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マクシミリアン殿下は現在、我がハイデラル王国とヒンドラ国との交流を目的とした晩餐会やティーパーティに良く顔を出している。
ヒンドラは貿易で得た富や知見を出し、我がハイデラル王国は金属の加工技術を出し、これをもって両国のかわりない友好と均衡を約束された。
技術や知識の交換のためにその分野の専門家を伴ってマクシミリアン殿下がハイデラルに訪れ、かつ専門家たちをこの国のあらゆる人々に自ら紹介しているのだ。専門家たちは両国に長期滞在予定であるのでこういう仕込みは必要な作業だ。
マクシミリアン殿下と共にハイデラル王国に訪れた彼ら、彼女らは非常に優秀な技術者や科学者であったがハイデラル王国に馴染むためにはそれなりに梃入れしてやる必要があるだろう。
殿下は派遣される専門家たちが暮らす場所やハイデラルの職場、設備を興味深く観察し、その後のパーティーなどでは積極的に専門家をサポートしていた。
さらにそのマクシミリアン殿下をサポートするのが案内役を任命された私である。
……が、正直あまりやることはない。
マクシミリアン殿下は非常に博識であり、ハイデラルについて事前に深く勉強していたらしく、異国の文化に戸惑うことはほとんど見受けられなかった。ハイデラルの貴族や有識者を紹介する時には私が声をかけるが、強いアルファ性を持つ故にハイデラルの貴族たちはマクシミリアン殿下についておのずと興味を持ち、勝手に交流までうまれている。
そこで公務の間にそろそろ私がいなくとも殿下はたいして困らないだろうな、と思いつつも、結局は「案内役」という役目もマクシミリアン殿下に私を売り込むための肩書きなのだろうと溜め息をついた。今も華やかな笑みを浮かべて交流しているのを眺めながら、うんざりする。
「ダニエル様」
さっさと帰って身体を清めてしまいたい気持ちに駆られながら堪えていると、不意に慣れた声がして顔を上げた。
ぱっと振り返ると老年の紳士がいて、私は思わず笑みが溢れた。
白髪まじりの髪を撫で付け、品の良いタキシードに身を包んだ先生は大きな鷲鼻をくしゃりとさせて微笑んだ。深い経験が刻まれた皺すら理知的に思わせる。
暖かな眼差しが私を見つめ、ほんのりと微笑まれると、私は思わず先生に口を開いていた。
「先生、お久しぶりです」
「お久し振りですな。しばらく講義がないようですが、お勉強をサボってはいませんか?」
「そんなことをしたら先生が許さないのを知ってます」
「ははは」
その昔、先生の講義を逃げ出して部屋に隠れた私の襟首を掴んで散々に怒られた記憶が甦って肩を竦めてみると、先生は楽しそうに笑って見せた。
先生がわざわざアルコールではなくソフトドリンクを差し出してくるの受け取ると、胸元にあの憂鬱で優雅なレディーの毛がついているのが目についた。
手を伸ばしてそれを摘まむと、先生は瞬きしてから「ああ」と頷いた。
「私のレディーはとてもわんぱくだ」
「そのようですね。また先生がお出掛けする前に抗議したのでしょう」
「本当に困ったレディーです」
そう言いつつも理知的な眼にはたっぷりと愛情が浮かんでいる。
愛猫がお出掛けを許してくれないというのは中々に愛らしいようで、先生はいつも困った困ったと言いながら部屋への扉を閉めずにいる。講義に来る時にもたっぷりと毛をつけ、私の私室に入る前に四苦八苦しているのを良く見かけた。
「ヒンドラの王子は良い紳士ですね」
「……そう、ですね。とても素晴らしい方だと思います」
ソフトドリンクの入ったグラスが波打つ。
先生に彼を見られるのは、なんだか苦しい。
私の動揺が伝わりませんようにと願いながら、すっかり貼り付いてしまった笑顔の仮面で頷き、マクシミリアン殿下の方へと視線を向けた。
ぱちん、と殿下と目が合う。
思いの外強い視線に目を見開いて固まると、す、と視線を外された。
また別の貴族に呼び掛けられ、マクシミリアン殿下は話をはじめた。
「ふむ、なかなかの男ぶりですな」
「ええ…」
ふ、とマクシミリアン殿下から視線を戻し、先生を見ると、先生は胸元に飾られたブローチを指して微笑んだ。
「使ってくださって嬉しいですが、ダニエル様には安っぽいのでありませんか?」
「ふふ、ハイデラル王国を代表する銀細工ですよ。ヒンドラの皆様を案内する者としては、国家の技術を誇る物はむしろ相応しいでしょう」
「中身は私の優雅なレディーですがね」
「この上なく美しいレディーですからね」
「それは間違いありません。どのようなレディーもうちの子に敵いますまい」
くすくすと笑う。
いつもつけている銀細工のブローチに手をかける。ひんやりとしたそれを指先が撫でると、不思議と心穏やかになれる気がして、私は視線を落とした。
悲しい現実も、暗い未来も、私にはどうしようもない。
けれど、これだけは私の物だ。私を思って、私に贈られた数少ない宝物。
先生との繋がり。
「……先生は、私が嫁いだらどうなさるのですか?」
「さて、司書の仕事は充分こなしましたからな。屋敷の仕事は息子に預けて、気ままに数学の研究でもしようかと考えておりますよ」
「まあ。あの小難しい数式をまだ考えてらっしゃるのですか」
「周りには辟易とされてますが、数学者であれを嫌うものはおりません」
まるでうちのレディーのように、一度目にしたら忘れられない魅力があるのですと囁く先生に、私は苦笑した。
いくつになっても難題に挑戦する姿勢も、本を読む仕草も、愛猫を語る声も、乾いた指先すら愛おしいのは、私が幼い頃から先生に告げることを許されない恋心を抱いているせいであろう。
王族として産まれ、第二の性にオメガとして分類されてしまった私は、一般の者のように恋の物語を口にすることは許されない。愛も、恋も、私の意思は無かったことにされて、契約された相手に身を委ねることだけが私が生かされる理由となる。
もし伝えられたら、そうでなくともせめて嫁ぎ先が国内であれば。願うことはあっても口にすることはない。
馬鹿なことを口走ったが最後、私はもちろん、先生にまで責が及ぶだろう。
だから私はこの想いを封じ込めるのだ。
幼い恋心をこのブローチに閉ざし、大事に大事に胸に抱いたまま。
「ダニエル殿下」
「……マクシミリアン殿下」
深い低音が耳をうつ。
アルファらしい芯のある声に促されて顔を上げると、マクシミリアン殿下はその手にちゃっかりと食事を持っていた。
「マクシミリアン殿下、こちらは私の師であるエリック・シローウェン伯爵です」
「マクシミリアン殿下にお目にかかれて光栄です」
「そなたの教え子は実に優秀で、こちらとしても大変助かっている」
「ダニエル殿下は非常に聡明ですからな」
握手を交わしながら穏やかな談笑が繰り広げられるが、それもすぐに別の誰かに替わった。先生が遠く離れていくのを横目に辿りながら、新しい貴族を紹介する。
そこからは流れ作業で、パーティーが終わる頃にはすっかり草臥れてしまった。
「疲れただろう」
「ええ、まぁ」
「ほら」
馬車に乗り込んですぐに鞄から缶を取り出したマクシミリアン殿下が、私の手に乗せる。
広げた手のひらに余るほどの大きな缶を開けると、甘い芳香が鼻腔をくすぐった。
「立食パーティーの軽食なんて食った気がしないだろう。それでも食べておけ」
「……」
数種のクッキーが納められいた缶に視線を落とし、少しマナーを考えて、面倒になってそれに手を伸ばした。
王族としても貴族としても失格だが、それで良いような気がした。
甘い焼き菓子は口に含んだ瞬間にバターの香りがして、ほろほろとほどけた。
「おいしい」
「そうか」
「クッキーなんて、久しぶり」
「茶会では定番だろう?」
「甘い物を食べると肌が荒れるので。昔は人が食べているのが本当に羨ましかったです」
母は私が美しい人形であるべきだと思っている。商品価値が下がるような食べ物は遠ざけ、常に食事制限がかけられている。
クッキーが食べたいと泣いた時、先生がこっそり分けてくれた焼き菓子は本当に本当に美味しくて、嬉しかった。
「王族なのに甘い物も食えぬとはな」
「ふ、ふふ」
そりゃあ、私は王族という血統に産まれただけの飾り物だもの。
おかしくて笑って、そしてうんざりするほどの憂鬱を抑え込むためにブローチを撫でた。
じ、とマクシミリアン殿下の青い瞳がこちらを見つめているのに気付き、クッキー缶を差し出すと、殿下はしばしクッキー缶を眺め、そこから一枚取り出して歯を立てた。
「私に嫁いだら毎日甘い物を食えるぞ」
「見目が悪くなれば飾る価値もなくなります」
「肌荒れくらい誰でもする。多少肉がついても愛らしいものだ」
「変な方。もっとも高価な奴隷をわざわざ太らせるつもりなのですか?」
そう言ってから、思わず口を閉ざした。
言わなくて良い言葉だったと後悔したが、謝罪するのも違う気がした。
「奴隷、か」
「ええ。……ねぇ、見てください。かわいらしい二人。恋人かしら、それとも夫婦?」
「さぁな」
「手を繋いでらっしゃる。仲睦まじいこと。……羨ましいですね」
「そうだな」
窓の外を眺めて、私たちはぽつりぽつりと降り始めた雨のように話をした。
***
真昼の陽光が彩るサンルームには複数の男女がいた。
誰も彼もが美しい装いを身に纏い、談笑に耽ってはティーカップを手にしている。
「ダニエル殿下とは久しゅうございますね」
「ええ、最後は春の催しでしたか」
「懐かしいこと。あの日の殿下は春の花も霞むほどでしたわ」
夫人が頬に手をあててうっとりと話すと、マクシミリアン殿下は興をひかれたのか夫人を促した。
「ダニエル殿下は昔から音楽の才が際立っておりましたが、あの日の演奏は本当に素晴らしいものでしたの」
「素人の演奏ですよ」
「それは羨ましい。ぜひ聴きたいものだ」
「そんなことを仰って。下手すぎて笑うに違いありませんのに」
「まあ!謙遜は時として人を傷つけますのよ。あの日の楽譜をあたくしが何度もねだっているというのに」
春の催しは厳しい冬を乗り越えた祝いとこれから一年を働くために皆が音楽を奉じる。
例年、主要な貴族や王族が新譜を持ち寄って演奏するが、今年は私も参加させていただいた。
成人も近いため嫁ぎ先を探しつつ、主だった独身貴族にアピールするためで、私が参加したかったわけではない。とはいえ王族としてはそれなりのものを出さなければならないため、私は仕方なく楽譜を書いた。
華やかで爛漫とした春の曲ばかりなのにうんざりして、憂鬱なほど静かなアルペジオから始まる雨のような曲は、ことのほか夫人を喜ばせたらしく、確かにその後の手紙では楽譜を求められた。
「ちょうどピアノも御座いますわ」
「……マクシミリアン殿下のせいですよ」
わくわくとピアノを示す夫人に、私はマクシミリアン殿下をねめつける。殿下は軽く笑っているが、見世物にされるのは好きではない。
しかしここで固辞しても興ざめだ。
仕方なく腰を浮かせ、ピアノの前に座る。
春に弾いたが、そこからずいぶんと期間が空いているので不安だ。
まあ、どうでも良いことだ。私にとって、この曲の本質は酷く悲しいものだから、今の気分ならうろ覚えでも似たようなものになるだろう。
「まあ……」
指先にほんの少しの力をかけ、軽やかに音をぽつりぽつりと鳴らす。
手の重さだけでポロンポロンと爪弾くと、春の陽光を遠ざけて薄暗い夜の王宮に雨が降り始める。憂鬱な気持ちに滲む恋慕う心。出会えた喜びと、それを隠さなければならない苦しみが静かに私の口を塞ぐ。
ゆっくりと沈んでいくような曲を弾き終えると、夫人がほう、と息をもらした。
「本当に素晴らしい…。あの日は聞き忘れてしまいましたが、このすばらしい曲の題名はなんですの?」
「宝箱ですよ」
「宝箱…、それは解釈のしがいがあるタイトルですわね」
夫人が思案をすると、不意に使用人から呼ばれて一度離席した。
マクシミリアン殿下と夫人が楽しそうに話しに興じているのを背に、私は仕事の話しをするのだった。
***
「夫人は音楽に詳しいようだな」
「ふふ、若い頃は本当に音楽家になりたかったんですの。…女では難しいと、あのときの私にはわからなかったものですから。けれど、お陰で音楽の会を開くと若い子達の才能を見ることが出来ますわ」
皺が刻まれてもなお美しい夫人が微笑むと、マクシミリアンは離れた位置で使用人と話をしているダニエルの背を眺めた。華奢な肩、細い腰、それでいて月のように美しい容貌には常に柔らかな笑みが貼り付いていた。
そんな彼も、そして夫人もまた、仄かな絶望を纏っている。
「宝箱という題名を、貴方はどう解釈するのだ?」
「そう、ですわね。春の宴には華やかなものが多い中で、殿下がわざわざ書き下ろしたこの曲はとても静かで、ゆっくりとしたものでした。梅雨時の夕暮れを思わせるほろりとした曲調に、ほんの少しの弾むような遊びが加わって、けれど、後半は一音ずつ蓋を閉めるように無くなってしまう。……宝箱というのは、もしかしたら絶妙なタイトルなのかもしれないと思っていますわ」
ティーカップのふちをなぞり、目を伏せた夫人が少しだけ悲しみを滲ませながらソッと囁くように語る。
マクシミリアンが知らない、あるいは感じ取れないものを、夫人は察していそうだった。
「あたくしでさえ諦めたものがあるのです。王子であられる殿下にはきっと多くの苦難があられる。沈黙を求められる殿下が宝箱に閉じ込めたものは、いったい何だったのかは分かりませんけれど、いつか蓋を開けて慰められるようなものであれば良いと願っております」
品の良い笑みを浮かべ、触りの無い言葉を選ぶ夫人は貴族女性のなかでも取り分け繊細で、とても美しい。
オメガだという彼女の首筋にはレースのチョーカーが巻き付いていて、夫人の夫である公爵の香りが身を包んでいる。
音楽家になるのを夢見たほど音楽を愛したこの女性を、公爵がどのようにして口説き落としたのか気になって夫人に聞けば、上品な彼女らしからぬしかめっ面をした。
「あの人はあたくしの家に詐偽を働いた上にあたくしが大事にしていたバイオリンを取り上げたんですのよ。それで仰るの。うちで弾けば良いって。あたくし、それはもうかんかんになりましたのよ。馬鹿を言うものじゃありません。あたくしの家が貧しくとも、貧しい心にはなりません。あたくしの心にはいつだって音楽が鳴り響いていますわ、って」
ムッとした顔を作った夫人は憤りを作っては思い出を語る。
柔らかな印象であったが、夫人はとても芯が強かったらしい。
「そうしたらあの人、音楽を教えろって。金が必要だろうから家庭教師になれって仰るの。それなのに本当に本当に本当に下手くそで、聴いてられないほど酷い音をお出しになるのよ。教養で音楽をやりませんの?ってお伺いしたら、あの人、もう三年習ってるって仰るのよ。三年も習ってどうしてそんなに酷いんですの?って聞いたら」
「聞いたら?」
「貴方の調べを聴いて、貴方は音楽が好きなんだと思った。少しは近づけるだろうかと楽器を習ったが、気付けば貴方の調べばかりが頭によぎって練習にならなかった、って」
「ほう!」
「あたくし、そんなおべっかを仰るなんてよほど楽器を習いたいんだわって思ったんですの」
「ははは!」
「そしたら毎日あたくしの実家に来て、真っ赤な薔薇を持って迎えにいらっしゃるの。家庭教師の迎えにですよ?」
「ずいぶん情熱的だな。どうだい、少しはときめいたんじゃないかい?」
「いいえ、まったく」
夫人があまりにもスッパリと言うものだから、マクシミリアンは目を丸くした。
溜め息をこぼした彼女はやれやれとばかりに窓の外を眺め、ティーカップを空にした。
「あたくしには夢がありましたの。立派な音楽家になるって夢が。でも、あたくしはオメガで、番を持たないオメガは外にもろくに出られない。あの人言うの。私と番になれば外に出られるし音楽もできるって。だから、番になったんですの。あたくしの心は、今でも音楽が鳴り響いておりますから」
それだけは、誰にも奪えない。
そう語る夫人は目も覚めるほど気高く、それでいて凛と美しかった。
夫人が白百合であるなら、ダニエルは雨に降られたサンカヨウのようだった。しっとりと項垂れた透明な花弁は常に哀しげで、酷く線が細い。
ダニエルが胸にいつも留めているブローチ、そしてそれを授けたという先生とやらに心を預けているのは良く観察していれば分かることだ。
オメガの香りとは繊細で、相手に興味を持てばフェロモンが相手に向かう。
アルファであっても殆どはそこまで精緻に把握出来ないが、マクシミリアンはそれに長け、人間関係の把握には一日の長があった。
この特技があるからマクシミリアンは複雑な王族関係の中であってものらりくらりと社交場を漂ってこれたのだ。
「……もっとも高価な奴隷、か」
ハイデラルの特別迎賓館にて、マクシミリアンは葡萄酒を傾けながら一人呟いた。
あの日の言葉が、マクシミリアンの頭にこびりついている。
妙な特技で人知れずダニエルの心を悟ってしまったマクシミリアンは、それによって自らが思いもよらずあの哀しげな王子に心を寄せていることに気づいた。
伏し目がちな瞳が「センセイ」にたいして柔らかく蕩け、ほんのりと頬を染めて、それでいて酷く暖かい声を出していた。
それに妙な焦燥感に駆られた。
友好条約の締結と技術交換のための長期滞在。及びマクシミリアンの婚約者探しという複数の意味をもってハイデラルに来たが、そのどれもが政治的なものを多く含んでいる。
確かにダニエルはまもなく成人を迎える王族のオメガであり、マクシミリアンの有力な婚約者候補ではあったが、政略的なものでしかない。そのはずだ。そのはずなのに、マクシミリアンはあの嫋やかで哀しげな花が小鳥に想いを寄せるのがどうしても不快だった。
「音楽は今でもあたくしの胸で鳴っていますわ」
夫人が夢を得るためにオメガの肉体を差し出したこと。公爵がオメガを得るために夫人の実家に様々な働きかけをしたこと。
そして、それがおそらく、オメガの人生の中ではトップクラスに幸福な人生と言えるだろうとマクシミリアンは思う。
批難と好機に晒されながら誰もが欲にまみれた目を隠さないオメガという第二性は、アルファを誘い、男であっても女であっても孕むという特徴からあらゆる時代あらゆる国でもっとも後ろ暗い歴史を持つ。オメガの歴史は国家におけるアンダーグラウンドと共にあり、常に人身売買と奴隷、暴行、監禁、そしてショーの見世物にされてきた。
たとえ貴族であってもそれは逃れられず、持参金と共に多くの有力な貴族に嫁がされてはオメガたちの多くが不遇の時代を生きた。
それは一夫多妻制度があるヒンドラにおいても変わらず、マクシミリアンの母もまたオメガとして産まれ、父である国王陛下によって何度も泣かされた。
母の苦労を我が父は知らず、そして知っていてもオメガはそういう生き物だと思ってなんとも思っていないだろう。
きっとダニエルもまた、そのような未来になると思っている。
それは酷く不快だ。マクシミリアンはあの父のように人の心に愚鈍ではないし、そのような振る舞いはしない。
……愚鈍ではないから、ダニエルの秘めた想いに気付いてしまったのだか。
「状況は最悪だな」
葡萄酒を呷って天井を見上げる。
恋人たちを羨ましそうに見ていたダニエルの恋心を無視するのか。このまま婚約者となって良いのか。しかしマクシミリアン以外が彼を娶ったして、それを容認することが出来るのか。出来るはずない。きっとマクシミリアンに嫁がなくとも、有力な貴族に嫁ぐことになるだろう。
間違いなく、彼は「センセイ」と共に生きることは叶わない。
「…………」
マクシミリアンはあの肌に触れたいと思う。肌荒れするからと甘いものもろくに食えなかったというダニエルの口にケーキを与えてやりたいと思うし、オメガは外に出られないというのならマクシミリアンと共に出ようと誘いたい。
観劇も、オーケストラも、絵画の鑑賞もしたい。ダンスで彼の腰を抱き、その手に触れて音に揺れたいと思う。
なにより、あの嫋やかな首筋に歯を立てたい。
「……チッ、おい!今すぐダニエル殿下の好みを調べろ」
モヤモヤしたものが頭を覆って堪らなくなり、マクシミリアンは扉を蹴るようにして開け放った。
ヒンドラからついてきた従者にそう命じると、従者たちは互いに目を合わせニヤァと笑ってからそそくさと動き始めた。
他国のオメガにすっかり心奪われた王子がよほど面白いのか、彼らは実に良く働くのであった。




