ACT 9-2
平日の昼間。下は賑やかだ。
この国の殆どの人間は休日より、平日の方が賑やかである。平日になると電車が短いスパンで動き、車たちも怒声よろしくクラクションを鳴らしまくっている。黒いスーツを身に纏った大中小それぞれの体格の人間たちが歩き回り、またオフィスの中で仕事をしている。もしくは、灰色の作業着を身に纏って、肉体労働に勤しんでいる。
普通の人間の環境に生まれれば、いずれああなってしまう。それ以外に道が存在していないからである。
一握りの優秀な人間、努力と云う才能を開花させた人間には別の領域が用意されており、そちらで活躍するような人間もいるだろう。
しかし、大多数の人間は、本当に自分のやりたい夢や理想を踏みにじってでも、安定した方へと向かうのである。
人々は安定を欲するが故に、自分の夢や欲望を諦めていくのである。
彼女にしてみれば、最初からその余地はなかった。
一般の家庭に生まれた訳でもなく、自分で選んでこの道を歩んでいる訳でもない。最初から、そうなるべくように教育され、その通りの道を歩んだのである。
普通に見ればそちらの方がつまらない人生だ。この足元に広がっている普通の人間たちよりも性質が悪い。それはよく理解していた。
『心の武器』の上に跨って、空を飛んでいる彼女は、遥か下に広がっている世界に思いを馳せる。
「悠里のヤツめ。本当に戦いが始まっているのか……?」
自分が最後だと彼女は言った。しかし、それから数日経っても、大きな戦いは二回。たった二回である。
九人も参加者が居る。そしてそれがほぼ同じ町に集まっていると云うのに、戦いは小競り合いのような小さなものが二回あっただけだ。どれも、勝敗を決めるまでは至っていない。
彼女自身も戦いにはまだ参加しては居ないのであるが、それは彼女の能力を考えて、自分から攻めて行くスタイルではないと分析したからこそである。つまり、自分から戦いにいけないのは仕方がない事だとは、彼女の言い分である。
ため息を吐く。これでは、いつになったら自分に出番が来るのか解ったものではない。
血の気の多い連中がフライングしたと言っていたが、その人物らしき人間が既に三回も交戦を行っていると考えれば、その人間が仕掛けてくる可能性もゼロではない。こうして、心の武器を展開して待っているのであるが、今のところその気配はない。
ビルよりも高く飛んでいるのは、その手の気配を確認する為である。これだけ遠く離れたとしても、自分の心の武器は鮮明に、この辺りの気配を回収し、それを分析し、自分に伝えてくれている。
今、この足元一帯に、心の武器を展開している人間はいない。収納している人間すら、居ないのである。
現在、足元に広がっているのは双葉市の駅周辺。あくまでこの周辺にはいないだけであり、双葉市のどこかしらには存在しているのだろう。三回目の戦いにおいてはこの双葉市ではなく、隣の歌仙市で行われたらしい。そちらの方にも足を伸ばしておくべきだろう。
退屈でそろそろあくびが出てくるほどだが、ここで気を抜くとバランスを崩してしまいそうなので、それは堪える。意図なくこの上空に居る訳ではないので、とりあえずしばらくはこの場所に留まるとして、その後は一旦下に降りて散策するとしよう。
そろそろ、食事もしたいところで、朝からこの上空辺りをうろついているのだが、何の収穫もないのだ。退屈にもなる。
……そう考えると、しばらくこの場所に留まる事を放棄して、一刻も早く下に降りたい気持ちになってくる。
「どうせ目当ても来ないしね」
それならもう良いだろうと、続きは夜にでもしようと、彼女は心の武器を操って、徐々に高度を下げていく。
すると、すぐにそれを感じる。
「―――ッ」
それは心の武器の気配。今、彼女の探索領域に足を踏み入れた。
数はひとつ。しかし、足音は四つある。
心の武器を持った人間が、ひとりと、その他の人間がひとりといったところだろうか。
「ふふ……久しぶりにナイスタイミング」
ぐん、と空を蹴ると、急降下する。
目標は見えていなくても、その気配は既にロックオンしている。それを逃すような事をする彼女ではない。
徐々に近づく地面。
地面がある一定の距離まで見えたら、ブレーキを踏む。すぐにこの加速が止まる訳ではなく、一度急降下した際のスピードを殺すには時間が掛かる。
彼女の計算は完璧であった。地面に丁度着地する頃には加速もなく、体に負荷が掛かる事もなく、地面に着地する事が出来たのである。
―――ず、おん。
鈍い音を一帯に響かせて、彼女は地面に降り立った。
突如の空からの来訪は予想外だった。普通に道端を歩いていて、気配を感じたら離脱しようと考えていた星野ユウスケは、空から降ってくる気配までは想定していなかったのである。
何も思う事はない。どうして空から人間が落ちてくるだとか、一体何者なのか……そんなものを考えるまでもない。彼の中では、そう言った芸当が出来る存在は三択である。
魔法使い
心象参加者
またはそれ以外の超次元的存在
―――それらに限られる。前述の前ふたつなら慌てる必要性はない。最後のひとつだけはさすがに面倒な類だが、それはないだろうと思っていた。
目の前に落ちてきたのは自分よりも若干年下に見える女性―――と言うよりは少女と言える年齢だろうか。
得意げに腕を組んで、仁王立ちしている。その後ろに若干見えているのは、恐らく……
「心の武器……」
つまり敵は心象の参加者と云う訳だ。
しかし彼女から匂うのは、妙な感覚。ユウスケはこの感覚に覚えがあった。
「しかも魔法使いかよ……」
「同業者か。丁度良い。話は……解ってるだろ?」
本来、魔法使いと云うものはそう簡単に出会う代物ではない。彼らは自分たちの存在を秘匿するのが神話の時代からの習わしであり、それを破る事を禁忌としている。無論、それを破る事で何か起こる訳でもなく、小動物に変身させられてしまう事もないのだが。
とは言え、秘匿する以上は必要以上に同じ魔法使い同士干渉する必要性は皆無なのだ。寧ろ邪魔になりかけない。
ユウスケもあまり同じ魔法使いと会う機会も減っていた。独立してから長い上に、両親とも長い事連絡をとっていない。彼是、三年ぶりと言ったところだろうか。
「どうした? こないのか?」
その、こないのか? と云う問いがどちらに関しての話なのかが解らない。
魔法使いとしてかかっていくべきところか、心象の人間としてかかっていくべきところか。
正直に言ってしまうと、あまり戦いたくない。連戦に疲れている事よりも、こっちは調査の途中なのである。無駄な時間を食って、目下のところの敵に準備をさせたくないのである。とりあえず、戦いから逃げる方法を考える。
一方の目の前の少女も仕掛けてくる気配はない。挑発しておいて自分から来ないとはどういう事なのだろうか。
…………長い長い、静寂。先ほどからにらみ合っているのだが、戦いを行う為の『結界』を展開する気配もなく、一般人が不思議な表情をしながらこちらを眺めては素通りしていく。
ユウスケに至っては武器を構えていない。だと言うのに、やはり向こう側から仕掛けてくる気配はない。
そうしているうちに、ついに痺れを切らせたのか、組んでいた腕を解いて、こちらを不機嫌そうな顔で彼女は睨み付けてくる。
「お、おい! 早くこい!」
「いや、こっちは別に戦う気はないんだが……」
こちらの戦いがひと段落したら相手をしてやっても良いのだが、今は生憎そのような時間も余裕もない。
「なんだと! こっちが折角赴いてやったと言うのに……」
「勝手に来られてその言い草かよ。そっちから攻撃しかけりゃ良いのに」
そうなったら全力で相手したあと、全力で逃げるが。
その回答に対して、彼女は渋る。
「…………それは出来ない。お前から攻撃してもらわないと困る」
余計な情報をぺらぺらと話す。
その言葉だけで、大体ふたつの可能性が考えられる。
ひとつは、相手の能力が自分から行っては意味のない代物の可能性がある。
ふたつ、そんな情報を口走ってしまうほど素人なのか、余裕があるのか。
どちらにしろ、この相手に先制攻撃を仕掛けると痛い目にあう気がした。
「断る。俺は忙しいんだ、どっかいけ、しっしっ!」
手のひらで相手を追いやるそぶりをすると、目の前の少女はますます不機嫌そうな顔をした。なんとも解りやすい。
「わ、私を……ぐ、愚弄するのか……」
難しい言葉を知っている。年齢のわりに言葉は知っているらしい。
「……わわわ、私を誰だと思っているんだ……」
「知るかよ」
正直本当に知らない。魔法使いの業界で、名前は知っていても顔は知らない人間は多い。心象に至っては完全な一般人が参加しているので、初対面ばかりになるに決まっている。
この人間は魔法使いだ。もしかすれば、名門学校を出ているのかもしれないが、そんなものはユウスケには知った事ではない。名門と言えば、『庭園』や日本で言えば『京都』と言ったところだろうか。
その辺を主席で出ているなら噂は出回るだろうし、それが出ていないと云う事はたいした事はないだろう。
「怒ったぞ! 後悔させてやる! リミッターなんて知るもんか! 殺してやる! 殺してやる!」
地団太を踏みながら、少女は物騒な言葉を言い放つ。別に殺すと云われようと、そう簡単に同じ魔法使いを殺せない事は相手も解っている筈だ。
が、ユウスケは冷や汗を流す。嫌なワードが聴こえたからだ。
リミッター。
彼女の顔に見覚えはなかったが、そのワードに聞き覚えはあった。
古く伝わる魔法の中には、現代には強過ぎる能力が存在している。無論、魔女も例外ではないが、その領域に至らなかったとしても、世界のパワーバランス、存在のバランスを覆しかねない強力な魔法使いには、その能力を抑える「制御装置」を装着する事が義務付けられている。
この制御装置は、一種の呪いのようなものであり、魔法使い統制機関の魔女や魔王によって掛けられており、通常の魔法使いでは解除する事は出来ない。
無論、そのままリミッターをつけられている魔法使いたちにはデメリットしか存在していない訳ではなく、それなりの資金や、生活が保障されるなどのメリットも作られており、魔法使いたちは日々、リミッター装着者になる事を目標として精進している。
もし、彼女の言っている言葉が本当で、彼女がリミッター装着者だとしたら……
〝……『庭園』のお偉いさんめ。滅茶苦茶しやがるな〟
規格外の存在に介入できないのなら、規格外の存在を介入させれば良い。
そのような魂胆なのだろう。
「とりあえず落ち着け。こっちは戦うつもりはないんだ」
平然を装って戦いを回避しようとするのだが、どうにも彼女は一度頭に血が上るとすぐには冷静になれないタイプらしい。その不機嫌そうな顔をしたまま、一歩前に出る。
このままでは拙い。白昼堂々、一般人の目のつくところでの戦闘になってしまう。
とは言え、そもそも魔法使い同士の戦いになると人よけの簡単な結界を作る事はあっても、それ以外の事をしようとはしない。否、それは出来ないのである。
結界とはそもそも「魔法」などの西洋から普及したものではなく、「陰陽道」などの東洋から派生した代物である。故に、純粋な魔法使いは結界を使用する事は出来ない。結界を作りたいのであれば、それこそ、僧でも連れてくれば良い。
この場ですぐに出来る結界といえば、心の武器を使用しての戦闘結界のみだろう。
とりあえず、本当にリミッターであるのなら、純粋な魔法勝負では勝てない。ここは戦闘を避けるのが得策であり、もし避けられなかったとしても隙を見て逃げ出す事ぐらいは出来るだろう。無論、簡単な事ではなく、それを難しくしているのは、相手も心の武器の保持者だからである。
逃げようものなら、心の武器の気配で察知されてしまう。逃げ切れる保証はない。
ではどうしたものか。そうなるとやはり、話し合いで全てを解決したいところだ。
「お前魔法使いだろ? こんなところで堂々と魔法使ったらマズイだろ」
心なしか、声は小さく。一般の人間に「魔法使い」と云うワードは、子供にしか通用しない。物語の中だけの存在だと認知されている。
「けどお前が挑発したんだぞ!」
少しは言葉を聴いてくれるようだ。ユウスケは安堵する。
「そりゃ誤るよ。アンタの事は知らないけど、リミッター持ちなんだろ? こんなところで魔法使ったらリミッターの主が怒るんじゃないのか?」
「心配無用だ! 生憎、私のリミッターなんて、心の武器を使えば簡単に解除できる! リミッターさえ解除できれば……ッ!」
どうやら説得は失敗したらしい。一度頭に血が上ると、それ以外の事を考えられなくなる短気な性格らしい。難儀なものだ。
心の武器で解除できるリミッター。リミッターをかけた魔法使いが未熟だったと思うべきか、心の武器が法外だと考えるべきか……どちらにしろ、そんな魔法使いが今回の件に噛んでいるとはユウスケも驚いた。
〝まだ解らない事もあるもんだな……〟
内心では笑いつつ、しかしこの状況は笑えない。
逃げるか、戦うか。
この二択だ。
―――考えはひとつだ。どちらにしろ、避けられないのなら、適当にいなして、逃げる隙を見つけるしかない。ここで背中を見せる方が危険だ。
ユウスケは戦う事を選択した。とりあえず、このままではまずいので、すぐに心の武器を取り出して、結界を展開する。
なるべく大きく。多くの場所を内包できるようにしておく。でないと、向こう側の攻撃でまた破壊され、前のビルのような惨事になってしまう事もあるからだ。
敵はリミッターと云う首輪をつけられているような人間だ。どのような魔法を混ぜてくるか解ったものではない。最悪、結界を破壊された事も考えないと拙いかもしれない。
「やる気になったか! 良いだろう! さぁ、後悔させてやるからな!」
「……マジ勘弁ッ」
ユウスケは心の武器を構えて、敵の行動を伺う事から、まずは始めた。