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 直之は、自分の体を鏡に映すことを嫌っていたから、部屋には百均で買った小さな折りたたみのミラーだけで、備え付けてあった脱衣所の鏡を裸になる時だけは意識的に見ないようにしている徹底ぶりだった。

 精神科医との話し合いの末、手術を行う許可を得ることが出来ていたが、未だ実行には至ってはいなかったのは、直之にはどうしてもそこで手術を受けたい病院があったからで、タイの最も有名な病院の外観から室内の様子、手術費も含めた総費用、病院だけではなく、航空券や滞在先の予約もしてくれ、保険の手配、さらには現地での通訳まで、細やかなサポート体制の整ったことから、その病院での手術の成功率の高さだけではなく、心細い直之を安心させてくれるケアが受けられそうだと判断したからだった。

 性転換手術に関することを調べるうちに、術後に自殺するケースがあることを知り、しばらくは脅えたりもしていたが、自分にはやっぱり不必要なものだし、生まれた時から女であったのは染色体なんかでは語れない、きっと性分化のちょっとした間違いから、こんなことになってしまったのだから、生まれつき障害を持っているだけのこと、先天的な病気を治すこととなんにも変わらない。だからわたしは術後に後悔することなどない、女の体と社会的に女であることの証明書、戸籍変更への条件もすでに満たしている。だけれど、わたしにとって変更ではなく、あくまで誤った戸籍を元の正しい戸籍に訂正するだけのことだという、直之の考え方を両親に何度話してもその点はどうしても理解してもらえないのは、直之の性への知識に比べると、両親のそれは乏しいものでしかなく、知識量の差が生み出す齟齬は、両親の知識が開かれるのを待つしか望みはなく、性同一性障害に関して書かれた本を幾つも両親に渡しても、二人の理解は得られずに、とうとう直之は両親を捨て実家を出て行くことを決心した。

 ひとりで生きていく覚悟はしていたつもりだったが、初めての独り暮らしは、今までにない寂しさと頼りなさがあった。それをうめるために時々、講演会を見に行ったりすることで紛らわそうとしていた。

 自然な流れで社会的弱者といわれている人々の言い分を指示するようになっていたから、直之にはあの学生の堂々とした批判が強烈な印象として残っていた。どうしてああいう人がいるのだろうか、人が苦しんでいるのに手を差し伸べて何がいけないのだろうか、きっとあの手の人は何にでも難癖をつけないと気がすまない、天邪鬼な性格に違いない。でなければ弱者に鞭打つような発言をあんなにはっきりと公言できるわけがない。

 けれども、彼のような大胆さに憧れもあった。やり方はともかくあの前向きで一途な姿勢にはわたしも見習えるところがある。もっと自分を強く持たなければ……。

 三週間に一度のエストロゲン注射にも慣れてはきたが、あの注射針の痛みは健在で、仮にタイでの造膣手術が終わっても、しばらくは膣が塞がらないように拡張ケアをしなければならないし、例によって女性ホルモン投与も引き続き行わなければならない術後の生活を考えると、直之は不安になる一方で、金銭的にも、精神的にもそれらに耐えながら生きていくことができるだろうか、いまひとつ自信がなかった。

 支えになってくれる人は花屋の夫婦だけで、それでも孤独感は薄れることはなく、もっと身近で手を差し伸べてくれるような頼りがいのある存在を直之は求めていた。それがあの学生だったら……。いや、彼はダメだ。あんな乱暴な人はきっとわたしの悩みなんて一笑しておしまいにするに違いない。彼に関わると不幸になるような気がする。彼は自分も他人も傷つけて面白がるような、破滅型の人格者で、わたしのような精神の脆い人間は格好の標的にされてしまうに違いない。

 協力者としてのパートナーを直之は望んでいた。どうせわたしのようなのは恋人をつくれるわけがないから、将来を独りで生きていくとしても、心の内を話せる友人ならできるはずだ。恋人でなければ失った際のショックも耐えれる範囲で、死にたいほどの失望を味わうこともないだろうから、きっと冗談めかしに”おかま”とか”ニューハーフ”とか言われても笑って言い返すことができる余裕もできるに違いない。

 しかし、なにがハーフなのだろうか。定着してしまった呼び名にあえて逆らうつもりはないけど、わたしは生まれつき女だったのだから、半分も男であったことはない。体に腫瘍ができていただけのこと……。だれがこのことを理解してくれるのだろうか。両親すらわたしのことを、最後まで女になりたい男としてしか見てくれなかったのに、全くの他人が親以上の理解を示してくれるものだろうか直之には疑わしく、行き着き先は独りで生きていく道しかないような気がするばかりだった。


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