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少年法の壁スピンオフ  作者: リンダ


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ここは懺悔の場所じゃない

 少年法の壁 後日談


 第23話「ここは懺悔の場所じゃない」


 夕方の秋生ジムには、子どもたちの声が響いていた。


 小学生たちのスパーリング。


 ヘッドギアをつけた子どもたちが、リングの中で向かい合っている。


「ガード下げない!」


 光の声が飛ぶ。


「足、止めるな!」


 理人がリングサイドから声をかける。


 美羽は別の子のグローブを直していた。


「怖かったら下がっていい。でも、目はそらさない」


 三人はもう現役を引退していた。


 理人も、光も、美羽も。


 かつて世界の頂点に立った三人は、今は秋生ジムで子どもたちの指導にあたっていた。


 強さとは何か。


 勝つとは何か。


 人を傷つけない拳とは何か。


 それを、次の世代に伝えていた。


 その時だった。


 ジムの玄関ドアが開いた。


 冷たい外気が入り込む。


 三人が入ってきた。


 神谷莉央。


 中村獅童。


 中島こころ。


 理人が最初に気づいた。


 続いて、美羽。


 最後に光。


 三人の表情が変わった。


 理人はすぐにスタッフへ声をかけた。


「子どもたちを奥へ」


 光も頷く。


「スパーリング中止。みんな、一度休憩」


 子どもたちは何が起きたのか分からないまま、スタッフに連れられて奥へ移動した。


 リング周りから、子どもの声が消える。


 ジムの空気が変わった。


 理人、光、美羽が、莉央たちの前に立った。


 しばらく、誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは莉央だった。


「伊達くん……」


 理人の目は冷たかった。


 莉央は震える声で続けた。


「美羽さん、光さん……」


 三人は何も返さない。


 莉央は深く頭を下げた。


 獅童も。


 こころも。


「ごめんなさい」


 その言葉が、ジムの床に落ちた。


 莉央は泣きながら言った。


「あの時、私たちはあなたたちを傷つけました」


「理人くんを追い詰めて」


「美羽さんにも嫌がらせをして」


「伊達家が横須賀を離れることになった原因を作りました」


 獅童も声を絞り出した。


「俺たちは……逃げ続けてきた」


「ずっと謝らなかった」


「なかったことにしてきた」


 こころも続けた。


「でも、全部戻ってきました」


「私たち、家族を失いました」


「子どもにも、配偶者にも、信じてもらえなくなりました」


 莉央はさらに頭を下げた。


「私たち、全てを失ったんです」


「だから……」


 その先を言う前に、理人の声が響いた。


「帰れ」


 一言だった。


 鋭く、低く、迷いのない声だった。


 莉央たちは顔を上げた。


 理人は静かに言った。


「ここは、お前たちが来ていい場所じゃない」


 ジムの中が凍りついた。


 理人は続けた。


「ここは、子どもたちが強くなるための場所だ」


「怖くても立つことを覚える場所だ」


「自分の弱さと向き合う場所だ」


「お前たちの懺悔の場所じゃない」


 莉央は言葉を失った。


 美羽が前に出た。


 その目には、もう昔の怯えはなかった。


「私たちがここまで来るのに、どれだけ努力したか分かりますか?」


 莉央は何も言えない。


 美羽は続ける。


「お兄ちゃんは、毎日怖さと戦っていました」


「私は、お兄ちゃんを助けられなかった悔しさを抱えていました」


「光お姉ちゃんは、私たちを支えながら、自分も努力し続けました」


「私たちは、逃げ続けてここに来たんじゃありません」


 美羽の声は震えていなかった。


「あなたたちとは違います」


 その言葉に、獅童の顔が歪んだ。


 光も静かに言った。


「あなたたちが全てを失ったことは、私たちには関係ありません」


 こころが小さく息を呑む。


 光は続ける。


「それを持ってここに来て、謝罪として差し出されても困ります」


「それは反省ではなく、自分たちが楽になりたいだけです」


 莉央は首を横に振った。


「違う、そんなつもりじゃ……」


 理人が遮った。


「同じだ」


 莉央は動けなくなった。


 理人は言った。


「小学生の頃も、お前たちは自分の苦しさを俺たちにぶつけた」


「家庭がうまくいかない」


「不安だった」


「寂しかった」


「それを理由に、俺と美羽を傷つけた」


「そして今も同じだ」


 理人の目が莉央たちを射抜く。


「家族を失った」


「全てを失った」


「苦しい」


「だから俺たちに謝らせてくれ」


「結局また、自分たちの苦しさを俺たちに持ち込んでいるだけだ」


 誰も何も言えなかった。


 理人は続けた。


「俺たちは、お前たちの救済装置じゃない」


「謝れば楽になれると思うな」


「許されれば人生が少し戻ると思うな」


「俺は、お前たちの謝罪を受け取る気はない」


 莉央の目から涙がこぼれた。


「どうしても……駄目ですか」


 理人は即答した。


「駄目だ」


 美羽も言った。


「私は受け取りません」


 光も続けた。


「私もです」


 莉央たちは、また頭を下げた。


 しかし、誰もそれを見ていなかった。


 理人はスタッフに向かって言った。


「入口まで」


 それは、退去を求める言葉だった。


 獅童が歯を食いしばった。


 だが、何も言えなかった。


 怒鳴ることもできなかった。


 ここで怒鳴れば、本当に何も変わっていないことになる。


 三人はゆっくり玄関へ向かった。


 背中に、理人の最後の言葉が落ちた。


「二度と来るな」


 ドアが開く。


 冷たい風が入る。


 三人は外へ出た。


 ドアが閉まる。


 ジムの中に、沈黙が戻った。


 少しして、奥にいた子どもたちが不安そうに戻ってきた。


 美羽は表情を整え、しゃがんで言った。


「大丈夫。練習、続けよう」


 理人もリングサイドに戻った。


 光もミットを持った。


 ジムには再び、子どもたちの声とミットの音が戻っていく。


 ここは、過去を懺悔する場所ではない。


 未来を作る場所だった。


 外では、莉央たちが立ち尽くしていた。


 謝罪は受け取られなかった。


 許しもなかった。


 救いもなかった。


 ただ、突き返された。


 お前たちは、ここに来ていい人間ではない。


 その現実だけが、冷たい飯山の風の中で三人の前に残った。


 第23話「ここは懺悔の場所じゃない」。


 謝罪は、相手に受け取る義務を発生させるものではない。


 許しは、加害者が望めば与えられるものではない。


 理人たちは、前へ進むためにジムを守っていた。


 そして莉央たちは、ようやく知ることになる。


 許されないまま生きるという罰が、確かに存在するのだと。

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