顕在化する危機
社会から隔絶されてる俺でも、何かが変わっていってることが感じ取れた。
いつものように昼食をとるために一階に降りると、父さんが窓の外を険しい顔で眺めていた。父さんの視線の先を辿ると、近所のスーパーの前に、数台の車が止まっていた。数人が、慌ただしく荷物を運び出している。
「父さん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
父さんはそう言うと、俺の顔を見るなり、ぐっと眉を寄せた。
「お前、今日、外に出る用事はあるか?」
「いや、特にないけど…」
「そうか。なら、しばらくはあまり外出しない方がいいだろう」
父さんの声に、いつもの穏やかさはなく、かすかな焦りのようなものが感じられた。父さんがそんな様子を見せるのは初めてだった。
「何かあったの?」
「…いや、ちょっとした噂だ。物流が滞るかもしれないって話だ」
物流の滞り。それは、日々の生活を支えるインフラが、静かに、しかし確実に蝕まれていくことを意味する。俺はまだ、その言葉の真の意味を理解していなかった。
その日の夕方、弟から連絡があった。
『兄さん、大丈夫か? こっちも物流が止まり始めてる。水とか、食料とか、買い占めが始まってるらしい』
弟は、俺より二つ年下だ。高校卒業後すぐに就職した。俺とは正反対に、真面目で、堅実な男だった。
「俺は大丈夫だ。お前は?」
『こっちも、いつまで持つか分からない。…兄さん、もしもの時は、実家に帰るかもしれない』
弟の心配そうな声に、胸が締め付けられる。弟が、俺のことをどう思っているのか。ニートで、頼りない兄のことを。
「いや、今は大丈夫だ。お前も気をつけろよ」
電話を切ると、部屋に戻り、再びネットを開いた。ニュースサイトのトップには、やはり「デフォルト」「経済危機」といった言葉が躍っている。検索候補には、「食料買占め」「停電 確率」といった、不穏なキーワードが並び始めていた。
翌日、俺は、いつものように正午過ぎに目を覚ました。だが、部屋には明かりが灯っていなかった。カーテンを開けても、窓の外は薄暗い。
「…停電か?」
そう思ったが、部屋の電灯のスイッチを入れても、何の反応もない。テレビも、パソコンも、スマートフォンも、充電器に繋いでいるのに、うんともすんとも言わない。
「父さん! 母さん!」
慌てて階下に駆け下りた。リビングも、台所も、真っ暗だった。
「どうしたの?」「停電よ!」
父さんと母さんも、俺と同じように戸惑っていた。
「水道は?」
母さんが蛇口をひねる。しかし、水は出なかった。
「…どういうこと?」
父さんが、窓の外を不安げに見つめた。街は、先ほどまでとは打って変わって、静まり返っていた。いや、静かすぎる。鳥の声も、遠くの車の音も、何も聞こえない。
「…まさか」
俺は、理解してしまった。これは、単なる一時的な停電や断水ではない。あのニュースで言っていた、国家財政破綻の意味が、今、この身に降りかかってきたのだ。
「父さん、母さん、落ち着いて」
俺は、自分でも驚くほど冷静な声を出していた。部屋に引きこもり、世間から隔絶されていた日々が、皮肉にも、こんな状況で冷静さを保つための訓練になっていたのかもしれない。
「どうすれば…」
母さんが不安そうに呟いた。父さんは、黙って窓の外を眺めている。その背中から、普段は見せない緊張感が伝わってきた。
「まず、食料と水の確保だ。幸い、まだ店がある。父さん、母さん、店の在庫を確認してくれる?」
俺の言葉に、父さんがゆっくりと振り向いた。その目に、かすかな光が宿ったように見えた。




