全国のリング
少年法の壁 後日談 神谷莉央
第10話「全国のリング」
夏。
インターハイ本戦。
全国から、各都道府県を勝ち抜いた高校生ボクサーたちが集まっていた。
会場の空気は、県予選とはまるで違った。
熱気。
緊張。
応援の声。
カメラ。
各校のジャージ。
リングを見つめる選手たちの目。
ここにいるのは、全員が勝ち上がってきた者たちだった。
理人は長野代表として、ミドル級に出場する。
光は女子フライ級。
二人は交際していた。
だが、会場では必要以上にべたべたすることはなかった。
互いに支え合う。
けれど、リングに上がれば一人。
それを二人とも分かっていた。
控室で、光が理人に言った。
「緊張してる?」
理人は少し笑った。
「してる」
「私も」
「光ちゃんでも?」
「当たり前でしょ。全国だよ」
二人は顔を見合わせ、静かに笑った。
その笑いは、甘さではなく、覚悟を確かめる笑いだった。
先にリングへ上がったのは理人だった。
初戦。
相手は西日本の強豪校の選手。
体格も良く、パンチも速い。
開始のゴング。
相手は最初から前へ出てきた。
速いジャブ。
強い右。
観客席が沸く。
しかし理人は崩れなかった。
ガードを固める。
上体を少し外す。
足で距離を作る。
相手のパンチは、理人の芯を捉えられない。
そして、理人は返す。
左ジャブ。
右ストレート。
ボディ。
また顔面。
正確だった。
無理に倒しにいかない。
だが、当たるたびに相手の動きが少しずつ鈍る。
第二ラウンド。
相手が強引に踏み込んだ瞬間。
理人の左がボディへ入った。
相手の体が折れる。
さらに右。
顔面へ正確に入る。
相手が膝をついた。
ダウン。
会場が大きくどよめいた。
理人はニュートラルコーナーへ下がり、静かに呼吸を整えた。
焦らない。
追いすぎない。
秋生ジムで何度も言われたことだった。
試合再開。
理人は最後まで崩れなかった。
判定勝ち。
初戦突破。
リングを降りると、光が小さく拳を差し出した。
理人も拳を合わせる。
「ナイス」
「そっちも」
次は光の初戦だった。
相手はスピード型の選手。
だが光は慌てなかった。
硬いディフェンス。
鋭い反応。
そして、女子選手とは思えないほど重いパンチ。
相手が入ってくる瞬間に、光の右が入る。
会場から声が上がった。
光は冷静だった。
守る時は守る。
打つ時は迷わず打つ。
第二ラウンド。
相手の連打をガードで受け、足で外す。
そこから左。
右。
ボディ。
相手の動きが止まる。
最後は正確なストレートでダウンを奪った。
判定勝ち。
光も初戦突破。
控室に戻った光に、理人が言った。
「男子並みの威力だった」
光は少し眉を上げる。
「女子でも強いパンチは打てます」
「すみません」
「よろしい」
二人は軽く笑った。
だがその目は、すぐに次の試合を見ていた。
二回戦。
準々決勝。
準決勝。
理人は勝ち進んだ。
鉄壁のディフェンス。
正確なパンチ。
ボディへの打ち分け。
顔面への的確なストレート。
相手が焦れば焦るほど、理人は冷静になった。
理人は派手に吠えない。
相手を挑発しない。
勝っても大きく喜びすぎない。
ただ、ひとつずつ積み上げるように勝った。
光もまた勝ち進んだ。
フライ級のスピード感ある攻防の中で、光のディフェンスは際立っていた。
相手の速さを見切る。
距離を外す。
そして、重い一発を返す。
相手は次第に前へ出られなくなる。
光はリングの上で、静かに相手を支配していた。
準決勝。
理人の相手は優勝候補の一人だった。
重いパンチを持つ選手。
会場の注目も大きかった。
開始早々、相手の右が飛ぶ。
理人はガードで受ける。
重い。
だが、崩れない。
相手がさらに前へ出る。
理人は足を使い、角度を変えた。
そして、ボディ。
相手の表情がわずかに変わる。
理人は見逃さない。
二度目のボディ。
さらに顔面へ左。
試合が進むにつれ、相手のパンチは大きくなった。
理人はその大きさを利用した。
最終ラウンド。
相手が勝負に出る。
大振りの右。
理人は半歩外し、右を返した。
相手の顔が跳ねる。
さらに左ボディ。
相手が膝をついた。
ダウン。
理人はまた、静かにコーナーへ下がった。
判定。
勝者、伊達理人。
決勝進出。
光の準決勝も激しかった。
相手は全国でも名のある選手。
序盤からスピードで圧力をかけてくる。
だが光は下がりすぎない。
ガードを固め、正面に立ちすぎず、相手の入り際に合わせる。
第二ラウンド。
光の左が顔面に入る。
相手が一瞬止まる。
そこへ右。
さらにボディ。
相手の動きが落ちる。
最終ラウンド。
光は最後まで足を止めなかった。
相手が焦って入ってきた瞬間、光の右がきれいに入った。
相手がダウン。
会場が沸く。
判定。
勝者、秋生光。
決勝進出。
その夜。
宿舎のロビー。
理人と光は少し離れた椅子に座っていた。
互いに明日の決勝を控えている。
周囲には他校の選手もいる。
派手な会話はしなかった。
光が言う。
「ここまで来たね」
理人は頷く。
「うん」
「怖い?」
理人は少し考えた。
「怖い。でも、横須賀にいた時の怖さとは違う」
光は静かに聞いていた。
理人は続ける。
「今の怖さは、自分で向き合える怖さだから」
光は小さく笑った。
「強くなったね」
理人は首を横に振る。
「光ちゃんと美羽と、会長がいてくれたから」
「それでも、立ったのは理人だよ」
理人は黙った。
その言葉は、胸に深く残った。
光もまた言った。
「私も怖い。でも、決勝まで来たからには勝ちたい」
理人は頷く。
「勝とう」
「うん」
恋人としての言葉ではなかった。
同じリングに立つ競技者としての言葉だった。
翌日。
インターハイ決勝。
理人はミドル級の頂点をかけてリングに上がる。
光は女子フライ級の頂点をかけてリングに上がる。
飯山の小さなジムから始まった二人が、全国の決勝に立つ。
あの日、横須賀を離れた少年。
その少年の手を引いた少女。
二人は今、全国のリングで、自分たちの強さを証明しようとしていた。
第10話「全国のリング」。
初戦を越え、強豪を越え、ダウンを奪い、二人は決勝へ進んだ。
拳の強さだけではない。
逃げずに積み上げた時間が、二人をここまで連れてきた。




