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D.H.  作者: yua
13/76

ACT 3-1



 1998, 9, 27,



 時刻は、一時を回ろうとしている。道路に人の姿も、車の通りもなく、信号も無視し放題であった。

 数を増やしてしまった為に、悠里はしばらく駅前に三人を放置し、数分後に車を駆って現れた。

 新車同然のその車は、それもそのはずなのである。トヨタ・プログレは今年の五月に発売されたばかりの最新鋭高級車である。投入できる資金をすべて投入し、コストと云う概念を完全に無視しきった傑作車と云う意見もあるが、しかし、売れ行きはあまり宜しくない。どれだけ国内で高級車を謳ったところで、海外より輸入される本物の高級車には敵わない。

 しかし、コンパクトながらも高級感漂うフォルム。座席に座った瞬間に感じる、ゆったりとした高級感溢れるパワーシートを、悠里は気に入っていた。

 車の事はよく解らないが、優愛もまた座り心地は良い、とは思っていた。

 現在、運転席には悠里が座って、速度は一一〇キロオーバーで走らせている。その横の助手席に優愛が座り、顔をひきつらせている。後部座席には、悠里の持ってきた服装に身を包んだ元全裸の男と、先ほどの男と最初戦っていた『セカンド』と呼ばれる青年が座っている。

 会話はない。悠里が気を利かせて話しかけてくれたが、正直優愛には精神的にも、肉体的にもそのような余裕は存在していない。本当なら、すぐにでも家に帰ってベッドに直行したいぐらいだ。

 が、そう言っていられないのも事実なのだ。今回起こった事態を知り、これからどうするべきなのか……それを知らなければならないのだから。

 後ろの席で外の景色を眺めている元全裸の男―――彼は一体何者なのか。心当たりは一切ない。ただ突然現れて、自分の命を救ってくれた恩人である。彼についても、少しは知らなければならない。

 他にも、セカンドと呼ばれる青年はあんなところでどうして戦っていたのか。本当に殺し合いだったのか。なにが目的なのか。

 知りたいことは山ほどある。自分がどこに連れていかれるのかも解らない上に、どうなってしまうのかも解らない。思わず、明日が休日でよかった、と思ってしまった。もし、明日が普段どおりの日常、平日だったとしたら、どのような顔で学校に行けば良いのか解らなかった。

 …………しかし、この車はどこに向かっているのだろうか。これだけ速度を出して走っていると云うのに、一向にたどり着く気配がない。少なくとも、既に自分の住んでいる町ではない事は確かである。

 そろそろ目的地を聴きたいところだが、それを知っている当の本人は先ほどから頻繁に話題を振っていたと云うのにいまは振ってもこない。こちらから話しかけづらい雰囲気をかもしだしているのだ。

 これでは訊こうにも訊けない。大人しく、車が停止して、目的地にたどり着くのを待つしかない。

 何度目か解らない信号を信号無視して、やっと悠里はブレーキを踏んで減速を始めた。それでも、まだ六〇キロ近く出ていると云うのに、途轍もなく遅く感じる。いまなら窓を開けて、外に出ていっても怪我をしないと思える。……当然、実際はそんな事はない。

 ここで減速したと云う事は、目的地が近いか、近い内、道を曲ろうとしているからだろう。周囲をよく見てみると、どうやら住宅地のようにも見える。

 速度が落ちて、町の看板をようやくまともに見る事ができた。そこには知らない名前の市名が書いてある事から察するに、隣町などと云う簡単な事ではなく、隣市のところまで来てしまったらしい。

 元々、あの駅の時点で優愛の知っている土地ではなかったのだ。帰りもどうせこの車だろう。それなら、そこまで気にする事はない。ただ、心配なのは、今日―――と言ってももう日付が変わってしまったので昨日だが―――買った画材を午前中に到着するように指定したので、受け取れるかどうかが心配だった。

 点滅する信号を見ると、もう黄色信号で点滅を繰り返しているだけなのに気づく。

〝……深夜の信号って、こうなっているんだ……〟

 あまり深夜に外に出歩かない上に、信号を渡る機会も少ない。年始になれば、深夜に信号を渡る事もあるのだが、そのようなイベントのときには大体信号は通常どおりの運転をしているものだ。

 こうした、イベントのない普通の日に、深夜に出歩く事は稀で、こう言ったいつも見ているものの違った部分を見るのは心躍るものがある。

 現状起こっている出来事を除けば、だが。

 車の速度が下がってどれだけの時間が経っただろうか。いつの間にか、住宅地の中に入っており、狭い道を車で走っていた。街灯が少なく、隣にいるはずの悠里の顔すら、見えなかった。先ほどまでバックミラー越しに見えていた後ろのふたりの姿も、今では殆ど見えない。

 ため息を吐きたい気分を必死で抑えて、唾を飲む音すらうるさく感じる。なんとも言えない雰囲気は、いつまで続くのだろうか……?

 いや、恐らくもうすぐ、そう、もうすぐ。それだけを考えて、優愛は異常な雰囲気の中を黙り続けている。

 ぎぃ、と音を立てて、車が減速をした。ぐぅ、と鈍い音は、次の瞬間に響いて、腹の下あたりに妙な加圧を感じて鳥肌が立った。

「ついたわよ」

 やっと、着いたらしい。

 悠里の声が響いた。扉が開く音が響いて、外の生温かい空気が車内の中に入ってくる。すぐに後ろの席の扉が開く音も響いている。ふたつ。

 急いで外に出ると、街灯の少ない町の真中に建っている巨大な屋敷に気づいて驚く。

「大きい……」

 こんな住宅地の真中に巨大な屋敷が建っているとは思っても見なかった。しかし、自分の知っている町ではないので、この町ではこれが普通なのかもしれない。

 入口は優愛がふたり立てに並んでもまったく問題ないレベルで巨大である。こんな扉の向こう側にはどれだけ巨大な空間が存在しているのか、想像できない。

「入って」

 悠里が先に入る。鍵は、最初から掛かっていないかのように、すんなりと扉が開いた。

「おじゃまします……」

 そう言ったのは優愛だけで、後ろからついてきている『セカンド』と男はなにも言わずに屋敷の中に入った。

 足を踏み入れると、勝手に電気がついて、優愛だけが驚いてその場に尻もちをついてしまった。

「大丈夫?」

 悠里に言われながらも、真先に手を差し伸べてくれたのは自分を助けてくれた男であった。

「あ、……ありがとう、ござい、ます」

 そういえば、こうして異性の人間に手を差し伸べてもらうなど、これまでは一度もなかった。

 ようやく腰を上げて辺りを見渡すと、どれだけ巨大な屋敷なのかようやく解る。本当に日本の狭い住宅地の中にある場所なのだろうか、ここは。そう疑ってしまうぐらい、ここは広い、本当に文字通りの「屋敷」なのであった。

 まるで物語に出てくる魔女の屋敷のようである。豪華絢爛な内装。そして、異様な雰囲気を放っている壁の絵や、装飾品。こんな場所が本当に存在しているなんて、優愛は感動すら覚えた。物語の中だけの世界が、ここに、現実に存在しているのである。

 エントランスには巨大な階段が三方向に存在しており、入口の扉を潜ってすぐ目の前にひとつ、右手にひとつ、左手にひとつとなっている。上を見え上げれば前述したとおりシャンデリアがあり、足元には魔方陣かなにかのような文様が刻まれている。先ほど尻もちをついたときに触ってみたが、最初から床の一部のような肌触りであった。そこにざらつきはない。

 なにも言わずに、悠里はすぐ目の前の階段を登って行ってしまう。取り残された三人は、互いに意見を求めようと一時は視線を合わせるが、しかし、見ず知らずの人間である事を思い出して、すぐに悠里についていった。

 階段を上がると長い廊下がそこにはあり、壁にはまるで絵かなにかと間違うような数の扉が存在している。しかも、驚くべきはその廊下、先がかすれて見えないほど長い。そんなにもこの屋敷は広いのか、それともなにかトリックを使っているのかは見当もつかない。

 悠里はすぐそこにあった扉の前に立っていた。無言で、無表情のままだ。扉に手を掛けて、この部屋に入れと言わんばかりである。

 ……その悠里の表情に多少不安になったものの、優愛は唾を飲んで、その部屋の中に入った。

「……」

 部屋の中は想像と違って、意外と普通の作りをしていた。いや、普通と云うには語弊がある。一般人からすれば、いかにも、屋敷の中にある応接室と言ったような豪華な作りになっている。優愛が想像していた部屋とは違った、と云う意味だ。

 部屋の中央に設置されている巨大なテーブル。そこにあるのは今日の人数分、四つの椅子と、ティーカップ。いま焼き上がったばかりに見えるクッキーであった。

 最初から、この部屋に誰かがくる事を待っていたかのような状況に、優愛は驚く。

「好きな席に座って。すぐに始めるから」

「え、あ……はい」

 戸惑いながら席を見渡していると、『セカンド』はすぐに手近な席に腰を下ろす。自分の隣にいる男の方も、指を差して、空いている席に座るように優愛を促す。

 男に指差された席に腰を下ろすと、それを見届けた悠里が最後に、席についた。

 これから一体なにが始まるのだろうか。

 優愛にとっては、これから起こる出来事―――いや、それだけじゃない、ここに来る前に起こった出来事ですら、想像のできない、この世のものとは思えない非現実なのだ。

 椅子に腰を下ろすと、少し安心した。あのときの現状を目撃してしまい、隣町の駅まで走ったせいか脚は疲れ切っており、妙にだるい。車の中でも腰をおろしてはいたものの、如何せん、車内のスペースは限られており、こうしてのびのびとした雰囲気で脚を伸ばす事が出来るのは久方ぶりであった。

 部屋の中に意識を向ける余裕もできて、話が始まる前に、部屋の中の雰囲気を確認していた。

 壁には、先ほどの廊下と同じく様々な装飾品の他に肖像画も幾つか展示されていた。中には、自分と同い年ぐらいの青年、少女が描かれているものもある。後ろの方に視線をやると、また別の人物の肖像画が幾つか展示されていた。

「……」

 なぜだろうか……知らない人間のはずなのに、その肖像画を見ていると悲しくなってきてしまう。

「わたしの恩人よ。ここにある肖像画は、この屋敷の前の持ち主の人が知り合いに頼んで描いてもらったものなの。最初はこっちの壁だけだったんだけど、わたしが来てからはまた増えちゃってね」

 微笑交じりに、悠里は優愛に向かって説明した。その表情の裏側には、なにか、様々な感情がこもっているようにも思えた。

「そんな肖像画の話をする為に来たワケじゃないだろ?」

 セカンドが優愛と悠里の会話を遮って、そう述べた。

 確かにその通りだ。ここに来たのは世間話をする為ではない。

 そうね……、と少し寂しそうに悠里は言うと本題に入るべく腕を組み、口を開いた。

 優愛は視線をあちこちにやりながら彼女の言葉を、セカンドは腕を組みながら背中を背もたれに預けながら、元全裸の男は目の前のクッキーをひとつ手に取り口に運びながら、それぞれ悠里の発する言葉に耳を傾ける。

「……セカンド……だったか? 本名は聴かない方が良いか。オマエは現状どのような状況に陥っているかは解っているだろう?」

「あぁ。―――なるほど、つまり、アンタが今回の『観測者』ってヤツなのか?」

 聴きなれない言葉に、優愛は首を傾げる。

「取りあえず、順を追って話をしよう。私はお前の言うところの『観測者』で問題ない。本来なら別の人間が行う事になっていたんだがな、まぁ急用で私が行う事になった」

 それでセカンドは納得したのか、その場は引き下がった。

 悠里の視線はセカンドから、優愛の方へと向かった。

「じゃあ現状を今度はそっちに話そうか。今、この辺りでどのような状況になっていて、アナタの置かれた状態について説明しようかな。

 ―――それを聴いて、悠里ちゃんには、どうするべきか決めて欲しいの」

 最後だけ、とても優しい口調で述べた。それが逆に、優愛を不安にさせた。

 本当に辛い状況を説明するとき、優しい口調で話をする人間を優愛はたくさん見てきた。そして、いつもそうだ、こうして優しい口調で物事を説明する状況のときは必ずと言って良いほど良い事はなかった。

 恐らく、今回もそうだろう。それは解りきっていた事だ。

 よくも解らない事態に巻き込まれ、自らの命を左右するような状況に追い込まれ、現に男の介入がなければ自分はこの世にいなかったかも知れない。

 つまり、話を聴くよりも前に、あまり良い話ではない事は解りきっていた。

 現在、優愛が持っている情報は、「武器」のようなものを使って〝戦い〟を行っている事。その戦いが、ビルを丸ごと燃やし尽くすような火災を起こす規模である事。

 これが示すところは…………

「戦争」

 …………その一言に尽きる。

「あながち間違いじゃあ、ない。

 太古の昔から、この〝戦い〟は何回が繰り返されている。我々はこの戦いの事を『心象』と呼んでいる」

「……しん……ぞう?」

 胸に思わず手を当てる。

「漢字がちょっと違うか」

 悠里が指を鳴らすと、どこからともなくホワイトボードが姿を現し、優愛を驚かせた。なにもない空間から突然物体が出現したのである。まるで手品師か、魔法使いだ。しかし、横にいるセカンドは別にさも当然のようにその光景を眺めている。

 ホワイトボードに、悠里は漢字を書いて行く。

「これで〝しんぞう〟と読む」

 書かれたのは、『心象』と云う文字。なるほど、〝しんぞう〟と読めなくもない。若干、無理矢理な気もしない事はないが、ここは無理には指摘しないでおこう。

 では、この戦いは一体どのようなものなのか。

「そうだな。この『心象』と云う戦いは、述べたように大昔から続いている。

 太古。この世界がまだひとつの大地で繋がっていた神話の時代の話だ。

 とある全ての願いを叶える事の出来た王が持っていた『心の願いを具現化する力』。現代にそれが蘇った、と言うべきだろうか」

「……ええと」

 目の前で剣を使った凄まじい戦闘を行っていた光景を見ていた。余程の事は許容できると思っていたのだが、あまりにも突飛した話題に優愛は言葉を失ってしまった。

 続きを聴こう。彼女の表情を見ていると、それが嘘を言っているような表情には見えない。しかし、その言葉が事実のようにも、彼女には思えないのである。

「その王は愚者によって殺され、その強大な力を恐れた魔法使いによって、幾つかの力に分割されて封印されたと言われている。そしてその力は九つに分けられ……時に、世界のどこかでその力が目覚める周期がある」

「話によれば、その周期はバラバラ。いつどこで行われるか、何年ごとに行われるのかも解っていない」

 予想外にもセカンドから放たれた言葉に、優愛は頷く。

「……しっかし、本当に解ってなかったんだな。てっきり、そう云う人間を選別しているかと思ったが……」

 セカンドは視線を悠里の方に向ける。

「システムはそこまで融通は利かせないわ。ただ、その力が発揮する刹那、もっとも切なる願いをした人間に力が宿る」

 男が現れたときの事を思い出す。優愛は、戦いに参加していた男によって殺されかけていた。そのとき、優愛は思ったのである。

 死にたくない、と。

 まだ、死にたくない、と。

「まさに偶然と言える。あのとき、あの場所で〝生きたい〟という強い願いを聞き入れたシステムが彼女に力を与えたんだろう。……偶々、あの場所が、その力の扉だった……か」

「願いを叶える力が放出する場所は安定していないのか?」

「それにも法則性はない。偶々だ」

 つまり、偶々彼女は戦いの場所を目撃し、偶々逃げた場所がその戦いで力を与えるような場所で、偶々〝生きたい〟と強く願ったから―――自分はこうなってしまったのか?

「話が途中だったな。その『心象』の真なる目的は、心に強い願いを、強い欲望を持った人間が己の心の具現化である『剣』を持って戦いを行う。それが儀式となる。

 互いの願いを、互いの心を否定して、破壊する。そして、自分の真なる願いが、他の八つの欲望に勝ったとき―――奇跡によって、心の願いは叶う」

 つまり……

「勝つと、なんでも願いが叶うんですか?」

 ……そう云う事になるのではないのだろうか。

「正確には違うな。例えば、ある人間が性欲を満たしたいという願いの為にこの戦いに参加したとしようか。だが、もしそいつがこの戦いを生き残ったとしても、その願いが叶うという確証はない」

「……」

「叶う願いは『心の願い』だ。本当に心の奥底で願っている事の願いが叶う。その人間が心から性欲を満たす事を願っているのであれば、確かに叶うだろうな。もし、それ以外に本当の願いがあるのなら、そちらが優先される。

 思考での願いではない。本当の願いを求める」

 その辺りは良く解らない。心から望んでいるからこそ、それが願い、欲望なのではないのだろうか。そう、優愛は思ってしまう。

「戦いによって使う『剣』は、そんな人間の心を移している形態になる。剣と言いつつも、剣じゃない形の武器もあるしな」

 横目でセカンドをみる。セカンドの使っていた武器は、剣とは言い難く、槍のような形状をしていた。どちらかと言えば、レイピアと言う方が正しいのだろうか。巨大な刀身のレイピア。

「そして、オマエもまた『心象』に巻き込まれた人間として、『心の剣』を手に入れているハズだ」

 やっと……悠里はその視線を例の男へと向けた。

 まさか、と思ってしまった。

「この男がそうなのか?」

 確かに、剣は心の願いによって形状を変えると悠里は言った。だがしかし……

「前代未聞じゃないのか? 心の剣が人間そのものってのは?」

 セカンドすら、その事実に苦笑していた。

 優愛は男の方を見ると、同じく男も優愛を見た。

 この男が、優愛の望む願いの具現化。優愛自身、信じられない。心にある願いは、ただ日々を平穏に、代わり映えしない事に退屈しつつも、それを楽しんでいる自分だ。平凡はあったのだ、不満などある訳もない。

 ―――だと言うのに、優愛の心の願いを聞き入れて作られた『心の剣』は、人間の、しかも男性のカタチをしていたのだ。

 男は何も言わない。ただ、視線をまた下に戻して、クッキーを口に運んだ。

「人並みの知識は持っているようだな。感情の突出は少ないようだが……」

 一応、人間としては機能しているらしいと、悠里は結論づけた。〝一応〟とつけたのは、彼が心の剣である以上、普通の人間でないのは確か故だ。

 何にせよ、優愛は漠然と現在の事態を飲み込めた。自分が置かれている立場、どのような事件に巻き込まれていたのか。

 驚くべき事は、恐ろしいほど冷静な自分だ。卒倒するような事を突き付けられたと云うのに、自分はどうして冷静に今の状況を分析しているのであろうか。

『心象』は心の願いを叶える戦い。

 なら、この戦いは……

〝私が望んだ事……?〟

 平凡を楽しんでいたのは嘘で、本当は自分に刺激が欲しかったのではないのだろうか。周りの人間とは違い、特別な人間に人一倍なりたかったのではないのだろうか。

 そうでなければ、自分はこんな願いを叶える戦いなどに巻き込まれる事など無かったはずだと、思う。

「私……どうすれば良いんですか? この人を使って、戦えば良いんですか?」

 使う、と云う言葉には抵抗があるが、この人物は心の剣らしい。剣と云う事は〝モノ〟なのである。

 意思もあれば、言葉も話す。どう見ても、剣のようには見えないが、あのときの男を退けた実力と頑丈さは、人間離れしていた。剣を肉体で受け止めていたのだから、やはり剣なのだろう。

 優愛の問い掛けに対して、悠里は顔つきを変えて口を開く。

「…………戦いを放棄する事は出来るわ。―――それは『観測者』であるわたしが保証します」

 優しい口調の方だ。ちょっとずつ、悠里が人格を変えるようなときが解ってきたような気がした。自らに伝えにくい事を言うときは優しい人格で、現実を告げるときは厳しい口調の人格が出てくる。

「……だが……生憎だがその場合のリスクは恐ろしく高いがな」

 また人格が変わった彼女は、指をセカンドの方に差した。

「問おうか。もし、戦いを放棄している、なんの実力のない参加者がいたらどうする?」

 セカンドは眉ひとつ動かさず断言する。

「まず倒す。それが勝利に近づくし、力も溜まるしな」

「そう云う事だ。

 心象の参加者たちは、戦いに参加しない人間を真先に倒しにくるだろうな。それが一番、無駄な力を使う事なく、勝利に近付けるからな」

「そんな……」

 戦う以外に道はない。

 突き付けられた現実は非情であり、彼女にとっては絶望的なものであった。

「なに、命を落とす事はないさ。見ただろう? あんな燃え盛る炎の中で戦っていたのにも関わらず、この男は無傷だ」

 爆発したビルの中で戦いを行っていたセカンドと名も知れぬあの男は確かに無傷だった。優愛の目の前にいるセカンドもそうだが、自分を殺しにきたあの男もまたそうだった。息ひとつあがらずに、戦い続けていた。

「それがこの戦いの参加者への恩恵だ。剣を手にした人間は、剣が実体化しているときのみ、超人的な能力を発揮する。あくまで、具現化していればの話だがな。

 例えば、この男。今は剣をしまっている。本来、心の剣は、戦いの参加者及び、私のような『異端者』にしか見えない。なのに、どうして常に実体化させておかないのか? それは簡単で、剣を具現化させるのにもまた力を必要とするからだ。いつまでも出していては、精神力が削がれていき、いつかバテてしまう。心だって疲労するさ。だから、必要のないときは剣をしまっている。

 かと言ってこの状態でコイツを殺せるかと言えば時と場合による。同じ心の剣を持っている同士は互いを感じる事が出来る。近くに心の剣を持った人間がいれば、喩え実体化していなくても解る。そうなれば心の剣を抜いて、異能を具現化する事も可能だ。

 弱点を述べるなら…………そうだな、この剣が見える異端者であり、かつ、超絶凄腕スナイパーがいたら負けるかね。まぁ、心の剣の能力にもよるな。そう言った、殺意や気配に敏感な剣を持っている人間も例にないワケじゃないし、実際超絶凄腕スナイパーが超遠距離から参加者を殺そうとした例もあったし、成功したり成功しなかったりだ」

 心の剣が常人に対して異能を与える事はよく解った。

「じゃあ、私も……?」

 自分ではそうは思えない。

「恐らくな。この男が心の剣だと云うのであれば、実体化させるのも、消失させるのも自由自在なハズだが……?」

「ええと……」

 しかし、優愛はその答えを持っていない。どのような行動を起こせば、そのような超能力者のような真似ができるのか解らない。

 男の表情を眺めているのであるが、彼はクッキーに対しては無表情を貫き、優愛に対しては微笑で迎えた。彼を眺めたとしても、表情の変化ぐらいで、それ以外の変化はなにひとつなかった。

「元来なら、剣を手にした時点で解るようになるものなんだがな。アナタは事が事だけに、その勝手が解ってないみたいね。

 問題は、この人が現状を理解しているかどうかだけど?」

 そういえば、先ほどからクッキーを眺めているだけで、それ以外はまったく興味を示していないようである。悠里の言葉にも反応せず、セカンドは隣にいると云うのに横目で見る訳でもなく、ただ優愛の言葉や行動に対しては反応する。

 ふと思った。

〝犬みたい〟

 ……実際の犬は最初から愛想が良い訳ではない。普通は吠えて、噛みつく。しかし、犬は人間の心が解るらしく、すぐにでも懐いてくれる。逆にいつまで経っても、生涯一度も懐く事なく終わる猫よりは愛想が良いだろう。余談だが、優愛は犬よりも猫の方が好きだ。

「まぁ…………そのままでも良いんじゃないかな。傍から見れば、普通の人間にしか見えないし、心の剣を持った人間には実体化していようがいまいが気づかれるワケだし」

「燃費、悪そうだな」

 僕? と言いながら、彼は優愛に向かって首を傾げた。

「それよりも、まだまだアナタには説明しなきゃいけない事があるわね。……大丈夫? 眠くない?」

「え、あ……大丈夫、です」

 ここに来る前、昼から夜まで寝ていたのである。起きたときはまだ眠れると思ったが、今となっては、眠気は完全に飛んでいる。それと、紅茶を飲んだからと云うのも恐らくあるだろう。紅茶に含まれているカフェインはコーヒーよりも多い。

 セカンドは欠伸をしつつ、椅子に背中を預けている。今にも寝てしまいそうな格好をしているが、大丈夫だ、と言っている。

 剣―――であると思われる―――の男は眠気を感じていないのか、先ほどと変わったところはない。

 一同の状況を見て、セカンドに多少心配のまなざしをやりつつも、悠里は話を続ける。

「それじゃあ、今度は『観測者』の話をしよう。さすがにそろそろ心象についての説明は解っただろうしな」

 先ほどから何回か聴くタイミングのあった『観測者』と云うワード。

 日本語でそのまま受け取るのであれば、何かを確認・認識するような人間。物事の変化や、推移する姿を客観的に見ている。

 そこまで考えて、もしかして、と云う仮説が生まれる。

「……心象……? の、戦いを見守る人ですか?」

 優愛の言葉に、おっ、とセカンドが反応を示した。悠里はそれに対して―――

「おしいな」

 ―――と言った。良いラインは行っていたらしい。

 しかし、逆に『観測者』と云う用語を聴いて、普通ではない人間はなにを考えるのだろうか。観測と云うワードを聴いた時点で、物事を客観的に確認・認識するような事にしか考えられないのだが……

「…………じゃあ、なんなんですか?」

 少し考えてみたが、それ以上思い付きもしなかったので、素直に解答を待つ事にした。

「まぁ一言で言えば『審判者』だな。勝敗を決め、時には公平な戦いを促したりする。

 今回の事も、それがひとつの仕事でもある」

「ひとつ? 他にも仕事があるんですか?」

 悠里は頷くと、テーブルの上にあるティーカップを手にして紅茶を一口飲む。しゃべり続けているのだ、喉も渇く。

「―――アナタの言った通り物事を傍観する役割もあるわ。例えば、記録にして後世に残す、とかかしら」

「記録……誰が、読むんですか……そんなもの」

「―――確かにね。けど、常に人間の歴史とは、そう言ったものの積み重ねだから。

 ……それに好きでやっている事じゃない。『観測者』は私たち側の人間であれば誰でもできるものじゃない。本来、観測者と云う存在は、この心象の戦いの中だけに限定される役職ではないからな」

 人々の歴史は良かれ、悪かれ、記録にされて残されてきた。勿論、近代だけに拘らず、古代から情報の隠ぺいはあった。それによって消えてしまった歴史の事実もあるだろう。しかし、人々はそんなものですら記録にしてきたのだ。

 利益、不利益の問題ではなく、ただ人々の知識欲と云う欲求を満たす為だけに、人々は記録し、後世に知識を伝えてきた。

 言っている意味は優愛でも理解できる。心象の戦いを観測し、記録している彼女のやっている事は歴史上必要なもの。

「……私たちは、古代から『魔女』として崇められてきた」

「魔女……」

 お伽噺の中での話だ。

 悪い魔法を使う、黒装束を着た老女のイメージを、優愛はした。

 その魔女であると、彼女は言う。

「まぁ本物の魔女と云うのは、この世の奇跡をこの場所に、瞬時に生み出す事のできる人物だ。生憎、私はそれなりの力はあるが、魔女と呼ばれるには役不足でね。魔女モドキとでも思ってくれ」

「は……はぁ……」

 その裏で―――

〝……私のカウンセラーの人が実は自称・魔女でした〟

 そんな事を考えていた。

 いまいち、良く解っていない。目の前で不条理な現実を見せ付けられた時点で、大方の事は受け入れられると思っていたのであるが、なんにでも限度はある。心の剣の辺りでも頭が痛いと云うのに……魔女なる用語まで出てくると、逆に訳が解らなくなってくる。

 簡単に言えば受け入れてしまえば良いのだが、実際そう簡単に物事をすべて受け入れられる人間は多くはない。

 寧ろ、そんな人間は欠陥品だ。なにを言ってもすべてを受け入れてしまう人間は自分の意思がない人間だ。感受性が良いなどと云う優しい言葉ではない。

 受け入れると云う事は、それは物事を許し、許諾し、存在を認める事だ。

 それらをすべて認める事は、受け入れる事は、否定を知らない人形のようなものだ。

「魔女や、その魔法については、正直話が長くなりそうなので辞めよう。この戦いには、直接関係はない事だ」

 やはり、魔女故に『魔法』を使えるらしい。

 少し興味があったが、これ以上聴いたとしても覚えていられるか解らないので、深くは聴かない事にした。

「―――まぁ、わたしたちのような魔法を扱う人間たちを統括する組織があってね。その組織は様々な非情理、非現実、一般人の表に出ないようなものを観測して、もみ消したり、解決に乗り出したりするんだけど……

 ……今回は毛色が違う。物事が物事だけに、彼らだけでは対処できない。

 だから、私たち『魔女』が出しゃばってきているって事だ」

「『魔女』って、そう云うところには居ないんですか?」

「いないよ。だって私たち魔女はアイツらよりずっと魔法を上手く使えるし、アイツらがウン万人束になって掛かってきても、私には勝てないし、私以外の魔女はもっと上手くできる。だから群れるメリットがないって事だけ。あと、人に顎で使われるの、嫌だろ?」

「……」

 確かに、優愛自身他人の中にいるよりは、独りでいる方が楽である。

「まぁ正直、その申し出は我々魔女にとってみればどうでも良いお話ではある。別に、他人の心の願いが叶おうがなんだろうが我々にはどうでも良い世界での話。言ってしまえば、我々魔女はこの世界の住人であり、住人ではない」

「……?」

「簡単に言えば、魔女はこの世界ではないどこか、別の世界にジャンプするって事も可能ってワケ。無論、肉体ごとってワケじゃないけどね」

「えーと。フィクションで言う、パラレルワールドとかそういうものですか?」

「そうそう、それそれ。今さらそれを説明しなくてもいいな。つまり、ここじゃない別の世界に私たちは自由―――ではないが、まぁそこそこ頻繁に移動したり、しなかったりだ」

 また話が飛躍して、解らなくなった。本当に、現実に起こりうる出来事なのか解らなくなってきた。

 都市伝説などの雑誌を見た事がある。偶々、中学の友人がそんな雑誌を持っていたので―――入手経路は不明―――見せてもらったのだが、中には並行世界・異次元世界に飛ばされた事のあると云う人間の事実談など、未知の世界が広がっていた。もちろん、それが本当の体験談なのかは不明である。実際に体験した訳ではないし、つまり本人にしか解らないものなのだ。解るはずがない。

 どれだけ魔女だかなんとか言っても所詮は他人事。この人物が並行世界を転々としていると言っても理解できない。

「けど、観測者っていうものをやっているんですよね?」

「……まぁな。つまり、我々魔女にとって一番嫌な事態は、なにも知らない人間が『真世界』に到達する事だ」

「……『真世界』」

 ホワイトボードに悠里は〝真〟と云う文字を書く。

「正直、私たち自身も良く解ってない代物だ。無視して構わない。知っている事を一口で言ってしまえば『この世がこの世である為の始まりであり終わり』、だ」

「アカシック、レコード」

「お、難しい言葉を知ってるねェ。けどそれとはちょっと違うかな。

 アカシックレコードって、この世の始まりと終わり、そしてこれからとこれまでのすべてが書き記されているシロモノよね。けど『真世界』ってのはまたちょっと違ってな……

 あぁ、もう辞めよう。この話は。長くなる」

 そう言うとホワイトボードに書かれた文字を消しつつ、悠里は手を手前で何回が振った。

 そろそろ、纏めてもらいたいところだ。

「その言葉に答えよう」

 微笑しながら、悠里はホワイトボードにまた今までのワードを箇条書きで記していく。


 心象

 心の剣

 観測者


 ―――それに加えて、魔女や真世界、並行世界などと云うワードもあったが、関係無いので割愛したのだろう。

「―――今のところ、アナタに関係ありそうなのはこれね」

 優しい口調に変わった。

「心象は一言で言ってしまえば、心の願いを叶える戦い、って思えば良いよ。それがしっくりくるだろうし。

 心の剣はその心象の参加証。参加者に異能の力を与える代物ね。もちろん、それに相応しい人物じゃないと現れない特別製よ。

 で、観測者はわたし。『魔女』であり、真世界の監視人と言っても過言じゃないわ。もし、なにかあったらわたしに連絡してくれれば良いから。……連絡先、ちゃんと持ってるよね?」

「は、はい」

 一応、カウンセラーを受けるにあたって連絡先を受け取っている。さすがに一日や二日では失くさない。

「一応表向きはカウンセラーって事になってるから、まぁ、そこそこの頻度で会う事になってるから、出番は少なさそうだケドね」

 付け足したあと、やっと彼女は一息を吐く。ここまで続けて説明してきたせいで喉が渇いたのか、紅茶のカップを手に取ると一気に飲み干してしまった。

 これでひと通り、現状、優愛が知っておくべき事は解った。どれも、受け入れがたい現実ではあるものの、そうしなければならない事だと……

 割り切れるはずがない。

 実際普通にふるまっているものの、今すぐ狂ってしまっても良いぐらいだ。

 話の内容があまりにも現実離れしたものである為に、少し、思考回路が麻痺して、現実の出来事だと認識できていないだけ。

 残念な事に、これは現実で、本当に起こっている出来事なのだ。

「さて、そろそろアナタにきてもらった理由を説明しないとね」

「……」

 やっとこさ、と言った表情で、セカンドの青年は視線を悠里の方にやった。これまで長い時間、ずっと優愛に対する説明を聴いていただけだったのだ。退屈だっただろう、少なくとも、事の次第を知っている人間にとってすれば、同じ説明の焼き直しなのだから。

「―――俺を連れてきた理由って云うのはまぁ大体察しはつくけどな」

 心当たりはあるらしい。確かに、説明するだけなら優愛だけ連れて行けば良い。この青年を連れて来る理由が他になければついでに連れてくるのは面倒なだけだ。

「じゃあお姉さんはお話があるので、優愛ちゃんとアナタは外に出ててねー」

 どうやら、優愛たちには聴かせられない話らしいので、そのままふたりは顔を見合わせたあと、促されるままに部屋から廊下に出た。


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