普通の母と娘
第45話「普通の母と娘」
葵は、莉央の葬儀にも告別式にも間に合わなかった。
海外遠征中だった。
連絡を受けた時、すぐに帰国の手配をした。
だが、飛行機はすぐには取れなかった。
乗り継ぎも乱れた。
日本に戻った時には、すべてが終わっていた。
火葬も。
葬儀も。
告別式も。
葵は大阪へ戻らず、そのまま横須賀へ向かった。
そして、莉央が埋葬された墓地へ向かった。
小さな墓だった。
派手ではない。
静かな場所だった。
葵は花を供えた。
線香に火をつける。
白い煙が、ゆっくり空へ昇っていく。
歩夢は少し離れた場所で、健斗と一緒に立っていた。
葵は一人、墓の前に膝をついた。
長い沈黙。
そして、静かに手を合わせた。
「お母さん」
その言葉は、もう迷わず出た。
「お疲れ様でした」
風が吹いた。
木々の葉が小さく揺れる。
葵は墓石を見つめた。
「多分、そっちの世界についたと思うけど」
少しだけ、苦笑する。
「天国では、もう嘘ついたり、偽ったりしたらあかんで」
涙がこぼれた。
怒りは、完全には消えていない。
許せない出来事も、消えない。
でも。
今、墓の下に眠る人は、もう誰かを傷つけることも、嘘をつくこともできない。
ただ、長い後悔を抱えて生きた、一人の母だった。
葵は続けた。
「私も、いずれそっちの世界に行く」
「その時は」
声が震える。
「普通の母と娘であってほしい」
涙が、線香の煙に滲んだ。
生きている間には戻れなかった。
普通の親子には、戻れなかった。
でも。
もし次に会える場所があるのなら。
そこでは、嘘も、隠し事も、過去の痛みもなく。
ただ、
「お母さん」
「葵」
そう呼び合える関係でありたい。
それが、葵の最後の願いだった。
墓参りを終えたあと、葵は寺へ向かった。
莉央の位牌は、寺で管理されていた。
住職が静かに言った。
「ご遺族の方がお持ちになりますか」
葵は頷いた。
「はい」
住職は丁寧に位牌を包み、葵へ渡した。
それは小さかった。
あまりにも軽かった。
けれど葵には、両手で抱えるほど重く感じられた。
莉央の人生。
過ち。
後悔。
母としての想い。
全部がそこに込められているようだった。
寺を出ると、歩夢が近づいてきた。
「ママ」
「うん」
「おばあちゃん、大阪に来るの?」
葵は位牌を抱えたまま、少し微笑んだ。
「うん」
「一緒に帰るよ」
歩夢は小さく頷いた。
「そっか」
そして、そっと手を合わせた。
「おばあちゃん、またね」
葵は涙を拭った。
健斗が隣に立つ。
「帰ろう」
葵は頷いた。
「うん」
横須賀駅へ向かう道。
葵は一度だけ振り返った。
小学校卒業以来、帰りたくなかった町。
母を失った町。
でも、歩夢と莉央が出会った町でもある。
そして今日、莉央の位牌を抱えて帰る町になった。
新幹線の車内。
葵は膝の上に位牌を置き、静かに手を添えた。
歩夢は隣で眠っている。
健斗も黙っていた。
窓の外を、夜の街灯が流れていく。
葵は心の中で呟いた。
お母さん。
大阪に帰ろう。
今度は、嘘のない場所へ。
第45話「普通の母と娘」。
葬儀には間に合わなかった。
生きている間に、すべてを許すこともできなかった。
それでも葵は、莉央を母として見送った。
怒りも、悲しみも、後悔も抱えたまま。
いつか別の場所で、普通の母と娘として会えることを願いながら。




