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少年法の壁スピンオフ  作者: リンダ


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みてみぬふりをしない

少年法の壁 スピンオフ

莉央の娘


第25話「見て見ぬふりをしない」


職員室の空気が、一瞬止まった。


葵の隣には、一年生の男子が立っていた。


顔色はまだ悪い。


手には、握りしめた財布。


葵は深く息を吸った。


「先生、三年生がこの子からお金を取ろうとしていました」


近くにいた生活指導の先生が顔を上げた。


「詳しく聞かせて」


葵は、見たことを順番に話した。


校舎裏。


自転車置き場。


三年生二人。


金を出せと言われていたこと。


自分が止めに入ったこと。


相手が掴みかかろうとしてきたこと。


柔道の技で止めたこと。


追い打ちはしていないこと。


葵は、できるだけ落ち着いて話そうとした。


けれど、声は少し震えていた。


先生は最後まで聞き、うなずいた。


「分かった。立川さん、よく知らせてくれた」


一年生の男子にも声をかける。


「怖かったね。もう大丈夫だから、詳しく聞かせてくれる?」


男子は小さく頷いた。


その後、学校はすぐに動いた。


三年生二人は呼び出された。


最初はしらを切った。


「金なんか取ろうとしてない」


「冗談だった」


「ちょっと借りようとしただけ」


だが、一年生の証言と、近くにいた別の生徒の目撃情報も出てきた。


さらに、以前から同じようなことがあったことも分かってきた。


葵は、職員室の外の廊下で待っていた。


足が少し震えていた。


怖さが遅れてやってきた。


もし仕返しされたらどうしよう。


自分が余計なことをしたと言われたらどうしよう。


頭の中で不安がぐるぐる回る。


そこへ柔道部の顧問が歩いてきた。


「立川」


葵は顔を上げる。


「はい」


顧問は、葵の前に立った。


「無茶をしたな」


葵は唇を噛んだ。


「すみません」


「謝るな。止めたことは間違っていない」


葵は驚いて顔を上げた。


顧問は続けた。


「ただし、相手が複数で、場所も畳の上じゃない。危険はあった」


「はい」


「柔道は、誰かを痛めつけるためのものじゃない」


葵は頷いた。


「分かっています」


「だから、すぐ先生に知らせたのは正しい」


顧問は少しだけ表情を柔らかくした。


「よく逃げなかった」


その一言で、葵の目に涙が浮かんだ。


逃げなかった。


その言葉が、胸に響いた。


自分は強かったわけではない。


怖かった。


でも、逃げなかった。


それだけだった。


その日の夕方。


達也が学校へ呼ばれた。


事情を聞いた達也は、最初に葵の肩を抱いた。


「怖かったな」


葵は小さく頷いた。


「うん」


「でも、よう言いに行った」


葵は涙をこらえた。


「見て見ぬふりしたくなかった」


達也は黙って頷く。


その言葉の重さを、達也は分かっていた。


葵にとって、それはただの正義感ではなかった。


横須賀で起きたこと。


理人と美羽のこと。


母の過去。


全部が、葵の中にあった。


だからこそ、目の前の一年生を放っておけなかった。


帰宅後。


祐也と一果も、葵の話を聞いた。


一果は心配そうに葵の手を取った。


「怪我はない?」


「うん、大丈夫」


祐也は腕を組んで言った。


「よう止めたな」


葵は少し俯いた。


「怖かった」


「怖くてええ」


祐也は静かに言った。


「怖いのに動いたんや。それが大事や」


一果も頷く。


「ただ、これからは一人で抱え込まんこと。先生や大人をすぐ呼ぶんやよ」


葵は頷いた。


「うん」


その夜。


葵は飯山の美羽へメールを送った。


今日、学校で上級生が一年生からお金を取ろうとしているところを見ました。


怖かったけど止めに入りました。


柔道の技を使いました。


先生にも言いました。


でも、まだ少し怖いです。


送信してから、しばらくして返信が来た。


美羽からだった。


葵ちゃん、怖かったね。


でも、ちゃんと先生に伝えたのはとても大事なことです。


強さは、相手を倒すことじゃなくて、危ないことを止めて、助けを呼べることでもあります。


一人で背負わないでね。


光からも短いメッセージが届いた。


勇気と無茶は違う。


でも今日の葵ちゃんは、勇気を出したんだと思う。


これからは周りの大人も巻き込んでね。


最後に理人から。


逃げなかったことは、すごい。


でも、葵さん自身も守る対象です。


自分を粗末にしないでください。


葵は、その文章を何度も読んだ。


自分自身も守る対象。


その言葉が、胸の奥に残った。


翌日。


学校では、三年生二人への指導が始まった。


被害を受けていた一年生たちにも聞き取りが行われた。


学校は、今回の件を「生徒間のトラブル」で済ませなかった。


生活指導の先生が、学年集会で言った。


「お金を無理に要求することは、冗談ではありません」


「嫌がっている相手に圧力をかけることは、遊びではありません」


「見て見ぬふりをしないことも大切です」


葵は体育館の後ろで、その言葉を聞いていた。


横須賀では、こう言ってくれる大人はいたのだろうか。


理人や美羽の時に、こうしてくれる人がいたら。


そう思うと、胸が痛んだ。


だが同時に、少しだけ安心した。


この学校は、少なくとも今、見て見ぬふりをしなかった。


放課後。


助けた一年生の男子が、葵のところへ来た。


「立川先輩」


葵は少し驚いた。


「どうしたの?」


男子は深く頭を下げた。


「ありがとうございました」


葵は慌てる。


「そんな、いいよ」


男子は顔を上げた。


「誰も助けてくれないと思ってたから」


その言葉に、葵の胸が詰まった。


誰も助けてくれない。


その気持ちを、理人も美羽も知っていたのかもしれない。


葵は静かに言った。


「もう一人で抱えなくていいよ」


男子は小さく頷いた。


その日の柔道部。


葵はいつもより真剣に受け身を取った。


倒れる。


立つ。


また倒れる。


また立つ。


畳の上で何度も繰り返す。


顧問が声をかける。


「立川、今日はいい受け身だ」


葵は息を切らしながら返事をした。


「はい!」


倒れても立つ。


怖くても逃げない。


でも、一人で抱え込まない。


それが、葵がこの日学んだ強さだった。


第25話「見て見ぬふりをしない」。


葵は、母と同じ道を選ばなかった。


目の前で誰かが傷つけられそうになった時、足を止めた。


そして声を上げた。


それは小さな一歩だった。


けれど、理人たちが教えてくれた強さへ向かう、確かな一歩だった。

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