最後の夜
第42話「最後の夜」
莉央は八十代になっていた。
神谷鐵工所はとうの昔に売却されている。
小さなアパートで一人暮らし。
恭介も絵梨奈もいない。
達也もいない。
親族とも縁は切れていた。
若い頃のいじめ。
その後の隠蔽。
そして発覚後の賠償。
神谷家は何もかも失った。
親族たちも離れていった。
それは莉央自身が招いた結果だった。
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それでも。
人生の終わりまで完全な孤独ではなかった。
葵は時々電話をくれた。
歩夢は誕生日にメッセージを送ってくれた。
「おばあちゃん元気?」
その短い一言だけで、莉央は何日も頑張れた。
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歩夢も大人になった。
柔道選手として世界を目指している。
葵と健斗も指導者として海外遠征が増えていた。
ある年の春。
歩夢もヨーロッパ遠征。
葵と健斗も国際大会帯同。
家族全員が日本を離れていた。
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その頃。
莉央は体調を崩していた。
高熱。
食欲不振。
足元もおぼつかない。
病院へ行こうと思った。
だが起き上がれない。
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ベッドの横には写真があった。
オリンピックで金メダルを掲げる葵。
柔道着姿の歩夢。
そして。
数年前。
三人で撮った写真。
歩夢が真ん中で笑っている。
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莉央は写真を見ながら呟く。
「立派になったねぇ……」
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葵が初めて
「お母さん」
と呼んでくれた日。
歩夢が
「おばあちゃん」
と呼んでくれた日。
麻婆豆腐を差し出してくれた日。
全部思い出していた。
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窓の外では夕日が沈んでいく。
部屋は静かだった。
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「ごめんね……」
誰に向けた言葉だったのか。
理人たちか。
葵か。
達也か。
それとも自分自身か。
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しばらくして。
莉央は小さく笑った。
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「でも」
「ありがとう」
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「葵」
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「歩夢」
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「幸せでいてね」
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それが最後の言葉だった。
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数日後。
連絡がつかないことを心配した自治体職員が部屋を訪れる。
そこで莉央は発見された。
苦しんだ形跡はなかった。
眠るようだったという。
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葵が帰国したのは、その翌日だった。
知らせを受けた時。
葵はしばらく何も言えなかった。
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通夜。
祭壇の前。
歩夢が静かに立っている。
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葵は母の遺影を見つめた。
長い時間が流れた。
怒り。
憎しみ。
悲しみ。
失望。
いろんな感情があった。
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でも最後に残ったのは。
一人の弱い人間だった。
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葵は遺影に向かって言う。
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「お母さん」
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「お疲れさま」
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「歩夢に会わせてよかった」
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歩夢も手を合わせる。
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「おばあちゃん」
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「またね」
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その言葉を聞いた瞬間。
葵の目から涙がこぼれた。
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許し切れなかったこともある。
戻らなかった時間もある。
消えない傷もある。
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それでも。
最後の数年。
歩夢がいた。
会話があった。
「お母さん」と呼べた日があった。
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人生はやり直せない。
だが。
失ったもののすべてが憎しみに変わるわけでもない。
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莉央の人生は、多くの過ちと後悔を抱えた人生だった。
けれど最後に残ったのは、
歩夢の「またね」と、
葵の「お疲れさま」だった。
それが、莉央にとっての最後の救いだった。




