焦りの音
少年法の壁 後日談 神谷莉央
第11話「焦りの音」
インターハイ。
理人と光は、全国のリングで結果を残した。
決勝の結果は、スポーツニュースで報じられた。
新聞にも載った。
ネット記事にもなった。
動画配信のスポーツチャンネルでも取り上げられた。
飯山から全国へ。
長野代表の高校生ボクサー。
伊達理人。
秋生光。
そして中学生の全国王者、伊達美羽。
三人の名前は、また少し大きく広がった。
画面の中で、理人は汗を拭きながらインタビューに答えていた。
「自分一人の力ではここまで来られませんでした。支えてくれた人たちと、毎日積み重ねてきた練習のおかげです」
光も答えた。
「勝った試合より、苦しかった練習の方が自分を作ってくれたと思います」
美羽の映像も流れた。
「私もお兄ちゃんたちに追いつけるように頑張ります」
三人は前を向いていた。
その姿は、まぶしかった。
まぶしすぎた。
横須賀。
神谷莉央は、スマホでそのニュースを見ていた。
画面を閉じる。
また開く。
閉じる。
開く。
自分でもなぜ見ているのか分からなかった。
見れば苦しくなる。
それなのに見てしまう。
理人が結果を残し続けている。
光も全国で勝っている。
美羽も中学生の部で全国王者になっている。
その事実が、莉央の胸を締めつけた。
自分はどうだったのか。
インターハイ予選。
莉央は一回戦敗退だった。
100メートル。
スタートで出遅れた。
中盤で力み、後半で失速した。
200メートルも同じだった。
コーナーを抜けた時点で前に出られず、最後は足が止まった。
記録は自己ベストにも届かなかった。
顧問に言われた。
「神谷、また焦ったな」
また。
その言葉が刺さった。
また焦った。
また力んだ。
また崩れた。
中学の頃から、何も変わっていない。
獅童も同じだった。
高校サッカー部で、彼は補欠にすら選ばれなかった。
インターハイ予選の登録メンバー発表の日。
監督が名前を読み上げる。
一年生の中からも数名が入った。
だが、獅童の名前はなかった。
ベンチ外。
スタンド応援。
中学でも味わった悔しさが、高校でさらに重くなって戻ってきた。
獅童はロッカールームでスパイクの紐をほどきながら、歯を食いしばった。
なんでだよ。
なんで俺じゃない。
なんであいつらなんだよ。
その苛立ちは、誰にも向けられないまま胸の中で暴れた。
こころも、水泳部で壁を破れなかった。
自由形100メートル。
自由形200メートル。
インターハイ予選。
初戦突破すらできなかった。
予選の組で沈んだ。
記録も平凡だった。
水から上がったこころは、電光掲示板を見つめたまま動けなかった。
届かない。
何度泳いでも届かない。
後輩にも追いつかれ始めている。
その現実が、冷たい水よりも体を冷やした。
三人はそれぞれ、同じ問いに捕まっていった。
なんで。
なんであいつは結果を出しているのに。
なんで自分は。
理人は、かつて自分たちが追い出した相手だった。
自分たちが傷つけた相手だった。
逃げたと笑った相手だった。
その理人が、全国の舞台に立っている。
美羽も、あの時は小さな妹だった。
泣きそうな顔で兄のそばにいた。
その美羽が、全国王者になっている。
光は、二人を支えながら、自分も全国で結果を出している。
それなのに自分たちは。
初戦敗退。
ベンチ外。
予選落ち。
現実はあまりにもはっきりしていた。
焦りは、競技に出た。
莉央は練習中、スタートで力みすぎるようになった。
一本一本に結果を求めすぎる。
隣の選手を気にしすぎる。
フォームが崩れる。
上半身が硬くなる。
足が流れる。
顧問が声を張る。
「神谷、力を抜け!」
だが抜けない。
抜いたら負ける気がした。
力を抜いた瞬間、置いていかれる気がした。
ある日のスタート練習。
莉央は無理に前へ出ようとして、着地の瞬間に足首をひねった。
鋭い痛み。
その場に崩れる。
「神谷!」
部員たちが駆け寄る。
軽い捻挫だった。
大きな怪我ではない。
だが、練習を数日休む必要があった。
莉央は保健室のベッドで天井を見つめていた。
悔しい。
痛い。
情けない。
でも、その奥にもっと嫌な感情があった。
あいつのせいだ。
理人のニュースなんか見たから。
美羽の笑顔なんか見たから。
光のインタビューなんか聞いたから。
そう思いかけて、莉央は自分で自分が嫌になった。
獅童も荒れ始めた。
練習中、味方への声がきつくなった。
「そこ出せよ!」
「今の取れただろ!」
「ちゃんと見ろよ!」
周りの空気が悪くなる。
同級生の一人が言った。
「獅童、お前さ、人のせいにしすぎじゃね?」
獅童の顔が変わった。
「あ?」
「自分もミスしてるだろ」
「うるせえよ」
その日から、獅童は少しずつ孤立していった。
自分が出られない理由を認められない。
だから周りのせいにする。
けれど、周りはもう小学校の時のようには付き合ってくれなかった。
こころも、水泳部でうまくいかなくなった。
焦って練習量を増やした。
無理に泳ぎ込んだ。
体が重くなった。
肩に痛みが出た。
顧問に止められる。
「中島、今日は上がれ」
「まだ泳げます」
「フォームが崩れてる。これ以上やると痛める」
「でも」
「でもじゃない」
こころはプールサイドで黙った。
隣では、同級生が自己ベストを出して笑っていた。
その笑い声が、こころには自分を責める声のように聞こえた。
三人とも、同じ場所に落ちていた。
結果が出ない。
焦る。
無理をする。
崩れる。
怪我をする。
周囲とうまくいかなくなる。
そしてまた、結果が出なくなる。
悪循環だった。
ある夜。
莉央は足首に湿布を貼りながら、スマホを見ていた。
おすすめ記事に、また理人の記事が出ていた。
――伊達理人、全国でも存在感
莉央はスマホを投げるようにベッドに置いた。
見たくない。
でも見てしまう。
名前が目に入るだけで、胸がざわつく。
理人は何もしていない。
自分を責めているわけでもない。
復讐しているわけでもない。
ただ結果を出しているだけ。
ただ前へ進んでいるだけ。
それが一番苦しかった。
莉央は布団に顔を埋めた。
なんで。
なんであいつは。
なんで私は。
答えは、ずっと前から目の前にあった。
理人は自分と向き合ってきた。
美羽も向き合ってきた。
光も向き合ってきた。
莉央たちは、向き合わずに逃げてきた。
でも、まだ莉央はそこまで言葉にできなかった。
言葉にしてしまえば。
自分が壊れてしまいそうだった。
第11話「焦りの音」。
理人たちの勝利は、莉央たちを直接攻撃したわけではない。
だが、その結果は。
逃げ続けてきた者たちの足元を、静かに崩し始めていた。




