八 懸命に
椿が好きだと自覚したところで、俺に何ができるでもなく。
むしろこの想いに気付かれたらその時点でどうなってしまうかわからない。
相手は神様の使い。
好きになること自体が間違ってるって言われても仕方ない。
俺だって。
どうにもならないことくらい、わかってるんだよ。
『もう暫く』って言われたけど。つまりずっとってことじゃない。
もうすぐおわりが来るってことだって、ちゃんとわかってるんだ。
だから。
何も言えなくても。何もできなくても。
それでも会えるのが嬉しかった。
椿に手を引かれてあちこち行って。
歌う椿を眺めて。
隣に座って、一緒に食べて。
いつもただそれだけだったけど。
それでも、嬉しかったんだ。
そんな日をいくつか重ねたある夜。
りん、と鈴の音が聴こえた。
こんな夜にと思いながら、慌てて自分の部屋の窓を開ける。
「響! よかった、気付いてくれて」
窓の外、ふわりと浮いて。椿が嬉しそうにそう言う。
鈴の音は椿の歌声――俺を呼ぶ音なんだから。気付かないわけねぇだろ。
「どうしたんだよ?」
「いいからちょっと付き合え」
返事も聞かずに俺の手を取って、椿は俺を窓から引っ張り出した。
「どこ向かって……?」
俺の問いには答えず、椿はそのまま夜空を上がってく。
町の明かりが遠ざかるにつれて、星の光が強くなって。椿が上昇をやめたのは、上にも下にも光が散らばる、そんな狭間でだった。
微笑む椿を見て、辺りを見回す。
綺麗、なんてもんじゃない。
足元には色とりどりの明かり。頭上には少しずつ明るさも色も違う星。
床までスクリーンにして全面に星空を映し出したら、これに近い景色になるんだろうけど。
きっとこの広さまでは感じられないんだろうな。
地平線まで敷かれた光を天蓋のように星空が覆う。その真ん中に、俺達がいる。
「ちょうど新月で綺麗に晴れておったから。この景色を見せようと思ってな」
ぎゅっと握られた手を辿り、その先の椿を見る。
夜みたいな黒い格好でも、ずっと椿は眩しくって。
空の星より、地上の明かりより、俺にとっては、なんて。浮かんだ小っ恥ずかしいセリフをもちろん言う気なんてないけどさ。
夜闇のような瞳を細め、椿も俺を見ていた。
「どうだ?」
「どう、って……?」
「気に入ってくれたか?」
そう聞かれて、椿から景色へと視線を移す。
夜に浮かぶ一面の光に、星の海って言葉を思い出した。もしかすると宇宙空間ってこんな感じなのかもしれないな。
「ああ。綺麗だな」
「そうだろう」
「なんで椿が偉そうなんだよ」
思わず笑うと、抗議するように手を強く握られた。
「星空は昔から変わらず綺麗だが。人の営みの光も負けてはいないな」
眼下の光を小さい子どもを見守るような顔で見下ろす椿。
「皆懸命に暮らしているのだな」
懸命に。
なんの気もないだろう椿の言葉が、ぐさりと刺さった気がした。
何もやりたいことが見つからないまま進学した俺。
将来に関わる選択を前に、それでもまだ何も思いつかない。
自分が何をしたいのか。自分に何ができるのか。
皆月も、同期生たちも、夢を描き将来を描き進んでるのに。
俺だけまだ、わからないまま取り残されてる。
溜息が出そうになったところを、また椿に手をぎゅっとされた。
「何を考えておる?」
落ち込んだの気付かれてたとか、ちょっと恥ずかしい。
「……別に。これからどうするかなって思っただけ」
嘘はつきたくなかったから。そんな曖昧な言葉でごまかした。
横目で椿を見るけど、椿は俺の方を向いてなくて。ずっと遠くを見つめてる。
情けない顔してるだろうから。見られてなくてちょっとほっとした。
「これから、か」
椿から目を逸らして俺もぼんやり遠くを見てると、ぽつりと椿が呟く。
視線を感じてもう一度向き直ると、今度こそ椿は俺を見つめてた。
「焦らずとも。何事もすぐ見えてくるものでもあるまい」
静かな声は、心配してるからでも、諭すつもりでもなくて。
ただそうだから告げるだけだと、そういうような。
「遠回りも、迷うことも。全てが無駄ではないだろう?」
続けられた言葉にはっとする。
あの日、いつもと違う道を行かなかったら椿と会うこともなかった。
俺が何も悩んでなかったら。目標にまっすぐ向かってたら。今この時間はなかったんだな。
まっすぐ俺を見つめてる椿の眼差しがなんだか照れくさくなって。視線を逸らす代わりに、強く握られたままの手を握り返す。
「……そう、だな」
空を覆う星の光と、地上を覆う町の明かり。その狭間で、椿といられる。
それなら、俺はこれでよかった。
いや、これがよかったんだって。
本当に、そう思う。
「今日はありがとな」
部屋に戻ってから礼を言うと、椿は笑って首を振る。
「私の方こそ突然済まなかったな。だが、響と見られてよかった」
柔らかく細められる黒い瞳。
俺を見る椿の表情に、唐突に理解する。
「ではまた――」
「椿っ!」
窓から離れかけた椿を思わず呼び止めてしまってから、続けられる言葉がないことに気付いた。
「……ごめん。なんでもない」
「変なやつだな」
言葉の割には優しい声で返してくれる椿。
その姿が消えてから、俺はその場に座り込む。
俺と見られてよかったと言った椿。
きっとこのセリフの頭には、最後に、って言葉がつくんだろう。
椿との仮契約。
もうすぐ、おわりなんだな。
イラスト作 コロン様
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