九 幸せに
あれから一晩考えてた。
この仮契約がおわったらどうなるのか。
命運をともにするって言ってた本契約。それを結ぶとどうなるのか。
次、椿に呼ばれて。いつものように甘いものを食べてる時に聞いてみようと思う。
本契約がどういうものかはわかんねぇけど。
もし、俺でもいいなら。
椿が俺でいいと言ってくれるなら。
その時は、と思ってる。
もちろん、それで俺の想いが叶うわけじゃないってことはわかってるけど。
それでも今の俺がやりたいことは、今まで通り椿の傍にいること。
椿が言う『懸命に』とはまた違うかもしれないし。
本当に俺が考えなきゃなんないこの先とはまた違うけど。
それでも、これだけは決めた。
俺はまだ、椿と一緒にいたいんだ。
椿に呼ばれたのは次の日だった。
いつも通り鈴の音がして。行くぞと手を差し出される。
その手を取りながら、俺も密かに決意を固めた。
仮契約と本契約のこと。
今日こそ椿に聞かないとな。
そんな俺の決意なんか気付いた様子もなく。到着した先で椿はいつものように歌い始める。
りん、と空に昇って広がる音。
集まってきた丸い光の球に触れては、砕けた欠片を取り込んで。足元に集まった人形は、たんぽぽが一列に並ばせてる。
いつも通りの変わらぬ様子。
光の球が全部なくなって。椿の歌の残響が最後に辺りを震わせて消える。
今日はこれでおわりだな、と。そう思った時だった。
息を吸い込む様子すら見せず、椿がまた歌い出した。
椿?
歌ってる間は声を出すなと言われてるから、呼ぼうとした名は呑み込んで。
今まで歌が途切れることなんて一度もなかった。いや、そもそも光の球は全部取り込んでるのにどうして。
驚く俺を見る椿がふっと微笑んだ。
椿らしくない、どこか寂しそうなその顔に。
言いようのない不安が込み上げる。
――今日、なのか?
今日が最後なのか?
今度こそ名を呼ぼうとして、声が出ないことに気付く。
椿はまっすぐ俺を見て歌いながら、髪に挿す椿の花を手に取った。
椿の手元へと浮かんできたたんぽぽが、その花を両腕で抱える。ぽぅ、と少し光って。花を椿の手に返したたんぽぽは明らかに小さくなってて。
待て。さっきから何してるんだよ?
声が出ないどころか動けない。
ふたりとも、何してるんだよ!
椿が一歩近付いて俺の前に立った。
俺を見つめるその瞳に確信する。
仮契約は今日でおわり。
そして、ふたりと会えるのも今日が最後なんだってことを。
椿は動けない俺の両手を取って花を載せた。そのまま押しやるように、俺の胸元へと近付ける。
身体に触れた瞬間ぱっと光って、椿の花は消えた。
〈ありがとう〉
突然頭に響いた言葉は椿の声で。
でも椿は俺を見たまま歌ってて。
いつも通り、耳からはなんて歌ってるのかわからない音が聴こえてくるのに。
〈世話になったな〉
頭に響く声は、その歌詞なんだとわかる。
〈響のお陰で楽しかった〉
椿の歌。
俺に向けて歌ってるのか?
呆然とする俺に応えるように、椿がその手で俺の両手を纏めてぎゅっと包み込む。
〈知らぬこともたくさん知れた〉
食いもんのこと言ってるなら、まだ食べたいって言ってたの残ってるよな?
今から夏だし、かき氷とかも食ってみたいって言ってただろ? だったら――。
〈本当にありがとう〉
俺の考えてることは伝わらないのか、聞こえてるけど応えないのかわからないけど。
聞くつもりがないってことだけは、わかって。
〈あの日のようにまた迷う日もあるだろう〉
でも俺の方に来たたんぽぽは腕に必死にしがみついてるし。
〈それでも焦らずゆっくりでいい〉
椿だって、ずっと何かを堪えてる顔してるよな?
〈響なら大丈夫〉
ふたりだって俺と一緒なんじゃないのか?
これで最後になんてしたくないんじゃないのか?
そう思ってるの俺だけなのか?
〈私が認めた男だからな〉
少なくとも俺は!!
俺はまだここにいたいんだよ!
椿の傍にいたいんだよっ!!
なのに、なんで――。
切り替えるようにゆっくりと瞬きをして、椿が俺を見る。
〈主様から加護を預かってきた〉
椿。
俺は今日、俺でもいいかって聞くつもりだったんだ。
一緒にいたいって言うつもりだったんだ。
〈これからも響が幸せであるように〉
こんな一方的に。
俺の言葉、一言も聞かずにおわりにするつもりなのか?
〈たんぽぽも私も祈っておる〉
椿、頼むから。頼むから俺にも話させてくれ。
俺はまだ椿に何も言えてないんだ。
〈響〉
俺は椿が好きなんだって。
椿のことが好きなんだって。
俺はまだ椿に伝えてないんだ。
〈幸せに〉
微笑む椿の頬に涙はなかったけど。
胸が苦しくなるくらい、寂しそうな顔をしてた。
椿の歌が空に消えた。
その手が俺の手から離れた瞬間。
ふっと辺りが暗くなった――。




