こちら側
車掌の白い手が、レインへ伸びる。
その瞬間。
列車全体が黒い光に包まれた。
ゴォォォン――。
重い振動。
墓地に刺さっていた建物の残骸が、一斉に軋む。
ミナは咄嗟にレインの腕を掴んだ。
「レイン!!」
レインの視界は揺れていた。
自分が誰なのか。
一瞬だけ曖昧になる。
名前。
記憶。
感情。
全部が霧みたいに薄れていく。
だが。
ミナの手の感触だけは、妙にはっきりしていた。
ゼノスが低く告げる。
『自己同一性補強反応を確認』
『外部記憶接続を利用します』
男が目を見開く。
「他人の記憶で固定してるのか……?」
巨大な腕が迫る。
指についた無数の目が、一斉に開く。
その全てがレインを観測していた。
空間が軋む。
墓守が崩れ落ちる。
顔なし乗客たちは完全に動きを止めていた。
まるで“神を見る死者”みたいに。
車掌が再び告げる。
『緊急退避を開始』
『乗客は固定物へ掴まってください』
ミナが叫ぶ。
「固定物!?」
直後。
列車が急加速した。
ドンッ!!
重力が後ろへ吹き飛ぶ。
リシアが悲鳴を上げる。
「きゃっ!!」
列車は線路のない空間を走る。
いや。
“空間そのものを切り裂いて進んでいる”。
窓の外では、景色が壊れていた。
墓地。
霧。
巨大な腕。
全部がノイズ混じりに引き伸ばされていく。
ミナが座席にしがみつきながら叫ぶ。
「速すぎるって!!」
その瞬間。
後方の空間が、“掴まれる”。
巨大な腕が列車へ届いたのだ。
車体が激しく軋む。
ギギギギギ……!!
男が顔を青くする。
「追いつかれる!?」
車掌が静かに答える。
『通常運行では逃走不可能です』
ミナが叫ぶ。
「じゃあどうするの!?」
車掌のない顔が、ゆっくりレインを向く。
『終律出力の限定解放を提案します』
空気が止まる。
男が即座に否定した。
「ふざけんな!!」
「今のこいつにやらせたら消えるぞ!!」
レインは無言だった。
頭の中でノイズが鳴り続けている。
自分が薄れていく感覚。
なのに。
奥底では、“何か”が静かに目を開き始めていた。
黒い月。
終律剣。
最初の夜。
全部が繋がる。
ゼノスが静かに告げる。
『レイン』
『あなたは元々、“こちら側”へ近すぎた』
ミナが不安そうにレインを見る。
「……何する気」
レインは小さく息を吐く。
そして初めて、自分からリングの残骸へ触れた。
首元に残る黒い痕。
そこから、黒い光が滲む。
空間が揺れる。
車掌が静かに宣言した。
『限定封印解除、開始』
次の瞬間。
レインの背後に、“黒い剣”の輪郭が現れる。
完全ではない。
曖昧。
ノイズ混じり。
だがその存在だけで、車内の空気が変わる。
顔なし乗客たちが一斉に震えた。
『終律』
『終律』
『終律確認』
巨大な腕が、列車へ掴みかかる。
その瞬間。
レインが剣を握る。
まだ抜いていない。
なのに。
空間が一本の線で裂けた。
ズバァンッ!!
巨大な腕が、途中から消える。
切れたのではない。
“そこだけ存在が抜け落ちた”。
ミナが息を呑む。
「……え」
黒い穴の奥から、初めて“感情”みたいなものが流れてくる。
驚き。
困惑。
そして――興味。
男の顔色が変わる。
「やばい」
「気に入られた」




