スポーツニュース後編
少年法の壁 後日談 神谷莉央
第5話 追補「スポーツニュース」
その日の夕方。
長野県内のローカルニュースのスポーツコーナーで、長野県ジュニアボクシング大会の様子が放送された。
画面には、リングの上で戦う理人の姿が映った。
落ち着いた構え。
無駄のない足運び。
相手のパンチを外し、正確に返すワンツー。
実況の声が重なる。
「中学一年ミドル級で優勝したのは、飯山市の伊達理人選手です」
続いて、美羽の試合。
小さな体でよく動き、リズムよくパンチを当てていく。
「小学四年女子部門では、妹の伊達美羽選手が優勝。兄妹そろっての快挙となりました」
そして、インタビュー映像に切り替わった。
金メダルを首にかけた理人が、少し緊張した表情でマイクの前に立っている。
記者が聞いた。
「優勝、おめでとうございます。今の気持ちは?」
理人は一度、隣にいる光を見た。
光は小さく頷いた。
理人は前を向き、ゆっくり話し始めた。
「僕は……前に住んでいた横須賀でいじめられて、そこを離れなくてはいけなくなりました」
スタジオの空気が、少し変わった。
理人は続けた。
「でも、飯山に来てから、光ちゃんが僕をボクシングに誘ってくれて。最初は怖かったけど、毎日、基礎から練習してきました」
理人の声は震えていなかった。
「地道に努力を重ねてきた結果だと思います」
画面の中の理人は、横須賀にいた頃とは違っていた。
誰かの反応を怖がって、言葉を飲み込む少年ではなかった。
傷ついたことを隠さず。
それでも前を向いていた。
次に、美羽のインタビューが映った。
美羽は金メダルを両手で持ち、少し緊張しながらも、はっきりと話した。
「お兄ちゃんがいじめられて、私もお兄ちゃんを助けようとしたら、私も嫌がらせを受けました」
その言葉に、横須賀でテレビを見ていた莉央の手が止まった。
美羽は続ける。
「本当に悔しい思いをしました。でも、私も光お姉ちゃんに誘われて、ボクシングを頑張ってきて……」
美羽は少しだけ笑った。
「神様か、誰かが、ちょっとご褒美を与えてくれたのかなと思います」
画面の外で、取材スタッフの柔らかい笑い声が入った。
けれど、それは美羽を馬鹿にする笑いではなかった。
小さな少女が、自分の言葉で精いっぱい話したことへの、温かい空気だった。
テレビ画面の中で、光もインタビューを受けていた。
「二人とも、本当に毎日基礎を続けてきました。最初から強かったわけじゃありません。怖さもあったと思います。でも、逃げずに、焦らずに、一つずつ積み上げてきた。その結果だと思います」
スタジオのアナウンサーが締めくくる。
「つらい経験を乗り越え、飯山で新たな一歩を踏み出した兄妹。今後の成長にも注目です」
その映像は、全国ニュースの短いスポーツ枠でも紹介された。
横須賀でも流れた。
神谷莉央の家。
夕飯前のリビング。
テレビに理人と美羽が映っていた。
莉央の母親が言った。
「この子たち、朝の新聞にも載ってた兄妹ね」
父親が頷く。
「いじめで転居して、そこからボクシングか。大したもんだな」
莉央は何も言えなかった。
画面の中で、美羽が言っていた。
お兄ちゃんを助けようとしたら、私も嫌がらせを受けました。
その言葉が、胸に刺さって抜けなかった。
莉央は知っていた。
美羽が兄の後ろに立っていたことを。
小さな体で、震えながら理人のそばにいたことを。
それを見ても、自分たちは止めなかった。
むしろ笑った。
莉央の母親が、ふと聞いた。
「莉央、この子たち知ってるの?」
莉央の喉が詰まった。
「……小学校、一緒だった」
母親は驚いた顔をした。
「そうなの?」
「うん」
「いじめで転居って……学校でそんなことあったの?」
莉央は答えられなかった。
テレビの音だけが流れている。
父親が静かに言った。
「こういうのは、加害側は忘れてても、やられた側は忘れないからな」
莉央の指先が冷たくなった。
同じ頃。
中村獅童の家でも、そのニュースは流れていた。
獅童は食卓で固まっていた。
父親が言う。
「この理人って子、同じ一年生か。ミドル級で県王者ってすごいな」
母親も言った。
「妹さんも優勝だって。兄妹そろって頑張ったのね」
獅童は箸を持ったまま、テレビを睨んでいた。
理人の声が頭に残る。
横須賀でいじめられて、そこを離れなくてはいけなくなりました。
獅童は奥歯を噛んだ。
自分は県大会のベンチにも入れなかった。
理人は、県大会で優勝した。
その事実が、悔しさと別の感情を混ぜて胸を締めつける。
こころの家でも、ニュースは流れていた。
水泳バッグを片付けていたこころは、美羽の言葉を聞いて動きを止めた。
私も嫌がらせを受けました。
こころは、タオルを握りしめた。
母親がテレビを見ながら言う。
「小学生でこんなこと言えるなんて、強い子ね」
こころは何も言えなかった。
強い。
そう見える。
でも、その強さは最初からあったものではない。
傷つけられたから、立つしかなかったのだ。
こころはそれを、どこかで分かってしまった。
その夜。
莉央は布団の中で眠れなかった。
目を閉じると、黒いZoom画面ではなく、テレビの中の理人が浮かんだ。
金メダルを首にかけた理人。
落ち着いた声。
そして、美羽。
神様か、誰かが、ちょっとご褒美を与えてくれたのかなと思います。
莉央は寝返りを打った。
過去が、ただの過去ではなくなっていく。
新聞の写真。
テレビの声。
本人たちの言葉。
忘れたことにしていたものが、形を持って戻ってくる。
その形は、莉央たちが思っていたよりもずっと眩しかった。
そして、その眩しさは。
自分たちの影を、はっきりと照らし始めていた。




