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少年法の壁スピンオフ  作者: リンダ


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美羽、東京ドームに立つ

少年法の壁 スピンオフ

莉央の娘 葵


第5話「美羽、東京ドームに立つ」


東京ドームの照明が落ちた。


会場全体が、一瞬だけ暗闇に包まれる。


次の瞬間、リングへ向かう花道にまばゆい光が走った。


大型ビジョンに映し出される文字。


伊達美羽。


世界スーパーフライ級王者。


会場から、地鳴りのような歓声が上がった。


葵は椅子から身を乗り出した。


「美羽さんや!」


達也も目を輝かせていた。


「すごいな……本当に東京ドームだ」


莉央は、膝の上で両手を握りしめていた。


目の前にいるのは、世界チャンピオンの伊達美羽。


しかし莉央の中に浮かんでいたのは、小学三年生だった頃の美羽だった。


兄の後ろに立ち、震えていた小さな女の子。


その子が、今は東京ドームの大歓声を受けながらリングへ向かっている。


リングアナウンサーの声が響く。


「青コーナー、挑戦者。アメリカ合衆国、メリッサ・ゴードン!」


メリッサ・ゴードンは長身の選手だった。


リーチが長く、表情も鋭い。


すでに海外で何度も強豪を倒してきた実力者。


続いて、会場の照明がさらに強くなる。


「赤コーナー、王者。日本、伊達美羽!」


ドームが揺れた。


葵は両手を握りしめる。


「美羽さん、頑張れ!」


達也も拍手する。


莉央は声を出せなかった。


ゴング。


第1ラウンド。


美羽は無理に前へ出なかった。


メリッサのリーチを警戒しながら、軽く足を使う。


メリッサが左ジャブを伸ばす。


美羽は半歩外へ。


実況が叫ぶ。


「まずはメリッサ・ゴードン、長い左で距離を取ってきます!」


解説が落ち着いた声で続ける。


「美羽は見ていますね。いきなり入らない。相手の距離、タイミングを測っています」


メリッサがもう一度ジャブ。


美羽はガードで受け、すぐに右をボディへ返す。


ドン、と鈍い音。


会場が小さくどよめく。


実況。


「美羽の右ボディ! 最初の有効打は王者です!」


葵は目を輝かせた。


「今の入った!」


達也が頷く。


「冷静だな」


莉央は、拳を握ったまま動けなかった。


第2ラウンド。


メリッサはさらに手数を増やしてきた。


長い左。


右ストレート。


美羽は足を使い、正面に立ち続けない。


入り際に左ボディ。


顔面へ右。


また下がる。


実況。


「伊達美羽、ボディと顔面を打ち分けています! 無理に倒しにいかない!」


解説。


「いいですね。ポイントも取っていますし、何より相手の体力を削っています」


第3ラウンド、第4ラウンド。


試合は美羽のペースになり始めた。


メリッサは前へ出ようとする。


だが入るたびに、美羽のパンチが当たる。


ボディ。


顔面。


またボディ。


メリッサの表情に、少しずつ苛立ちが見え始めた。


葵は夢中だった。


「美羽さん、すごい……!」


達也も言う。


「あれだけ打たせずに当てるのか」


莉央だけが、別のものを見ていた。


美羽の強さ。


それは、ただ拳が速いからではない。


怖い時にも逃げなかった時間。


悔しさを積み重ねてきた時間。


自分たちが奪ったものを、飯山で取り戻してきた時間。


その全部が、今リングの上で形になっているように見えた。


第6ラウンド。


メリッサは打ち合いに持ち込もうとした。


リング中央。


メリッサの右。


美羽の左ボディ。


メリッサの左フック。


美羽はガード。


すぐに右ストレート。


実況。


「打ち合いになった! しかし美羽、冷静です!」


解説。


「メリッサは流れを変えたい。しかし美羽は慌てていません」


第8ラウンド。


メリッサの動きが少し落ちてきた。


ボディが効いている。


美羽はそこを見逃さない。


左。


右。


ボディ。


顔面。


連打は派手ではない。


だが確実だった。


相手の体力を削る。


心を削る。


前へ出る勇気を奪っていく。


第10ラウンド。


会場の空気が変わった。


美羽が一歩前へ出る。


メリッサが左を伸ばす。


美羽は外す。


同時に左ボディ。


メリッサの体が折れる。


そこへ右ストレート。


顔面へ入った。


メリッサの膝がキャンバスにつく。


実況が叫ぶ。


「ダウン! ダウンです! 第10ラウンド、伊達美羽がメリッサ・ゴードンからダウンを奪いました!」


東京ドームが揺れた。


葵は立ち上がった。


「やった!」


達也も思わず立ち上がる。


「すごい!」


莉央は、座ったまま息を止めていた。


美羽はニュートラルコーナーへ下がる。


表情は変わらない。


倒した興奮に飲まれていない。


ただ、次を見る目をしている。


第10ラウンド終了。


メリッサは立ち上がったが、足元に明らかな重さがあった。


第11ラウンド。


美羽は最初から仕掛けた。


無理に大振りはしない。


ジャブ。


ボディ。


右。


またボディ。


メリッサは必死にガードする。


しかし、美羽のパンチは隙間を突く。


メリッサがロープ際へ下がる。


実況。


「メリッサ、苦しい! 美羽が詰めていく!」


美羽の左がボディへ突き刺さる。


続けて右。


メリッサの体が揺れる。


さらに美羽の左フック。


メリッサが再び膝をついた。


実況。


「二度目のダウン! 第11ラウンド、またしても美羽!」


レフェリーがカウントを始める。


メリッサは立とうとする。


しかし、足が揺れている。


レフェリーが顔を覗き込み、すぐに両腕を交差させた。


試合終了。


テクニカルノックアウト。


その瞬間、東京ドームが爆発した。


地鳴りのような歓声。


拍手。


叫び声。


葵は泣きそうになりながら叫んだ。


「美羽さん勝った!」


達也も手を叩き続けていた。


「すごい……本当に強いな」


リングの上。


美羽は両手を上げた。


だがすぐにメリッサのもとへ歩み寄り、頭を下げた。


メリッサも、美羽の手を握った。


会場からさらに拍手が起こる。


実況。


「伊達美羽、十一ラウンドTKO勝利! 世界タイトル防衛成功です!」


解説。


「強かったですね。ボディで削り、顔面へつなぎ、最後まで冷静でした。まさに王者の防衛戦です」


葵は頬を赤くしながら言った。


「美羽さん、かっこよすぎる……」


達也も微笑む。


「ほんとだな」


莉央は、リングの上の美羽を見つめていた。


強くなった。


本当に強くなった。


自分たちが傷つけた小さな女の子は、世界のリングで、相手と正面から向き合い、勝ち、そして相手を敬った。


莉央は、その姿を見て、胸が締めつけられた。


葵が振り返る。


「お母さん、美羽さんすごかったね!」


莉央は、声を絞り出した。


「……そうね」


その一言を言うだけで、喉が痛かった。


大型ビジョンには、美羽の勝利インタビューが映る。


美羽はマイクを持ち、汗を拭いながら言った。


「メリッサ選手が強い選手だったので、最後まで気を抜けませんでした。でも、支えてくれた家族と、兄と、光お姉ちゃん、チームのみんなのおかげで勝てました」


葵は目を輝かせて聞いていた。


莉央は、目を伏せた。


家族。


兄。


光。


チーム。


美羽には、支えてくれる人がいた。


そして、自分はかつて、その支えを壊しかけた側にいた。


試合は終わった。


会場はまだ熱気に包まれている。


しかし莉央の中では、別の恐怖が膨らんでいた。


次は理人の試合。


葵が最も憧れる王者。


達也が尊敬する男。


そして、自分が最も恐れている過去の中心にいる人間。


東京ドームの夜は、まだ終わっていなかった。


第5話「美羽、東京ドームに立つ」。


葵にとっては、憧れの王者が強さを証明した夜。


達也にとっては、世界の舞台を目撃した夜。


しかし莉央にとっては、かつて傷つけた少女が、自分とは違う強さで世界に立っていることを突きつけられた夜だった。

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