幕間 変わったものと変わらないもの
蓮は城へ戻り、いつものセオドアの部屋へと向かう。
城へ行かず、泊っている宿に戻ろうかとも思ったが、報告せずに帰ったらエレノアによってセオドアのもとまで連行されるのである。焼け焦げた服で城を歩き回る部外者というのはどうかと思うが、どうせ屋根の一部を吹き飛ばした本人は平然としているだろうし、もはや誤差のようなものだ。
そして扉を開けると、そこでは刺身パーティーが開催されていた。
「……お前ら何してんの」
「あ! 私のコレクション壊した悪魔が帰ってきた!」
「エレノアが悪い」
フォークで刺身を刺したままエレノアが魔法を放ってきた。蓮は生成した剣で斬り裂きながら平然と席に座る。
「もう一度聞くぞ。なんだこれ」
「フェリシア嬢に食べてもらうに足る刺身を見極めてる」
蓮の目の前に座る男はごく真面目な表情で刺身を食べていた。箸でクラーケンと思しき白い肉を口に入れて真剣に吟味している様子はさながら仕事のようで、だが実際のところは私情でしかない。
蓮も用意されていた箸を手に取り、鮮やかな赤身魚を一枚取った。透明感のあるその刺身はどこからどう見ても高級品である。蓮が普段口にするものとは大違いだ。
「次会うときに刺身を振る舞う気なのか?」
「うん。刺身が好きだって言ったら興味を示してくれてね。用意するって話したら笑ってくれて、その時の表情がもう可愛くて可愛くて」
聞いてない情報まで付いてきた。楽しそうに語るセオドアは恋する青年そのものである。
蓮は呆れ半分、そして安堵半分で聞き流しながら刺身を食べる。やはり鮮度が良い。エレノアが転移で買ってきたばかりなのだろう。
少しどころではなく愛が行き過ぎているが、喪失と狂気の果てにようやく彼が掴んだ奇跡の結果なのだから、フェリシアに迷惑をかけない範囲で好きにやらせてあげたい気持ちもある。まあ、迷惑をかける範囲になっていることが大半なので、結局毎回蓮が口出しをする羽目になっているが。
「それでコレなわけか。だからって種類ありすぎだろ」
「むしろ足りないくらいじゃない?」
「そうだそうだ! フェリシア用なんだから当然だよ」
机一つでは足りず、三台の机に並んだ刺身の数々は十人前は下らないだろう。
セオドアは相変わらず大真面目だし、彼に乗っかって面白がっているだけのエレノアの言葉にも半分ほど本気が混じっていそうである。食べきれるはずもないのに、どうするつもりなのだろうか。
蓮の心配をよそに、二人は着々と審査を進めている。
「これは脂が強すぎるかな」
「じゃあこれはどう?」
「それ珍味枠じゃない? 初めての人にはおすすめしにくい」
「全部用意して、フェリシアに決めさせればいいじゃん。あ、ここの店のはダメだ。筋が一本残ってる」
「それはダメだね。別の店にしよう」
あまりにも細かい。だがしかし悲しいかな、蓮には店ごとの違いも種類ごとの特徴も分からない。口出しするだけの知識など存在しなかった。とはいえすべて美味しく感じるので、ある意味幸せな舌かもしれない。
審査が突飛な方向に行った時だけ修正するつもりで蓮は黙々と王太子の金で食べられる高級刺身を口に運んでいく。
「そういえば」
セオドアが蓮の方を向いて、何気なく口を開いた。
「フェリシア嬢、帰りどうだった?」
何でもないふうに聞いているが、緊張が隠しきれていない。内心でずっと気にしていたのだろう。
だがそんなこと気にもせず、蓮はぶっきらぼうに答える。
「普通。お前のせいで自分が昔の恋人——アリシアさんの代わりなんじゃないかって気にしてたけどな」
セオドアがぴたりと停止した。エレノアもである。
「フェリシアさんから聞いたけど、お前、話す順番おかしいだろ。そりゃ勘違いするわ」
「否定したんだけど」
「理由は言ったのか?」
「……」
沈黙は時に言葉よりも雄弁だ。
フェリシアのことになるとどこまでも突っ走っていたセオドアだが、こういう時は言葉に詰まる。普段は誰よりも優秀なくせに、自分のことになるとつくづく不器用な男だと思う。
「……代わりじゃない、とは言った」
「分かってるよ。俺たちはな。でもフェリシアさんは何も覚えてない。だろ?」
セオドアは唇を噛んでわずかに俯く。こういう感情も素直に表に出せるようになったことに蓮は内心でほっとした。だが表情にはおくびにも出さずに追及を続ける。踏み込んでおかなければ、後に後悔するのはセオドアとエレノアだ。
「たとえ魂が同じだとしても、フェリシアさんはフェリシアさんだ。アリシアさんじゃない」
「……分かってるよ」
「本当に?」
「分かってる」
セオドアの語気が強まり、そのまま沈黙した。彼に代わって、今度はエレノアが口火を切った。
「でもアリシアじゃん」
停止から復活していたエレノアが、刺身を口に入れながら言った。
蓮は視線だけを向ける。
「エレノア」
「はいはい」
エレノアは肩をすくめる。
「今はフェリシアだよ。アリシアの記憶もない。魂が同じであろうと、経験が人を異なるものにする。よく似てるだけの別人って言われても否定できない」
彼女の表情は変わらない。だが、その言葉を聞いたセオドアはかすかに顔を歪めている。
蓮もエレノアの言葉には目を見開いた。こうもきっぱりと宣言してくるとは思っていなかった。何ならアリシアとフェリシアは完全に同じ人物だ、と言い出してもおかしくないとすら思っていた。
しかし実際は確たる認識を持っていた。アリシア本人を知らないが故にアリシアとフェリシアを分けて考えられる蓮と結論自体はよく似ている。
「とはいえ魂は同じだし。人格は異なれど核は一緒。アリシアとフェリシアは同じ人物であるとも言える」
「……どっちだよ」
「え~、どっちだと思う~?」
にやにやと机に肘をついて蓮を見てくるエレノア。さっきまでの真面目な雰囲気がすべて吹き飛んだ。
「……と、に、か、く! お前ら二人ともフェリシアさんをアリシアさんと比べて不安がらせることはすんなよ!」
行儀が悪いとは思いつつも、蓮は箸でビシリと二人を指して言い放つ。エレノアがこうなった以上、真面目に釘を刺すことは諦めた。
三人の中に、いつも通りのふざけた雰囲気が少しずつ戻ってくる。
「刺身も良いやつ用意するのはいいけど、食べきれる量にしとけよ。今日のとかどうすんだよこれ」
三卓の机の上に広げられた刺身たちは半分も減っていなかった。
「蓮いる? 冷凍して持ち帰ってもいいけど」
「……いる」
努めて普段通りに振る舞うセオドアが提案してきた。
ふざけた理由でふざけた量を買ってこられたこの刺身をもらうのはなんとなく癪であるが、食べ物を粗末にするわけにはいかない。あと普通に美味しい。悔しいがもらえるのなら嬉しかった。
「残りは私もらってもいい?」
エレノアが元気よく挙手する。
「いいけど、何に使うの?」
「食品保存の魔法を改良しようかと。今の術式も悪くないけど、たとえば刺身ならちょっと水っぽくなっちゃうじゃん? だからその改良実験」
「実験用にするにはこの刺身高価すぎるだろ」
とは言ったものの、エレノアからしたらはした金なのだろう。宮廷魔法士としての収入は悪くないし、長年積み重ねてきた貯蓄もある。そして何よりこの女は魔法士として突出しているので、稼ごうと思えばいくらでも稼げる。蓮の懸念など右から左に通り過ぎていくだけだ。
「頼んだよエレノア。保存魔法が改良できたらフェリシア嬢への贈り物の幅も広がる」
「ふっ、この魔女様に任せな。一か月以内に完成させてやるよ。フェリシア用にお菓子の家でも建築しよう」
「結託するな馬鹿」
セオドアは箸を、エレノアはフォークを置いて固い握手を交わしている。魔法を改良すること自体は良いことなのに、あまりにも動機が不純だった。
蓮は盛大にため息を吐く。
昔は昔で、今は今だ。蓮はそう思う。
だがそれでも、こういう光景はどれだけ長い時が経とうと変わらない。
喜ぶべきか、嘆くべきか。蓮は判断に迷いながらも残っていた刺身を一切れつまんだ。




