差が開く春
少年法の壁 後日談 神谷莉央
第9話「差が開く春」
時は流れた。
理人は高校生になった。
秋生光も高校生。
美羽は中学生になっていた。
飯山でグローブを初めてはめた、あの夏休みから何年も経っていた。
秋生ジムのリングには、今も毎日のように三人の姿があった。
理人。
光。
美羽。
三人はもう、ただの地元の有望選手ではなかった。
光は女子フライ級で、日本代表候補の一人に名を連ねるようになっていた。
鋭いフットワーク。
冷静な試合運び。
相手の癖を見抜く目。
そして、勝っても浮かれない姿勢。
理人もまた、高校一年生ながらミドル級の日本代表候補の一人として注目されていた。
体格は大きくなった。
パンチも重くなった。
だが、彼の強みは力だけではなかった。
崩れない。
焦らない。
相手をよく見る。
基礎を捨てない。
それが理人の強さだった。
美羽は中学生の部で、同学年の中では日本一と呼ばれる存在になっていた。
スピード。
リズム。
反応。
そして、試合中の思い切りの良さ。
小学生の頃から積み上げたものが、中学生になって大きく花開いていた。
春。
理人と光は、インターハイ長野県予選に出場した。
会場には、県内の強豪選手が集まっていた。
だが二人は崩れなかった。
光は女子フライ級で勝ち上がった。
相手を見切り、距離を支配し、決勝でも冷静に勝ち切った。
理人はミドル級で圧倒的な強さを見せた。
重いパンチ。
堅いガード。
安定した足。
決勝では相手の攻撃を受け止めず、外し、最後は鋭い右で流れを決めた。
二人は長野代表として、インターハイ出場を決めた。
ジムでは会長が静かに頷いた。
「ここからだ」
光は笑った。
「分かってる」
理人も頷く。
「はい」
美羽は二人を見上げた。
「私も全国で勝つ」
その言葉通り、美羽も中学生の全国大会で優勝を果たした。
表彰台の真ん中。
首にかかる金メダル。
カメラの前で、美羽は笑っていた。
「お兄ちゃんと光お姉ちゃんに負けたくないです」
記者たちが笑う。
だが、その言葉は冗談だけではなかった。
美羽は本気だった。
三人は、それぞれの場所で結果を残していた。
そして、その名前はまたニュースで流れた。
新聞に載った。
ネット記事になった。
スポーツ番組で紹介された。
飯山から生まれた三人のボクサー。
その言葉は、少しずつ広がっていった。
一方。
神谷莉央たちも高校生になっていた。
中学時代は終わった。
けれど、何かを乗り越えたわけではなかった。
莉央は最後まで陸上で地区代表にも県代表にもなれなかった。
100メートル。
200メートル。
何度も走った。
だが届かなかった。
同学年の中で三番手、四番手。
そこから抜け出せないまま、中学生活は終わった。
中村獅童も同じだった。
サッカー部では最後まで県大会で中心選手にはなれなかった。
ベンチに入れる時もあった。
だが試合を動かす選手にはなれなかった。
こころも水泳で結果を残せなかった。
自由形100メートル。
200メートル。
県の上位に届くことはなかった。
三人は、それぞれ高校に進んだ。
そしてまた、同じ部活に入った。
莉央は陸上部。
獅童はサッカー部。
こころは水泳部。
だが高校は、中学よりさらに厳しかった。
レベルが違った。
中学で地区上位だった選手。
県大会常連だった選手。
小学生の頃からクラブで鍛えてきた選手。
身体能力の高い選手。
技術のある選手。
自分より速い。
自分より強い。
自分より経験がある。
そんな相手が当たり前のようにいた。
莉央は初めての練習で、現実を突きつけられた。
スタート練習。
隣の一年生が、あっという間に前へ出る。
加速の伸びが違う。
フォームが違う。
体幹が違う。
莉央は必死に追った。
だが届かない。
顧問が言った。
「神谷、力みすぎ」
また同じ言葉だった。
中学でも言われた。
高校でも言われた。
何も変わっていない。
莉央は唇を噛んだ。
獅童も高校サッカーの練習で圧倒された。
パススピード。
判断。
体の当て方。
ポジショニング。
中学の時なら通じた動きが、高校では簡単に潰される。
自分がボールを持つ前に、相手はもう次の動きを読んでいる。
獅童は焦った。
そしてまた、周りのせいにしたくなった。
パスが悪い。
声が足りない。
ポジションが合わない。
だが本当は分かっていた。
足りないのは自分だった。
こころも水泳部で、最初から壁にぶつかった。
泳いでも泳いでも、上位との差が縮まらない。
フォーム修正を受ける。
体力不足を指摘される。
後半に沈む。
中学で言われたことが、高校でも繰り返されていた。
三人とも、高校に進めば何か変わると思っていた。
環境が変われば。
指導者が変われば。
仲間が変われば。
自分も変われるかもしれない。
けれど、変わらなかった。
なぜなら。
自分の弱さを見つめないまま、場所だけを変えたからだった。
ある日の夜。
莉央はテレビのスポーツニュースを見ていた。
画面には、インターハイ長野県予選の特集が流れていた。
長野代表として紹介される理人と光。
そして、中学生全国大会で優勝した美羽の映像。
三人の表情は、以前よりさらに引き締まっていた。
アナウンサーが言う。
「飯山から全国へ。日本代表候補としても期待される三選手です」
莉央はテレビを消した。
リモコンを握る手に力が入る。
見たくなかった。
でも、もう何度も見ている。
新聞。
ネット。
ニュース。
理人たちの名前は、嫌でも耳に入る。
それに比べて自分は。
高校に入っても、まだ同じ場所で足踏みしている。
莉央はベッドに座り込んだ。
中学の顧問の言葉を思い出す。
自分の弱さを認めろ。
何が足りないのか、自分で見つけろ。
結局、自分は見つけられなかった。
いや。
見つけようとしなかった。
家のせいにした。
環境のせいにした。
才能のせいにした。
過去のせいにした。
理人たちが目立つせいにした。
でも、何も変わらなかった。
高校の春。
理人と光はインターハイへ進む。
美羽は中学生の全国大会で頂点に立つ。
莉央たちは、また新しい競争の中で埋もれ始めていた。
差は開いていた。
競技の結果だけではない。
自分と向き合ってきた時間の差。
逃げずに積み重ねてきた時間の差。
そして。
人間としての強さを学んできた時間の差だった。
第9話「差が開く春」。
高校生になっても、人生はリセットされなかった。
積み重ねた者は、さらに前へ進む。
逃げ続けた者は、同じ場所でまたつまずく。
その現実が、莉央たちの前に静かに立ちはだかっていた。




