている。
こんなひとなら。
こんなひとなら──一度はあきらめかけた未来を一緒に見てくれるかもしれないと。
■ ■ ■ ■
「ハイエースで高速なんて初めてだよ、ドキドキするね」
ついでに言うと、そもそもETC利用自体も車では未体験だった。
もちろん無事に通過して、そのまま高速入りした。
「よし」
ちなみにこのハイエース、元の持ち主がなくなってから保守のみされているとの事だけど、ナビの機械もそう古くないし、情報も新しいっぽい。トヨタ純正みたいだから車検時にディーラーおまかせで更新してもらったんだろう。
となれば、スマホナビに頼る必要はないだろ。
はじめてのナビ操作にちょっと迷ったけど、東京湾アクアラインの木更津金田出口をセットすると、さっそく無事に動き出した。
それにそって走らせていく。
地下に入ったり地上に出たりしつつ、ついにはアクアライン入り口にたどり着いた。
よし、ここから海を渡るぞ……とはいえ地下に入るので、海ほたるまでは何も見えないけどな。
この区間は、ひたすらトンネルみたいな長いのを走らされるのだ。
俺は平衡感覚が人よりちょっと鈍かったりするので、こういう長すぎるトンネルはちょっと苦手だ。少々めまいがしてくる。
「……大丈夫ですか?」
「うん、なんとか」
つらそうに見えるのか、サワナさんが時々話しかけて気を繰り返しつつ紛らわせてくれる。
「オートバイの時はひとりですよね?どうなさってるんですか?」
「ナビ用のヘッドセットに音楽、それも日本語の歌を流してるよ。それで気を紛らわせる。
で、ひたすら耐える」
トンネルは嫌いじゃないけど、長いトンネルは昔から苦手だ。
だんだんめまいがしてきて気持ち悪くなり、最終的には突然にハンドルをきり、自爆したい誘惑に襲われる事すらある。
おそらく本質的に向いてないんだろう。
そんなことを言っていると、向こうが明るくなってきた。
ちなみに、無人の海ほたるにはふたりとも興味しんしんだったのだけど。
やっとこさ落ち着いたサーナちゃんを不安にさせるかもしれない事でふたりの意見が一致。
とにかく木更津まで抜ける事にしたのだった。