8.帰宅したとて
帰りの道は特段問題なく進んだ。
日が落ちて月が輝き始める時間、ようやく慣れ親しんだ領地が見えてきた。
「もうすぐですかね。今日はお騒がせしてすみませんでした」
「いえ、もうなんとなく慣れてきましたよ。レン様も大変ですね」
フェリシアは目の前に座るレンの姿を見る。エレノアと戦った格好そのままなので、焼け焦げた服はぼろぼろだ。
「あはは……普段はここまでじゃないんですけどね。セオドアもエレノアも、フェリシアさんが来るとテンション上がっちゃうので……」
「エレノア様もなんですか?」
「そうですね。エレノアもいつもより楽しそうだし、いつもよりはっちゃけてます。まあ、あいつが問題児なのは今に始まったことじゃないですけど」
フェリシアという存在に感情を動かされているのがセオドアだけではないと、レンは言う。
セオドアはかつて愛していたという女性とエレノアは会ったことがあると言っていた。そしてエレノアはフェリシアと初めて会った時、感動の再会だと称した。
その女性とフェリシアが単に似ているだけなのか、あるいは他に事情があるのかは分からない。だがきっと、その女性は二人にとってかけがえのない人だったのだろう。
「レン様は殿下がかつて愛したという女性にお会いしたことはないんですよね」
「ないです。残された記録だったり、セオドアやエレノアからの話とかでそれなりには知ってますが……え、セオドアが話したんですか? それを?」
フェリシアが尋ねると、レンは意外だと言うように瞬いた。
「ええ。今も昔も、その人が殿下の人生のすべてだと」
セオドアから聞いたことを正直に答えると、レンは複雑な表情を浮かべた。
「いやまあ、はい。間違ってはない、間違ってはないですけど……アプローチの仕方が下手すぎる……! もっとこう、話すにも順序があるだろ……!」
友人の行動に苦悶するようにレンは少し考え込むように視線を落とすと、やがてばっと顔を上げてフェリシアを射抜いた。
「多分ですけど、それ聞いて自分は代わりなんじゃないか、とか思いました?」
「はい。即座に否定されましたけど」
「……俺から言えることはあんまりないですけど」
レンはそう前置きして続ける。
「フェリシアさんがその女性のことで悩む必要はないです。見て分かる通り、あいつはめちゃくちゃ一途なんで」
「それはまあ。なんとなく分かります」
あれだけ全身で喜びを表現されたら、さすがに疑う余地もなく愛されていると理解できるというものだ。
「そしてあいつは馬鹿なんで、言葉選びを完全に間違えています」
レンの目は据わっている。馬鹿ということを心の底から思っているらしい。本来なら否定するべきなのだろうが、同意してしまっている自分もいた。
「だから、フェリシアさんはフェリシアさんのままでいいです。代わりなんじゃないかとか、代わりにならなきゃいけないとか、必要ないと思いますよ。昔は昔、今は今なんで」
「……はい」
レンの言葉を完全に受け入れられたわけではない。結局、セオドアが愛した人がいたという事実も、フェリシアが選ばれた理由が分かっていないということも、何も変わっていないのだから。
だがそれでも、フェリシアはフェリシアのままでいいということに、少しだけ胸の内が軽くなった気がした。
フェリシアが礼を述べようと口を開こうとするも、それよりも先にレンは快活に笑った。
「ま、ここまで言っといて的外れな心配だったらすみません。屋敷が見えてきましたよ。もう到着です」
窓の外へと視線を向けたレンに釣られてフェリシアも外を見ると、屋敷の正門がすぐそこへと迫っていた。
馬車がゆっくりと速度を落とし始める。それに合わせて、門番が門を開けていた。
「……レン様、ありがとうございました。少し、気が楽になりました」
「それならよかったです。セオドアもエレノアも問題児ですから、何かあったらいつでも言ってくださいね。まあ、俺は城にいる時間は少ないんで、次はいつ会えるか分かりませんけど」
フェリシアが微笑むと、レンも柔らかく笑い返した。
やがて馬車が停まる。レンが扉を開けて先に下りると、フェリシアへと手を差し出してくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
レンの手を取って馬車を降りると、夜のひんやりとした空気が頬に触れた。
玄関の先には帰宅を待っていた使用人たちの姿が見える。その中に見慣れた母の姿を見つけ、フェリシアはほっと息をついた。
「おかえりなさい、フェリシア。殿下とは上手くお話できたかしら?」
「ただいま帰りました、お母様。はい、いろいろとお話できました」
「それはよかったわ。ただ……」
フェリシアへと安心したように微笑んでいた母は、ふとレンへと視線を向けた。
「……そのお召し物は、一体どうしたのかしら」
当然の疑問である。
王太子が直々に選んだ護衛が、焼け焦げた服を着て、平然と娘を送り届けているのだから。
だがレンはいい笑顔で言った。
「少し、愚か者への制裁を」
本当にいい笑顔だった。
母は何とも言えない表情である。
「……途中で襲われたというわけではないのよね?」
「フェリシアさんには物理的な危険は一切ありませんでした。ただ少し、書類の偽造をした不届き者がいたものですから」
「……そう。危険がなかったのならいいわ」
追及を許さない満面の笑みに、母はこれ以上聞くことを諦めたようだ。
申し訳ないとは思いつつも、フェリシアはそっと視線を逸らした。まさか結婚届が勝手に書かれた結果、王城の屋根を吹き飛ばすような事件が起きたとは口が裂けても言えない。
「とにかく、娘が無事ならそれでいいわ。今日はありがとう」
「いえ、仕事ですから。それでは、俺はこれで失礼します」
レンが軽く一礼する。
フェリシアも改めて礼を述べると、レンは笑顔で手を振った。
「またいつかお会いましょう、フェリシアさん」
「はい。今日は本当にありがとうございました。本当に」
実感がこもりすぎたフェリシアの言葉に、レンはおかしそうに笑いながら馬車へと乗り込む。
離れていく馬車を見守ってから、フェリシアはようやく屋敷の中へと足を踏み入れた。
慣れ親しんだ玄関。
慣れ親しんだ使用人たち。
いつもと変わらないその光景に、ようやく日常へと戻ってきたのだと実感する。
「フェリシア」
隣を歩いていた母が不意に口を開いた。
「なんでしょうか、お母様」
「殿下とはどうだったかしら。結婚できそう?」
「……」
そわそわと口にされた言葉からは喜悦が滲んでいる。娘が王族と結婚できるかもしれないなんて、貴族としては最高の誉れだ。喜ぶ母の気持ちもよく分かる。
だがそう簡単な話でもない。結婚自体はセオドアに言えば確実にしてもらえるだろうが、彼が抱えているであろう問題は別にある。
文官と話していたセオドアは優秀だった。優しい人だとも思う。少々どころではなく非常に変わった人ではあるが。しかし。
「……まだ、よく分かりません」
フェリシアは母を見上げて正直に告げた。
「ですが、もう少しお話ししてみたいと思っています」
ふと、別れ際の出来事を思い出す。
手の甲に落とされた口づけ。
あれは決して強引なものではなかった。まるで宝物に触れるかのような、優しい仕草。
「少なくとも、悪い方ではないようですから」
フェリシアの言葉に、母は穏やかに微笑んだ。
「そう、それならよかったわ」
そして微笑ましいものを見るかのように続ける。
「なぜかは知らないけれど、あなた、随分と殿下に愛されているようだものね」
「はい……はい? それはどういう……」
セオドアから送られてきた手紙と、フェリシアが話したこと以外にも何か知っているような口ぶりだ。
「昨日送られてきた殿下からの贈り物、開封作業と仕分けが終わったわよ。部屋に帰る前に見ていくといいわ」
それだけ言って母は自室へと戻ってしまった。
忘れていたが、そういえば大量に送られてきていた。フェリシアの内心で汗が流れる。
近くにいた使用人に、贈り物がどこに保管されているのかを聞いて、早足で向かう。たどり着いた先は、今まで予備の魔法具や家具などを保管していた大部屋だ。
フェリシアは扉を開く。
「……」
そしてまた閉めた。
あまりにも部屋の様相が変わりすぎていて信じがたかったのである。
だが見なかったことにはできない。フェリシアは深呼吸して覚悟を決めると、再び扉を開いた。
そして見えたのは数え切れないほどの布、宝石、装飾品、化粧品、調度品等々。自室の倍ほどの大きさはある部屋が、セオドアからの贈り物だけで埋め尽くされている。
あの王太子はどれだけの物を用意したのか。確実に金の無駄遣いである。
一歩部屋の中へ入ると、おそらくは贈り物であろう見覚えのない机の上に目録が置いてあった。
フェリシアは目録を手に取って用紙を開いた。蛇腹折りになった用紙は手に持つと片端が地面へと落ち、その長さは計り知れない。
フェリシアは目録を閉じると、そっと部屋を出た。




