霧のルール
落下街の霧は、生きているみたいだった。
風が吹いていないのに流れている。
呼吸みたいに膨らみ、縮む。
その奥で、“街を装った何か”がゆっくり蠢いていた。
ミナは顔を引きつらせる。
「……ここ、ずっとこんなのなの?」
男は周囲を警戒したまま答える。
「今日はまだ静かな方だ」
ミナが即座に叫ぶ。
「嘘でしょ!?」
顔なし住人たちは、まだ地面に膝をついていた。
巨大存在へ祈るみたいに。
レインはそれを見つめる。
「なんなんだ、あれ」
男は低く言う。
「区域管理個体」
「この街そのものだ」
リシアが震える。
「街が生き物って……」
セリアは静かに空を見上げた。
いや、空ではない。
低すぎる天井。
ひび割れた構造体。
まるで“巨大施設の内部”みたいだった。
「この層そのものが、管理構造なのかもしれないわね」
その瞬間。
霧の中で、小さな鈴みたいな音が鳴る。
チリン。
男の顔色が変わった。
「伏せろ」
全員が即座に身を低くする。
直後。
頭上を、“何か”が通過した。
見えない。
だが空気だけが歪む。
リシアが小さく震える。
「今の……何……?」
男は地面に伏せたまま答える。
「巡回観測」
ミナが顔をしかめる。
「この世界、観測しすぎじゃない?」
男は真顔で返した。
「観測されなくなったら終わりだからだよ」
静寂。
ミナが固まる。
「……え?」
セリアが静かに説明する。
「ここ、“完全に忘れられたもの”は消えるのよ」
リシアが青ざめる。
「そんなの……どうやって生きるの?」
男は立ち上がる。
「だから下層にはルールがある」
「覚えろ」
その声は真剣だった。
男は一本ずつ指を立てる。
「一つ。名前を大声で呼ぶな」
「二つ。長く同じ場所にいるな」
「三つ。強く記憶されるな」
「四つ――」
その瞬間。
霧の奥から、子供の笑い声が聞こえた。
ケラケラと。
場違いなほど明るい声。
男の言葉が止まる。
顔色が変わる。
「……隠れろ」
ミナが混乱する。
「今度は何!?」
男は低く呟く。
「“記録児”だ」
霧の向こうから、小さな影が現れる。
十歳くらいの少女。
白いワンピース。
裸足。
そして――顔がない。
だが他の顔なし住人と違う。
動きが自然すぎる。
少女はスキップしながら近づいてくる。
リシアが震える。
「子供……?」
ネアが静かに首を振る。
「違う」
少女が立ち止まる。
そして全員の前で、小さく首を傾げた。
『新しい人?』
ミナが息を呑む。
「喋った……」
男は一歩も動かない。
「返事するな」
だが少女は気にせず続ける。
『どこから落ちてきたの?』
『まだ顔あるね』
『いいなぁ』
その瞬間。
レインのリングが小さく脈打つ。
少女が反応した。
顔のない頭部が、ゆっくりレインを向く。
『……同じ匂い』
空気が変わる。
男が小さく舌打ちした。
「まずい」
少女は一歩近づく。
『ねぇ』
『あなたも消えるの?』
その言葉と同時に。
霧の奥で、“巨大な目”が開いた。




