最後の二時間
『世界崩壊まで、残り二時間三十八分』
ゼノスの表示が、静かに赤く点滅していた。
その数字を見た瞬間、誰もが理解した。
もう後戻りはできない。
ここまで来れば、諦めるという選択肢そのものが存在しない。
リユニオン計画の進行率は九十五パーセント。
完成まで、あとわずか。
だが、世界の寿命もまた、あとわずかだった。
風が吹く。
いや、正確には風ではなかった。
世界そのものが崩れているのだ。
遠くの空では大陸の輪郭が歪み、海は空へ流れ始めている。
重力すら正常ではない。
上と下の境界が曖昧になり始めていた。
ミナが空を見上げる。
「思ったよりギリギリだったね」
その声は、意外なほど落ち着いていた。
レインは苦笑する。
「もっと早く言ってほしかったな」
「今さら?」
「今さらだな」
二人は顔を見合わせる。
そして少しだけ笑った。
不思議だった。
世界が終わろうとしている。
なのに、以前ほど恐ろしく感じない。
きっと理由は簡単だ。
一人ではないからだ。
その時だった。
無限の彼方の中心に生まれた小さな光が、再び明滅する。
まるで心臓の鼓動のようだった。
ドクン。
小さな光が揺れる。
ドクン。
少しだけ大きくなる。
原初の終焉は、その光を見つめていた。
『これは』
静かな声。
『何だ』
誰に向けた問いでもない。
自分自身への問いだった。
E-マイナス1が答える。
「それが希望だ」
静寂が広がる。
無限の彼方は動かない。
ただ聞いている。
「未来を信じる気持ちだ」
銀色の瞳が光を見つめる。
「終わるかもしれない」
「失敗するかもしれない」
「全部無駄になるかもしれない」
風が吹く。
「それでも前へ進もうとする意志だ」
無限の彼方は沈黙した。
その存在は、世界よりも古い。
数え切れないほどの終わりを見てきた。
だが、希望というものを知らなかった。
なぜなら、未来を必要としなかったからだ。
終わらせるだけなら、未来などいらない。
しかし今は違う。
知りたいと思っている。
未来とは何なのかを。
その時だった。
終わった世界から来た人々の中から、一人の老人が前へ出た。
白い髭を蓄えた老人だった。
背筋は曲がっている。
だが、その目は真っ直ぐだった。
「わしの世界はな」
静かな声が響く。
「あと一歩で救えたんじゃ」
誰も口を挟まない。
老人は空を見上げた。
「最後の最後で失敗した」
苦笑する。
「今でも悔しい」
その声には何百年分もの後悔が滲んでいた。
「じゃが」
老人はレインたちを見る。
「だからこそ、おぬしたちには勝ってほしい」
静寂。
「失敗した者だから分かる」
風が吹く。
「未来を諦めるな」
その言葉に続くように、一人の女性が前へ出る。
「私の世界も終わった」
さらに別の青年が言う。
「俺たちも救えなかった」
子供が言う。
「でも見たいんだ」
兵士が拳を握る。
「今度こそ」
学者が頷く。
「終わりの先を」
次々と声が重なっていく。
終わった世界。
失われた歴史。
消えた文明。
その全てが、一つの願いへ変わっていく。
レインは胸が熱くなるのを感じた。
彼らは失敗した。
だからこそ、託している。
自分たちが辿り着けなかった未来を。
その時だった。
ゼノスの表示が変化する。
『新たな条件を確認』
全員が振り向く。
空中に光の文字が浮かび上がる。
『リユニオン計画』
『最終条件』
静寂。
誰も息を呑む。
これが最後だ。
本当に最後の条件。
光の文字がゆっくりと並んでいく。
『未来への選択』
レインは眉をひそめた。
「選択?」
ゼノスが続ける。
『計画は完成目前です』
『しかし最後に、世界自身が未来を望む必要があります』
静寂。
誰も理解できなかった。
第八席が尋ねる。
「世界自身?」
『はい』
ゼノスは答える。
『この世界を構成する全ての意志です』
風が吹く。
『地下世界』
『天界層』
『管理者』
『終わった世界』
『終焉』
『無限の彼方』
『そして現在を生きる人々』
全員の視線が空へ向く。
『全てが同じ未来を選んだ時、計画は完成します』
静寂。
その条件は、力よりも難しかった。
意見の違う者たち。
立場の違う者たち。
価値観の違う者たち。
それら全てが、同じ方向を向かなければならない。
だが、その時だった。
原初の終焉が前へ出る。
白い身体が静かに光る。
『私は未来を選ぶ』
迷いのない声だった。
続いて、E-マイナス1が頷く。
「俺もだ」
第八席が笑う。
「当然だな」
第三管理者も肩をすくめる。
「ここまで来て引き返せるわけないでしょ」
終わった世界の人々も次々と頷く。
老人が言う。
「頼むぞ」
少女が笑う。
「未来を見せて」
青年が拳を握る。
「今度こそ」
そして。
全員の視線が最後の存在へ向く。
無限の彼方。
世界の始まりよりも古い存在。
終わりを生み出した存在。
その中心で、小さな光が揺れている。
ドクン。
ドクン。
鼓動のように。
まるで新しい心が生まれたかのように。
長い沈黙が続いた。
誰も急かさない。
誰も声を出さない。
これは無限の彼方自身が決めなければならないことだからだ。
やがて。
巨大な存在が、ゆっくりと動いた。
無数の光が揺れる。
無数の闇が流れる。
そして。
世界そのものを震わせる声が響いた。
『私は』
静寂。
『見たい』
その一言に、誰もが息を呑む。
世界の始まりよりも古い存在が。
終わりしか知らなかった存在が。
初めて未来を望んだ。
『終わりの先を』
その瞬間だった。
ゼノスの光が、かつてないほど強く輝く。
『最終条件達成』
全員が顔を上げる。
空中に巨大な数字が浮かび上がる。
『リユニオン計画進行率』
九十六。
九十七。
九十八。
九十九。
そして。
『百パーセント』
世界全体が光に包まれた。
ついに。
三百年前から続いていた計画が、完成したのだった。




