上からの視線
“それ”は、穴の向こうにいた。
形は見えない。
輪郭もない。
なのに確実に存在している。
黒い穴の奥で、“世界より巨大な何か”がこちらを見ていた。
ミナは呼吸を忘れる。
怖い。
なのに目を逸らせない。
見てはいけないと本能が叫んでいるのに、“認識させられる”。
ゼノスが低く警告する。
『視線固定を確認』
『長時間の観測接触は危険です』
リシアが震える声を漏らす。
「……何なの、あれ」
男は青ざめたまま答えた。
「知らない」
「知ってる奴は、普通残らない」
墓守は完全に動きを止めていた。
巨大な都市型巨人が、まるで神へ祈るように膝をついている。
顔なし乗客たちも同じだった。
番号03だけが、レインを見ている。
『……外側』
『接続完了』
その瞬間。
レインの周囲の空間が歪む。
バチバチッ!!
黒い亀裂。
地面が切れる。
ミナが叫ぶ。
「レイン!!」
レインは頭を押さえる。
大量の“声”が流れ込んでいた。
『異常値』
『未定義』
『再観測』
『保存不可能』
『切除対象』
知らない声。
機械みたいな声。
それが頭の中で重なっている。
レインが低く唸る。
「……うるせぇ」
次の瞬間。
空間が裂けた。
ズバン!!
誰も剣を振っていない。
なのに、目の前の墓地が一直線に切断される。
リシアが息を呑む。
「え……?」
セリアが目を細める。
「無意識出力……」
男の顔色は最悪だった。
「まずいぞ」
「この状態で終律が漏れ始めたら――」
答えより先に。
黒い穴の奥から、“腕”が出てくる。
巨大。
白い。
指の数がおかしい。
その一本一本に、“目”がついている。
ミナが完全に固まる。
「…………」
声すら出なかった。
ネアが小さく呟く。
「触れてくる」
墓守が震える。
顔なし乗客たちは地面へ額を擦り付けるように伏せる。
男が叫ぶ。
「逃げろ!!」
「“上位接触”はダメだ!!」
だが。
腕はレインへ伸びていた。
ゆっくり。
確実に。
空間を押し潰しながら。
レインの輪郭がまた揺れる。
ゼノスが警告を連続表示する。
『自己同一性低下』
『存在境界崩壊開始』
『レインという定義の維持率――』
ブツッ。
ノイズ。
そして。
レインの記憶が、一瞬だけ飛ぶ。
森。
黒い月。
最初の夜。
まだ普通だった頃。
ミナと初めて会った時。
セリアの銀髪。
リシアの泣き顔。
全部が、一瞬だけ遠くなる。
ミナが目を見開いた。
「……レイン?」
レインの目が、ほんの一瞬だけ“誰のものでもない色”になる。
男が凍る。
「おい……」
「まさか……」
その瞬間。
レインが小さく呟いた。
「……俺は」
続きが出ない。
言葉が止まる。
自分の名前が、一瞬出てこない。
ミナの顔色が変わる。
「ちょっと待って」
「やだよ、それ」
巨大な腕が、目前まで迫る。
空間が悲鳴を上げる。
墓地全体が崩れ始める。
その時。
列車の車掌が、初めて大きく声を出した。
『緊急運行権限を確認』
『対象保護を開始します』
列車全体が震える。
銀色の車体が、黒い光を放つ。
車掌がレインへ白い手を伸ばした。
『乗客レイン』
『あなたはまだ、“こちら側”です』




