前を向く人たち
少年法の壁 スピンオフ
莉央の娘
第22話「前を向く人たち」
翌朝。
飯山の空は、どこまでも青かった。
葵は早起きして、ジムの前に立っていた。
昨日見た星空が、まだ心の中に残っている。
理人。
美羽。
光。
まさと。
ひまり。
みんなとの時間は短かった。
でも、葵にとっては忘れられない時間になった。
ジムへ入ると、理人たちはすでに練習の準備をしていた。
子どもたちも集まり始めている。
元気な挨拶が飛び交う。
「おはようございます!」
「おはよう!」
その光景を見ているだけで、葵は少し嬉しくなった。
出発前。
達也たちは改めて挨拶をした。
「本当にお世話になりました」
達也が頭を下げる。
祐也も一果も続く。
理人は笑った。
「また来てください」
美羽も言う。
「次は冬の飯山もいいよ」
光も頷く。
「雪景色は本当にきれいだから」
まさとが元気よく手を振った。
「またねー!」
ひまりも続く。
「またきてね!」
葵は笑顔で答えた。
「うん!」
「また来る!」
そして一行は飯山駅へ向かった。
帰りは急がない旅だった。
飯山線。
長野駅。
中央本線。
普通列車を乗り継ぎながら、ゆっくり岐阜へ帰る。
車窓には山。
川。
田んぼ。
小さな町。
景色がゆっくり流れていく。
達也が聞いた。
「どうやった?」
葵は窓の外を見ながら答えた。
「みんな、すごく凛々しかった」
達也は微笑む。
「うん」
葵は続けた。
「強いだけじゃない」
「優しいし」
「人の痛みを分かろうとしてるし」
「ちゃんと相手を尊敬してる」
「私も、ああいう人になりたい」
達也は静かに頷いた。
「なれるよ」
葵は少し笑った。
「頑張る」
岐阜へ戻った夜。
葵はスマホを開いた。
そしてSNSに写真を投稿した。
飯山駅で撮った写真。
ジムで撮った写真。
斑尾高原の景色。
星空。
そして理人たちとの集合写真。
文章も添えた。
――
飯山へ行ってきました。
理人さん、美羽さん、光さん、本当にありがとうございました。
強さって何だろうとずっと考えていました。
今回会って、少しだけ分かった気がします。
強い人は、人を見下さない。
相手を尊敬する。
苦しんでいる人のそばに立てる。
そんな人たちでした。
私もいつか、そんな人になりたいです。
柔道も頑張ります。
また飯山へ行きます。
――
投稿ボタンを押す。
すぐに反応が増えていく。
同級生。
柔道部の友達。
理人のファン。
美羽のファン。
たくさんの「いいね」が並ぶ。
葵は少し照れながらスマホを置いた。
その頃。
横須賀。
仕事を終えた莉央は、一人でアパートへ戻っていた。
以前より狭い部屋。
静かな部屋。
テレビもついていない。
夕食を簡単に済ませたあと、何気なくスマホを開く。
そして。
偶然だった。
おすすめ欄に、葵の投稿が表示された。
莉央の指が止まる。
画面には葵がいた。
笑っている。
本当に楽しそうに。
理人たちと並んで。
まさとやひまりと一緒に。
斑尾高原で。
飯山駅で。
動画もあった。
笑い声が聞こえる。
葵の笑顔が映っている。
莉央は画面を見つめた。
涙が滲む。
コメントを書こうとした。
「楽しそうで良かったね」
その一言だけでも。
けれど。
指が止まる。
書けない。
葵はもう、自分に関わらないでほしいと言った。
手紙も送らないでほしいと言った。
今ここでコメントを書けば、その約束を破ることになる。
莉央はスマホを握りしめた。
辛かった。
あまりにも辛かった。
目の前に娘がいる。
笑っている。
元気そうだ。
それなのに何も言えない。
何も伝えられない。
「葵……」
声が震える。
画面の中の葵は、本当に楽しそうだった。
だからこそ辛かった。
あの笑顔を、自分は壊した。
理人たちを傷つけたこと。
達也を裏切ったこと。
そして葵に嘘をつき続けたこと。
全部、自分だった。
誰のせいでもない。
莉央はスマホを胸に抱いた。
そして泣いた。
静かな部屋で。
誰もいない部屋で。
改めて思う。
なんて浅はかだったんだろう。
隠し通せば大丈夫だと思った。
過去は消えると思った。
時間が解決してくれると思った。
その結果。
理人たちをさらに傷つけ。
達也を失い。
葵を失った。
画面の中では、葵が笑っている。
その笑顔が救いでもあり。
何よりも苦しい現実でもあった。
第22話「前を向く人たち」。
飯山で出会った人たちは、過去に縛られながらも前を向いていた。
葵もまた、その背中を追いかけ始めている。
一方で莉央は、自分の過去と向き合いながら、一人取り残された部屋で涙を流していた。
失ったものの大きさを、改めて知りながら。




