ACT 9-5
―――煙が上がる。
既に、辺りの光景に原型はなくなっている。もし、ここが結界の中でなかったのなら、今頃大騒ぎになっているだろう。そうならないのは、単にこの周辺に展開されている「結界」の能力が大きい。
現状、この場所は「あるようでない」場所となっているのだ。
この結界に近づく人間は、徐々にこの場所に対する感心と、意識をなくしていき、自然とこの場所を避けて通るようになる。それだけではなく、ここで起こっている出来事や、音などがすべて脳で認識されるよりも前に削除される。
人知を超えた戦いをするとき、人よけの結界は昔からよく使われていた手法であった。が、この戦いは既にその人知を超えた存在を、さらに超越する戦いと化している。「人よけ」などと云うレベルにはなく、完全に「失念」「消失」の領域に達している。
だから、原型を失った景色を一般人が見ても、それを不思議と思う事もなければ、そもそもそこで行われている事に対して記憶にすら残らないだろう。
だが例外があるとすれば、それはこの戦いに参加している人間がこの中に入っている場合。または、人知を超える力を扱う素質がある人間の場合。
または―――この結界を破壊するぐらい強力な力を持っている場合だ。
これで三つ目の高層ビルが倒壊した事になる。
奥歯をかみ締めて、ユウスケは上空から落ちてくる巨大な瓦礫を避ける為にその場から一目散に逃げ出す。
さすがにこの行動をするのも三回目なのだが、向こう側は余程頭に血が上っているのか、単純な手段にも乗ってきてくれている。それが幸いして、ユウスケは今でもほぼ無傷の状態で生き長らえている状態だ。
〝くそ! 前の戦いの被害越えてんぞ!〟
神代優愛と初めて出会ったあの日の戦いでは、ビルを丸ごとひとつ倒壊させた。それだけでも大きな騒ぎとなった。あのときは、結界が不完全と云う事もあってすぐに騒ぎになったが、今回は違う。
完璧な状態で結界が展開されている。現在、この惨状を理解できるのは、『心象』に参加している人間か……現在、結界内で戦闘を行っている人間だけだろう。ある程度の処置をしないまま結界を解除すれば、この場には倒壊した三つのビルの瓦礫が大衆の目の前に突然現れる事になる。
現在、結界を維持しているのは他でもないユウスケだ。本来、心の武器を持ったもの同士の戦いは、互いに結界を維持し、その中で戦うのがルールなのだが、さすがにそんな余裕は敵にはないようだ。
戦いの最中に結界の距離を伸ばす事が出来るのも、他でもない、ユウスケだけがこの結界を維持しているからであり、これが多人数になった場合はそうはいかない。それぞれの思惑や、結界に対する力加減が違う事もあり、結界を好き勝手にいじれなくなってしまう。
剣を振るって、結界を延ばす。それが一種の力行使の合図のようなものだ。人によってやり方や、まじないの仕方はそれぞれだが、ユウスケはそのようにしている。
ざっと三〇〇メートルほど結界の規模を一部分だけ伸ばす。すると、そこに居た人間たちが、まるで半分眠っているかのようにふらふらとその場から立ち去っていった。
三〇〇メートル伸ばした結界の、二〇〇メートルほどの地点に、ビルとビルの間の、人がひとりやっと入れそうな場所を見つけて体を滑り込ませる。
一旦休憩だ。息を整える。
〝―――さて……〟
息を整えている間に何とか考えをまとめなければならない。相手も心の武器を持っている上に、魔法使いときた。
心の武器を持っている人間はある程度の持っている人間の場所が解る。
同じように、魔法使いも、魔力の「色」でその人間をある程度の範囲で絞る事が出来る。
つまり逃げられない理由はふたつだ。ユウスケは残念ながら魔法使いとしてもカウントされている為に、敵の心の武器の索敵範囲外から出たとしても、魔法使いとして見付かる可能性があるのだ。
無論、戦うつもりは全くない。この状況下で戦うのは不利だと解っているし、一対一では敵う相手ではない。
考えなしに結界を広げているだけなら、戦いが沈静化したあとの被害を無駄に広げるだけだ。
もちろん、ユウスケには考えがある。それに則って結界を広げている。
「あと何キロぐらいあるんだろうなぁ、クソ」
思わず口にしてしまった。
彼が目指しているのは『自然結界』が存在している場所である。そこなら、魔法使い、心の武器、すべての気配をある程度はジャミングできる。この間、優愛との会食に使ったように、今回もそれで乗り切ろうと思っているのである。
幾ら、敵が強力な能力を持っていたとしても、それを向ける相手が居なければ意味を成さない。頭に血が上っているとはいえ、さすがに魔法使いとしての常識は弁えているだろう―――
―――と、思ったところで不意に妙な気配を感じて、ユウスケは咄嗟に心の武器を構える。
これは心の武器を用いて行われている何かの気配ではない。
魔法使いだからこそ解る。なにか……もっと違う力を使っている。
「―――って、バカヤロウッ!」
狭い路地裏の壁を蹴ると、上に登り、また壁を蹴りどんどん上へとあがっていく。そうして、ビルの屋上にたどり着いたところで、一気に跳躍―――その先の小さなビルの屋上を蹴って、結界を横に広げるとすぐにそちらに退避する。
退避して数秒後、先ほどまで居たビル群が、巨大な光線に包まれて蒸発した。
文字通り、蒸発だ。
完全にその場から失せた。
言葉を失った。そこにあったはずの光景は、一瞬にして瓦礫すらない更地へと姿を変えたのである。
「ド畜生が」
それしか言葉が出てこなかった。常識離れした破壊力の魔法を見せ付けられた事に対する驚きもあるが、それ以上に―――結界を展開しているとはいえ、人間のいる場所に向かってそれを発射させる「敵」の神経に―――ユウスケは怒っていた。
視力を倍々にして、光線の先を見る。消滅してしまった町並みの向こう側に、ぽつんとひとつ影が見える。
鬼の形相をした、その少女。
こちらを見ているところから考えるに、どうやら向こうもこちらを視認しているらしい。ビル群一帯が消滅した事によって視界が開けたのである。
あれだけの破壊魔法を使っておきながら、どうやら次弾があるらしい。彼女の周辺の魔力の流れが歪んでいる。周辺に存在している自然魔力が吸収されている。
怒りで震える体を押さえつけて、ユウスケはその場から逃げに徹する。いま、正面から向かい合って勝てる相手ではない。ここは逃げる方が優先だ。
心の武器は常に手に握っておく。最悪、これであれを受け止める羽目になるやも知れない。死にはしないだろうが、動けなくなると想定している。嫌なのは、魔法使いとしての負けは許すが、心の戦いで負ける事だ。
ここで折れる訳にはいかない。
〝考えろユウスケ……ここで消えるのはまずい〟
ちらりと、結界の向こう側を見る。この戦いを眺めている連中も、さすがに今の一撃を見ればあの少女がどれだけ化け物なのかは理解しているだろう。自分たちの持っている代物で勝てる存在か、勝てない存在かの区別もついているだろう。あくまで、〝恐らく〟―――仮定の話だ。
再びビルの合間に逃げる。すぐ上空を魔力弾がすり抜けていくのを目視したからだ。やはり、あれだけの魔法光線を連射するのはさすがに難しいらしい。すぐに、質よりも数の方針へ転向してきた。
相変わらず、狙いは適当だ。ビルをすべて破壊するつもりなのか、壁、地面構わず、あちこちに魔力弾が着弾している様子が見える。
この場に留まっていても仕方がない。あの光線の準備が出来るよりも前に、目的地にたどり着かなければならない。そこからなら、心の武器をしまえば、何とかやり過ごせるだろう。
ただ、先も述べたようにここからだと目的地は意外にも遠い。もっと近場の場所もあるのだが、生憎、それは現在走っている方向とは逆方向であり、しかもそちらには敵である少女がいる。必然的に、遠い方角へ向かわざるを得ないのである。
まだこの鬼ごっこは続く。生死をかけた、鬼ごっこだ。




