夏休みの約束
少年法の壁 スピンオフ
莉央の娘
第16話「夏休みの約束」
岐阜での生活は、少しずつ形になり始めていた。
達也は、地元の仕事に慣れようと必死だった。
葵も、新しい学校で少しずつ友達ができ始めていた。
けれど、横須賀で起きたことは、まだ二人の中に残っていた。
ある日、達也は立川家の親族を集めた。
祖父母。
叔父。
叔母。
いとこたち。
葵もその場にいた。
達也は、隠さず話した。
莉央が過去に伊達理人と伊達美羽を傷つけていたこと。
そのことを結婚後もずっと話さなかったこと。
葵がそれを知って深く傷ついたこと。
神谷家の両親もその過去を知りながら、止めず、謝罪にも向き合わせなかったこと。
そして、神谷家を離れることを決めたこと。
話し終わったあと、部屋はしばらく静かだった。
最初に口を開いたのは、達也の叔母だった。
「それは……葵ちゃん、つらかったね」
葵は小さく頷いた。
別の親族が、深くため息をついた。
「相手の被害者の方たちのことも、葵ちゃんのことも、達也のことも、何も考えてなかったんやろうな」
その言葉に、達也は俯いた。
怒りよりも、悲しみが胸に残っていた。
自分は神谷家に入り、神谷姓を名乗った。
鉄工所も継ごうとした。
それなのに、肝心なところで何も知らされていなかった。
親族の一人が言った。
「達也、お前は悪くない」
達也は首を横に振った。
「でも、葵を守るのは俺の役目やから」
葵は父の横顔を見た。
岐阜に来てから、父はずっと前を向こうとしていた。
自分のために。
新しい生活のために。
その姿を見て、葵は少しずつ安心を取り戻していた。
その夜。
葵は机に向かった。
飯山のジムから届いた手紙を、何度も読み返す。
あなたはあなたです。
母親とは違う人格を持っています。
その心を大切にしてください。
葵は便箋を取り出した。
宛先は、伊達理人、美羽、光。
ゆっくり文字を書き始める。
理人さん、美羽さん、光さんへ。
先日はお返事をありがとうございました。
何度も読み返しました。
私は、母のしたことを知ってから、自分がどうしたらいいのか分からなくなっていました。
でも、皆さんからの手紙で、私は私でいいのだと思うことができました。
本当にありがとうございます。
私は夏休みに、飯山のジムへ行ってみたいです。
もしご迷惑でなければ、皆さんに直接お会いして、手紙のお礼を伝えたいです。
そして、皆さんが大切にしている場所を見てみたいです。
立川葵
手紙を投函したあと、葵は少し緊張していた。
迷惑ではなかっただろうか。
また気を遣わせてしまったのではないか。
そんな不安が胸にあった。
数日後。
飯山から再び封筒が届いた。
葵は急いで開封した。
中には、三人の連名の手紙が入っていた。
葵さんへ。
手紙をありがとう。
夏休みに飯山へ来てくれるとのこと、とても嬉しいです。
無理のない日程で、達也さんと一緒に来てください。
ジムの子どもたちもいるので、きっと賑やかです。
直接会えるのを楽しみにしています。
伊達理人
伊達美羽
秋生光
そして、その下に、もう一枚小さな紙が入っていた。
そこには三人それぞれの個人アドレスが書かれていた。
必要なことがあれば、直接連絡してください。
理人。
美羽。
光。
三人の名前が添えられていた。
葵は、その紙を見つめた。
ただの連絡先ではなかった。
それは、拒絶ではなく、受け入れの証のように思えた。
葵は胸に手紙を抱いた。
「お父さん」
達也が部屋に顔を出す。
「どうした?」
葵は涙を浮かべながら笑った。
「飯山、行ってもいいって」
達也は優しく頷いた。
「行こう」
葵は何度も頷いた。
「うん」
その夜、葵は初めて少しだけ楽しみな気持ちで眠りについた。
横須賀で壊れたものは戻らない。
母との関係も、すぐには戻らない。
でも。
自分を責めなくていいと言ってくれた人たちがいる。
いつでも来ていいと言ってくれた場所がある。
それだけで、葵の心には小さな灯りがともった。
第16話「夏休みの約束」。
過去は消えない。
けれど、その過去の中で傷ついた人たちが、葵へ手を差し伸べてくれた。
それは許しではなく、葵を葵として見てくれた優しさだった。
そして夏休み。
葵は、飯山へ向かうことになる。




