第十一話「浪速の仁義」
第一場 大阪の小屋
古い小屋だった。
新世界の路地裏、昭和の匂いが残る雑居ビルの二階。看板が薄れていて、階段がきしむ。でも、ドアを開けると客が入っていた。常連らしい顔が並んでいた。
楽屋で支度をしていると、オーナーの健二が顔を出した。五十五歳。小柄で、白髪が混じっている。目が優しい男だった。
「美月さん、来てくれてありがとうな」
「こちらこそだよ。長いんだねえ、この小屋」
「三十年以上になるな。でも、もう終わりかもしれんわ」
「なんでだい」
健二が少し黙った。
「まあ、いろいろあってな」
それ以上は言わなかった。美月は鏡を見ながら、健二の顔を見ていた。疲れた目をしていた。
第二場 ヤクザが乗り込む
美月が舞台で踊っていた。
智恵子の刺繍の衣装が、照明を受けて光っていた。客席の常連たちが、静かに見ていた。
ドアが開いた。
スーツ姿の男たちが入ってきた。三人。四人。目つきが違った。場の空気が、一瞬で変わった。
「おい、健二。話があるぞ」
客席が凍りついた。
美月は舞台から見ていた。健二が青ざめていた。男たちが健二を囲んで、楽屋の方へ連れて行こうとした。
第三場 美月が突っかかる
美月が舞台から降りた。
「ちょっと待ちなよ」
男たちが振り返った。
「なんだ、お前」
「ここは仕事場だよ。商売の邪魔するんじゃないよ」
男たちが笑った。
「姉ちゃん、引っ込んでな。怪我するぞ」
「怪我? あたしが?」
美月が一歩踏み出した。
リーダーの男が手を伸ばした。美月の腕を掴もうとした。
その手が止まった。
第四場 辰夫が現れる
楽屋の入り口に、辰夫が立っていた。
何も言わなかった。ただ、立っていた。
男たちが辰夫を見た。リーダーが目を細めた。何かを感じ取ったように、一歩引いた。
「……あんた、どこの人間だ」
辰夫が一言だけ言った。
「今日のところは引いてくれ」
低い声だった。静かな声だった。でも、その声には何かが乗っていた。長い年月の重さが。
リーダーが辰夫をしばらく見た。
「……今日だけだぞ」
男たちが引いていった。ドアが閉まった。
客席がざわめいた。美月が辰夫を見た。
「楽屋に戻れ」
辰夫が言った。美月は何も言わずに戻った。
第五場 健二の事情
男たちが去った後、健二が話した。
三年前から経営が苦しくなったこと。地元の組織から金を借りたこと。返済が滞って、小屋を売れと迫られていること。
「もう限界かもしれん」
美月が健二を見た。
「いくら足りないんだい」
健二が金額を言った。美月が黙った。大きい金額だった。
「あたしじゃ無理だねえ」
美月が辰夫を見た。
「辰夫さん、何かできないかい」
辰夫が少し間を置いた。
「一人で動く」
「どこに行くんだい」
「ちょっと出てくる」
それだけ言って、立った。コートを羽織って、出ていった。
美月は健二と二人、楽屋に残った。
第六場 辰夫が組長と話す
古い料亭の個室だった。
辰夫と組長が向かい合っていた。六十代の男。白髪で、背筋が伸びている。引退して久しいが、その目にはまだ昔の光が残っていた。
二人とも黙って茶を飲んでいた。
「久しぶりだな、辰夫」
「ご無沙汰してます」
「あの小屋に縁があるのか」
「踊り子が世話になってる」
組長が少し笑った。
「お前らしいな。足を洗ってから、どこにいたんだ」
「旅をしてます」
「旅?」
辰夫がゆっくりと頭を下げた。
「小屋のことを、考えてやってほしい。借金の件を」
組長が茶を置いた。
「お前が頭を下げるとは、珍しい」
しばらく沈黙が続いた。
辰夫が立ち上がった。帰り際、振り返らずに言った。
「男にはな、絶対に守らないといけないものがある。俺にはそれがある」
ドアが閉まった。
組長が一人残った。しばらく、ドアを見ていた。
「……変わったな、辰夫」
静かに、そう呟いた。
第七場 翌朝
辰夫が戻ってきたのは、夜遅かった。
美月は起きて待っていた。
「どこ行ってたんだい」
「ちょっとな」
「何かしてきたんだろ」
「何もしてない」
美月が辰夫を見た。
「嘘だよ」
辰夫が黙った。
「……ありがとよ」
辰夫は答えなかった。窓の外を見た。大阪の夜が、まだ明るかった。
翌朝、健二から連絡が来た。
「借金の件、少し待ってもらえることになった。どうなってるんか、わからんけど」
美月が辰夫を見た。辰夫は朝の緑茶を飲んでいた。何も言わなかった。
美月も何も言わなかった。
言わなくてもわかっていた。
第八場 出発の朝
健二が見送りに来た。目が赤かった。
「美月さん、辰夫さん、ほんまにありがとう」
「小屋、守りなよ」
「守る。絶対に守る」
美月がドアに手をかけて、振り返った。
「健二さん」
「何?」
「ストリップ小屋がなくなったら、あたしたちの居場所がなくなるんだよ。だから守ってくれよ」
健二が大きく頷いた。
ハイエースが動き出した。新世界の路地を抜けて、大阪の街が流れていく。
しばらくして、美月が言った。
「辰夫さんって、かっこいいねえ」
辰夫が黙った。
「照れてるの?」
「黙れ」
美月が笑った。声を上げて笑った。
「また、いい街だったねえ」
「そうだな」
ハイエースは次の知らない土地へと走っていった。美月の夢貯金は今回も少し減った。でも、辰夫が「男には絶対に守らないといけないものがある」と言ったことを、美月は知らない。
知らなくていい。辰夫がそう思っているから、言わなかった。
それだけで、十分だった。
(第十一話 了)




