いち
世界というものは、理不尽で出来ている。
「本当に、ダニエル殿下はお美しい……」
じっとりと熱を孕んだ目が舐めるように私を鑑賞していた。
ニタニタとつり上がる唇から覗く黄ばんだ歯が気色悪い。今すぐその髪を掴みあげて殴り付けられたら、どんなに心地良いだろうかと夢想しながら、私はほんのりと笑みを浮かべながらティーカップを傾けた。
ハイデラル王家は現在、八人の王子、六人の王女がいる。
その中でベータは二人、十人がアルファで、のこりの四人のうち、第2性が確定するほどの年齢に達していて、かつオメガであるのは私だけであった。
男児でありながらオメガという第2性を持つ私を母は心底毛嫌いしているが、それでも有用であることは理解している。
だからこそ、母はたびたび社交の場に私を連れ出して「もっとも高値で買ってくれるアルファ」を探しているのだった。
そしてそれは父も、兄たちもそうであった。
「ハイデラルの月と呼ばれるだけのことはある」
目の前に立つ美しくも頑健な男を見上げ、今日はこの男かと思った。
狐のように目を細めてしたり顔をする母が媚びるように私を誘い、彼の前に突きだしてみせた。
目映い金色の髪に彫りの深い顔立ちをした男を母は「ヒンドラの第二王子であられるマクシミリアン殿下よ」と紹介した。
近くに居るだけで凍てつくように全身が固まり、皮膚がヒリヒリするほどアルファの圧を感じる。胸を引き絞られているかのような圧迫感に呼吸が浅くなるが、慣れというのは素晴らしいもので徹底的に教え込まれた笑顔の仮面は流れるように貼り付いた。
「ダニエルです。我が国ハイデラルへようこそ」
「……ほう、話が出来るのか」
アルファが発することが出来るという支配的なフェロモンに、母は顔をひきつらせている。アルファの威圧を使うなんて、あまりにも無礼である。
ちらりと視線をむければ、母や使用人などは息苦しそうに喘ぎ、後ずさっている。
いかにもアルファらしい傲慢さを前に、ダニエルはゆったりと手を持ち上げた。
「なにしているの?お茶をマクシミリアン殿下にお出しして」
「っは、はい」
気圧されていた使用人がハッと我に返った。青ざめながらもみっともなくバタつく事はなく、流石は王宮の使用人とばかりに実に優雅に行動している。
母といえば彼らの何倍もつらそうで、取り繕うように笑みを浮かべてはいるものの、余裕はなさそうだ。すぐに私の監視と護衛のために人を呼びつけ、そいつらが私の背後に待機した瞬間、この場から逃げるように居なくなってしまった。
「ハイデラルには婚約者を見つけにきた」
「さようでしたか。良き方と巡り会えることを、私も願っております」
「貴方もその候補だ。周辺国ではもっとも毛並みが良いオメガだからな」
明け透けな物言いの裏に、探るような目を見つけて反吐が出そうになる。
人が人を測るなど、何様のつもりなのだろう。アルファはいつだって使う側で、使われる側の気持ちなど分からないのだ。
そして、アルファはそれが許される。オメガは許さない。ただそれだけの話だ。
「貴方は庭に出ることと手芸が好きらしいな。他は?」
「観劇や読書、音楽の会なども好みます」
「馬や狩猟は好まないか」
「活発に外に出ることは、許されませんでしたから」
オメガはアルファを誘う厭らしい性をもっている。
だから下手なことを言われないように、下卑た疑いを持たれぬように、なにより襲われないように、私は王宮の奥にある特別な区間から外に滅多に出られない。
同世代の男児たちと過ごした幼少期にはまだ楽しいことがあった。友がいて、駆けあえる自由があった。未来に約束が出来た。
私にだって、夢があった。あったのだ。
「ヒンドラについてどんなことを知っている?」
「……大きく二つの土地に分かれており、ひとつは島で、ひとつはララ大陸にあり、ホド共和国とテレンサ王国に隣接しています。ヒンドラ国の貿易や商業、加工は主にこの土地で行われています。島では国家の運営に必要な重要な施設があります。政治を行う議会や巨大な図書館、倉庫の他にも王族が住まう宮殿もここにあります。気候は夏と冬で大きく異なるものの、比較的に冷涼で過ごしやすいと聞きました。国民的に派手で明るい色彩よりも、落ち着いていて品がある方が好まれるとか。あぁ、有名どころだとゴードン・ラーシャウやベレック・ノーチラスがいますね」
頭に浮かんだ情報をつらつらと垂れ流し、与されたケーキにフォークを刺す。ほんの少しの量なのに気持ち悪くて、すぐにティーカップに手を伸ばした。
咥内に広がるべったりとした甘さが、本当に本当に嫌だった。
「……海に隣接していることから海洋貿易も盛んで、ヒンドラでは特別な航海技術があるとか。商業にも力を入れていて、長年の戦争から保存食品の加工、武器の製作、造船技術、石工なども素晴らしいものがあり、さまざまな職人をまとめるためにヒンドラ独自の商業ギルドかあると聞きました」
「ほう、よく学んでいる。……続けて」
カジュアルに頬杖をつき、ふ、と口許を綻ばせたマクシミリアン殿下に目を瞬かせていると続きをせがまれた。
まあ、変な探りあいや上部だけの会話を繰り返す寒々しいやりとりを護衛とは名ばかりの監視のもとやるよりは、ヒンドラ情報を羅列する方がまだマシである。
ヒンドラについて自分が知る情報をたらたらと垂れ流し、それでも続きをせがまれるもんだからやけっぱちでヒンドラ周辺の国も出した。
国家を運営するのには周辺国や隣国は特に重要である訳だし、これも一応ヒンドラについてになるだろう。
「このように複雑な状況下において、今後ヒンドラの対応に注目が集まるでしょう」
長い語りの後マクシミリアン殿下は口許だけで微笑み、拍手をおくってくれた。
「他国の王族として過分なほどの知識量だ。貴方自身ももちろん、貴方の師はよほど素晴らしい人材のようだ」
自分についてはどうでも良かったが師を褒められたことは望外に喜ばしく、思わず笑みが溢れた。
「私の教育を担当してくださっているのは王立図書館の司書長を勤めている方です。とても博学で、私の変な問いにも興味を持ち、書籍を取り寄せては盛んに議論してくださいます。それでいてユーモラスで、そうそう、昨日は猫の素晴らしさについて二時間の講義を受けました」
「猫?」
「ええ。猫です。先生の家では猫を飼っていらっしゃると聞いたら、……史学と猫の関わりから芸術にどのように猫が登場したかや、王室にも猫がいたことがあるとか、そういったことを二時間です」
「二時間か」
「二時間です」
くすくすと笑いながら言えば、目を丸くしたマクシミリアン殿下も笑ってくれた。
興が乗って胸元のブローチを外した。銀細工の施された蓋を開けてマクシミリアン殿下に渡すと、殿下はブローチを受け取って覗き込む。
「先生の家で飼われている猫です。憂鬱で優雅なレディで、先生のマドンナですって」
「なるほど、貴方にも負けぬ美貌の持ち主だ。これは師がくださったのか?」
「ええ。じきに私は誰かしらに嫁がされるので、先生がこれを見て少しは心穏やかになれるようにと」
マクシミリアン殿下からブローチを返してもらう。
冷たいブローチの蓋を閉ざし、指先で大事に撫でる。
「………」
もっとも高値をつけた者が私を得るだろう。
しかしそれがどんな者か、私を大事にしてくださるかは分からない。
政治のためだけに売られる可能性もあるし、人質という意味で嫁がされる事もあるだろう。オメガとはいえ男は嫌だと冷遇されるかもしれないし、試しに遊んでみてから放置されるかもしれない。
血統が良いから子は成すかもしれぬが、その子に私が愛を与えられる環境に居れるかも分からない。
私の未来はゴミのようだ。
個人の感情なんて許されず、ただ肉欲の捌け口に使われ、子を成したら飾られるだけの骨董品。壁を飾る絵画の方がよほど価値がある。万人からの嘲笑は避けられず、名ばかりの王族で、名ばかりの王子。実家の支援も望めない。
王族だから頭を下げてはいるものの、尊敬とは無縁で、侮りと下卑た視線だけが私を見ている。
そんな私を想って、先生がこのブローチを授けてくれた。
このブローチがあれば、私は暖かな過去の時間を思い出せるような気がした。
やさしい時間を、先生との授業の時間を、私が私である思い出を。
「嫁ぐにあたって貴方の望みは?猫を飼いたいなら飼っても良いし、学ぶことが好きならアカデミーの教師を派遣することも出来る」
「それは……魅力的な誘いですね。けれど、私に相手を決める権利は無いのですよ」
「……ハイデラル国王陛下と母上殿か」
「ええ」
にこりと笑みを貼り付けると、マクシミリアン殿下は眉をひそめてから溜め息をついた。
相手を選べるのならばどれだけ良かっただろう。好いた者と共に居るというのはどういうものなのだろう。
……せめて恋心を伝えられたら、それはどんなに幸せなことだろう。
銀細工のブローチを胸元に戻し、私はすっかり冷めた紅茶を飲み干した。
*****
マクシミリアン殿下から観劇のお誘いをいただいた。
最近貴族の中で流行っている恋愛もののオペラで、とても面白いと聞いている。
母はすでに是非行くと返答しているらしく、私は流れ作業のように迎えに来たマクシミリアン殿下の馬車に乗ることになった。
「今日も素敵な装いだ」
「ありがとうございます。殿下も素敵ですね」
にこりと微笑み、エスコートの手を取って馬車に乗り込んだ。
改めて見るとヒンドラ織とも呼ばれる凹凸のある織物をショールとして肩から腰にかけていた。織物であそこまで細かい模様を入れられるのは凄いことだ。
「ハイデラルのレース編みは素晴らしいな」
「……ああ、ありがとうございます」
首もとや袖口を飾るレースに視線を向けて言われ、思わず目を瞬かせた。
レディではないため、私の衣装は男性のものだ。とはいえオメガなので普通の男性衣装よりずっと中性的と言える。
立襟の長袖で、裾が足首まである筒状の上衣に、ゆったりとしたスラックスは、男性オメガが良く着せられる衣装だ。
冬は寒く、夏は暑いこの衣装を私は好まなかったが、皆がこれにしろと言う。
オメガの私が騎士服を着るのはみっともないと言われ、肌を露出すれば誘っていると言われ、ドレスを着れば女になるつもりかと嘲笑され、下手なものを着れば王族にふさわしくないと侮られる。
だから結局、私はこれを着るのだ。
好きでもないレース編みをして、それを袖口に飾った虚栄と欺瞞のオメガ服を。
「見事なものだな」
古代ハイデラルをイメージして建造されたこのオペラ座は精緻な彫刻と息を飲むほど美しい天上画が魅力的だ。
音が良く反響するようにドーム型になっている会場の、そのもっとも高い位置、壇上を正面真上から眺められる桟敷席に通された。
会場中の視線を集めながら、見世物の一人となることに吐き気がする。うんざりするほど丁寧に席に案内されると、そう時間もたたずにオペラが上演された。
「悲劇であったな」
オペラの上演が終わると、マクシミリアン殿下はそう感想を落とした。
騎士と貴族のお姫様による身分違いの恋。
いかにもレディたちが好みそうな題材を、この歌劇座では見事に演じた。
二人の恋模様が丁寧に演じられ、だからこそ周囲にバレてしまった時の悲壮さは胸を打つ。
二人はそれぞれ離ればなれにされ、泣き濡れるお姫様をなんとか取り戻そうと騎士は命懸けでドラゴンの討伐に走る。お姫様もまた、父に懇願したが無情にも城の奥深くに閉じ込められてしまった。
だがお姫様はなんとか城を抜け出し、ドラゴンと死闘を繰り広げている騎士の元へ行く。
ドラゴンを後一息といったところまで追い詰めていた騎士は、されど猛烈な抵抗にあい、致死の一撃を食らった。
その一撃を、お姫様が代わりに受け、騎士は助かった。
残された騎士の悲しい慟哭も、お姫様の命も、全てが嘆きの唄となって会場を包み込み、そうして幕は下りた。
悲劇と言えば悲劇だったのかもしれない。
けど、二人が生きていたとして、この先の未来が輝かしいものであったのかは疑問だ。
本当にドラゴンを討伐できたのか、出来たとして、姫の父は姫という財産を手放すことが出来るのか、よしんば二人が結ばれたとして、苦労知らずのお姫様が騎士との生活で幸福を得られるのか。騎士はそれに満足出来るのか。
なにも分からないではないか。
だから、私はこれを一種の幸せととらえた。
「お姫様もまた、己の恋に殉じることが出来たのは幸せなことだったのではないでしょうか」
「死にゆく姫を見送った騎士はどうなる」
「哀れだと思います。けれど思い出を抱いてくださるのだから、お姫様にとってはこの上ない幸福でしょう。結婚したからと女に幸福が訪れるとは限りませんもの」
「………」
夫の浮気に嘆く者は多い。
不義を見せつけられながら、妻という立場になれば不倫も許されない。
姦淫を咎められるのはいつだって女やオメガである。
騒ぎ立てず、いつも冷静で、妻としてオメガとして夫を受け入れ、子を産む。必要ならば不義の子であっても育て、そして子もまた己の元を去っていく。
そんな未来になるくらいなら、どうせ結ばれないのなら、いっそ騎士の忘れられない傷になって命をついえてしまえば良い。呪いとなっていつまでも騎士の胸に抱かれていたい。
そう穿った目で観劇したと言えば、目の前の男はどう思うだろうか。
くつりと喉から沸き上がりそうになる笑いを飲み込み、窓の外を覗き込んだ。
まだまだ人波は消えない。
観劇に訪れた人々が去らなければ、もっとも位の高い貴賓席にいる私たちは帰ることが出来ない。
「愛した人に愛していると囁けるなんて、どれだけ素敵なんでしょうね」
「さあな」
腕を取り合って馬車に乗り込む男女を見下ろして、羨望の吐息をもらす。
胸元のブローチを撫でて、ぼう、と暗い路地を見つめていると、マクシミリアン殿下が歌劇座の者から受け取った葡萄酒を私に差し出した。
渋くて酸っぱい葡萄酒に、私は口をつけた。
葡萄酒は罪の味がした。




