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少年法の壁スピンオフ  作者: リンダ


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またね

 少年法の壁 スピンオフ

 莉央の娘


 第36話「またね」


 横須賀駅。


 夕暮れ。


 ホームには帰宅する人々の姿があった。


 葵たちは新幹線へ乗り継ぐため、横須賀を後にする。


 改札前。


 最後の別れの時間だった。


 歩夢は健斗に抱っこされている。


 少し眠そうだ。


 それでも莉央の顔を見ると、小さく手を振った。


「おばあちゃん」


 莉央は目を細める。


「なんだい?」


「またね」


 三歳の無邪気な声。


 何の打算もない。


 何の過去も知らない。


 ただ会った人に向ける、純粋な言葉。


 莉央の目に涙が浮かんだ。


「うん」


「またね」


 歩夢は満足そうに笑った。


 健斗が頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


 莉央も頭を下げた。


「こちらこそ」


 そして葵。


 二人は少しだけ見つめ合った。


 長い沈黙。


 二十年分の沈黙。


 葵が先に口を開いた。


「今日はありがとう」


 莉央は静かに頷く。


「来てくれてありがとう」


 そして。


 莉央は小さく言った。


「気をつけて帰ってください」


 昔。


 小学生だった葵に向かって言っていた言葉。


 あまりにも自然に出た言葉だった。


 葵は一瞬だけ驚いた顔をした。


 そして。


 ほんの少しだけ笑った。


「うん」


 その笑顔は、まだ娘だった頃の面影を残していた。


 列車が到着する。


 ドアが開く。


 歩夢が再び手を振る。


「おばあちゃん、ばいばーい!」


「元気でねぇ」


 莉央は最後まで手を振り続けた。


 列車が動き出す。


 歩夢の顔が遠ざかる。


 葵の姿が小さくなる。


 やがて見えなくなった。


 ホームに残された莉央は、しばらく動けなかった。


 夕暮れの風が吹く。


 胸の奥が不思議と温かかった。


 失ったものは戻らない。


 葵は自分を許していない。


 それも分かっている。


 昔のような親子には戻れない。


 それでも。


 今日。


 歩夢が笑った。


「おばあちゃん」


 そう呼んでくれた。


 その事実だけで、凍りついていた心に小さな灯がともった気がした。


 一方。


 新幹線の車内。


 歩夢は窓際で眠っていた。


 楽しかったのだろう。


 小さな手は健斗の服を握ったまま。


 時折、寝言のように何か呟いている。


 葵はその寝顔を見つめた。


 そして窓の外を流れる景色を見る。


 スマホを開く。


 莉央へ短いメッセージを送った。


 ――


 無事に新幹線へ乗りました。


 今日はありがとうございました。


 また歩夢を連れて行きます。


 ――


 送信。


 それだけだった。


 余計な言葉はなかった。


 けれど、それは葵にとって大きな一歩だった。


 健斗が隣で聞く。


「どうだった?」


 葵は少し考えた。


 そして静かに答えた。


「もう元の親子には戻れないと思う」


 健斗は黙って聞いている。


「たぶん一生」


「許せない部分も残ると思う」


 葵は窓の外を見る。


 夕日が山の向こうへ沈み始めていた。


「でも」


 少し言葉を探す。


「今日、二十年ぶりに話してみて」


「怒りや憎しみだけでは語れないものもあるんだなって思った」


 健斗は頷いた。


「うん」


 葵は歩夢を見る。


 穏やかな寝顔。


「歩夢が会うのは、私はいいと思う」


「祖母として」


「それは歩夢の人生だから」


 健斗は優しく言った。


「葵らしい答えだと思う」


 葵は少し笑った。


「理人さんたちに会わなかったら、たぶん違ったと思う」


「人を憎み続ける人生じゃなくて」


「向き合う人生を選べたのは、あの人たちのおかげだから」


 新幹線は西へ走る。


 大阪へ向かう。


 窓の外では夜が近づいていた。


 その頃。


 横須賀。


 神谷鐵工所。


 莉央は工場の明かりを消していた。


 誰もいない工場。


 誰もいない家。


 それは変わらない。


 玄関を開けても、


「ただいま」


 と言う相手はいない。


 夕食も一人。


 テレビも一人。


 静かな夜。


 それでも。


 今日は少し違った。


 スマホに届いた短いメッセージ。


 また歩夢を連れて行きます。


 莉央は何度も読み返した。


 何度も。


 何度も。


 そして小さく笑った。


「また来てくれるんだね」


 誰もいない部屋で呟く。


 返事はない。


 でも。


 二十年間閉ざされていた扉が、ほんの少しだけ開いた気がした。


 完全な許しではない。


 失われた時間も戻らない。


 それでも。


 歩夢の「またね」は、確かに未来へ向かう言葉だった。


 第36話「またね」。


 怒りも。


 悲しみも。


 後悔も。


 消えることはない。


 だが、人はそれだけで生きているわけではない。


 三歳の子どもの「またね」という一言が、二十年間止まっていた時間を少しだけ動かした。


 その小さな一歩は、誰にも分からないほど小さい。


 けれど確かに、未来へ続いていた。

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