落下街の住人
霧の奥に立つ“それ”は、ゆっくりこちらを見ていた。
人型。
服も着ている。
だが顔だけがない。
皮膚で埋まっているわけでもない。
“最初から存在しなかった”みたいに、そこだけ空白になっていた。
ミナが後退る。
「元人間って……どういうこと」
男は低く答える。
「下層で長く生き残れなかった奴らだ」
リシアが息を呑む。
「生き残れないと……ああなるの?」
男は頷く。
「観測に削られる」
「名前を失う」
「顔を失う」
「最後には、“誰だったか”も消える」
静寂。
ミナが小さく呟く。
「……怖すぎるんだけど」
その瞬間。
顔のない住人が、一歩だけ近づく。
ギッ、と関節が軋む。
動きがおかしい。
人間みたいで、人間じゃない。
レインは静かに前へ出る。
だがリングが反応した。
バチッ。
黒いノイズ。
男が即座に止める。
「ダメだ!」
「ここで目立つな!!」
レインは眉をひそめる。
「敵か」
男は少し迷ってから答える。
「……分からない」
その時だった。
霧の奥から、さらに複数の影が現れる。
一人。
二人。
十人。
全員、顔がない。
ミナの顔が引きつる。
「増えた……」
ネアが静かに言う。
「集まってる」
セリアが周囲を見る。
「観察されてるわね」
顔のない住人たちは近づいてくる。
だが襲わない。
ただ、“確認するように”周囲を回り始める。
リシアが震える。
「なんで何もしないの……?」
男は静かに答える。
「覚えてるんだよ」
「自分たちが何だったか」
その言葉の直後。
一人の顔なしが、レインの前で止まる。
そしてゆっくり、震える指を伸ばす。
レインの首元――黒いリングへ。
ミナが息を呑む。
「……え」
顔なしは、リングに触れた瞬間、小さく震えた。
そして。
『……同じ』
ノイズ混じりの声。
リシアが凍る。
「喋った……」
男の顔色が変わる。
「下がれ!!」
同時に、周囲の顔なし全員が一斉にこちらを見る。
霧が濃くなる。
街の奥で、何か巨大なものが動く音が響いた。
ゴゴ……。
ミナが震える。
「今度は何!?」
男は顔を青くしたまま呟く。
「最悪だ……」
「街に気づかれた」
次の瞬間。
霧の奥の建物群が、“ゆっくり動き始める”。
いや。
建物じゃない。
“巨大な何かの背中”だった。
リシアが息を止める。
「うそ……」
傾いたビルだと思っていたものが持ち上がる。
赤い光。
無数の窓。
その全部が、“目”だった。
ミナが震えた声を漏らす。
「街が……生きてる……?」
男は低く言う。
「違う」
「“街として偽装してる”んだ」
その瞬間。
顔なし住人たちが、一斉に膝をつく。
霧の奥の巨大存在へ向かって。
ネアが小さく呟く。
「……来る」
レインのリングが、今までで一番激しく脈打った。
バチバチバチッ!!
黒いノイズが首元から広がる。
そしてゼノスが、断片的に復旧する。
『警告』
『区域管理個体接近』
『現在のレインでは――対処不能』




