9.山
城を訪れてから三日が経った。セオドアから毎日手紙が送られてくること以外はいたって普通の日常だ。
朝起きて、身支度をして、午前は刺繍や楽器の練習など、淑女としての教養を身に付ける。午後はその日に合わせて友人との茶会や父から領地経営について教わる。
王太子から求婚されたとて、日常がすべて変わってしまうことはなかった。
フェリシアは手元へと視線を落とす。
柔らかな午前の日差しが差し込む自室の中、作っているのは青い小花の刺繍だ。ここ三日で作り始めたもので、だが進みは早かった。
刺繍が特別得意というわけではない。ただ細かな作業には集中力を使う。何も考えずに一針一針縫っていく作業は心が落ち着くのだ。
つまり、セオドアというフェリシアの日常に入り込もうとしている非日常のことを考えなくて済むのである。主に、あの扱いに困る大量の贈り物について。
「お嬢様、また殿下より朝のお手紙が届いております」
糸を通す位置がずれた。
「……見せてちょうだい」
恨みがましい目を向けながら、フェリシアは手紙を受け取る。
ノエルから手渡された手紙は一通のみだ。封を解いて便箋を取り出すと、入っていたのは一枚のみ。
「……成長したわね」
レンから受け取ったときは便箋が十枚入った手紙が六通。その翌日は四通。花束付きであった。返信で減らせと書き続けて、ついに学習したようだ。
内容はこうだ。刺身の選定が終わったので、三日後に再び城に招きたいということ。
そしてエレノアが保存魔法を改良したので、近々楽しみにしておいてほしいということ。
「保存魔法を改良するのは素晴らしいことだと思うのだけれど、それで楽しみにするって一体なんのことなのかしら」
「贈り物の幅が広がるということではないでしょうか。保存が難しくこれまで贈り物に適さなかったものもこれからは贈れる、など」
「……ありそうね」
ノエルのセオドアへの解像度が高い。当たっている気がしてならなかった。
屋敷を贈り物で埋め尽くす気なのだろうか。この調子で贈られては部屋が足りない。
フェリシアはため息を吐きながら手紙を仕舞おうとすると、便箋の一番下にこっそりと書かれた追伸が目に入った。
『フェリシアへ。次来るとき、セオドアが送ったアクセサリー着けてきてね! 絶対面白いことになるから!』
署名はエレノア。丁寧なハートマーク付きである。結婚届で見たのと同じ、丸く可愛らしい字だった。
セオドアはなぜこの追伸を許したのだろうか。いや、そもそも本当に許したのだろうか。エレノアが勝手に書き足しただけな気がする。セオドアの目をかいくぐって書き足すのは難易度が高いと思うのだが。
だが、面白いことになるというのは置いておいて、もらったアクセサリーを着けて行くという言葉には一理ある。
「ノエル。殿下から贈られたアクセサリーって、どのくらいの量があったかしら」
ノエルは答えようとしたものの、一瞬言葉に詰まった。
「……多すぎて数えていません。確認してきましょうか?」
「……いえ、一緒に行きましょう」
脇に置いていた刺繍枠から針を外し、ついでにずれた箇所の糸をほどく。
そして決意を固めるとフェリシアは立ち上がる。ノエルが同情と感心の視線を送ってくるのが逆に辛かった。
***
フェリシアは城から帰った夜、見ることを諦めた部屋の前に立っている。
「……」
扉を開く。そして閉じた。
「お嬢様」
「……何かしら」
ノエルの顔は見れなかった。
「これでは何も始まりません」
「そもそも始まるべきではなかったわ」
「お気持ちは分かりますが、現実を受け止めてください」
冷静な指摘が飛んできた。
だが仕方がないと思う。改めて見た部屋の中はやはりおかしかったのだ。
大部屋を埋め尽くす贈り物の山を素直に喜べる性格でありたかった。フェリシアでは呆れと心配が勝つ。
しかしこれ以上見ないふりをするわけにもいかない。
「……開ける。開けるわ。開けるわよ」
自分に言い聞かせるようにして扉に手をかける。
ノエルからの無言の応援を受けながら、フェリシアは勢いよく扉を開く。
まず目に入ったのは色とりどりの布地。山だった。比喩ではなく、本当に山である。
そして宝石の付いた装飾品。化粧品。香水。本。果てには家具や魔法具まである。
一伯爵令嬢への贈り物として適切な量では断じてない。
「前に見た時より増えてないかしら」
「増えております。合計で二十点ほど」
「……なぜ?」
「手紙が送られてくる度に追加が届いております」
知らなかった。手紙だけだと思っていた。フェリシアは思わず天井を仰ぐ。この空間で贈り物が目に入らない唯一の場所であった。
「返しましょう」
「すでに旦那様が問い合わせております」
「返事はもう来ているの?」
「『まだ足りないと思っている』、と」
「……」
頭がおかしいんじゃないだろうか。フェリシアはもはや何度になるか分からない結論に至った。
「アクセサリーでしたよね。とりあえず、目録だけ確認いたしますか?」
「……ええ、そうね」
三日前に放棄した蛇腹折りの目録を、精巧な木彫りの机の上に広げる。
アクセサリーの項目を見つけて読んでいくが、読んでも読んでも終わらない。
「紅玉を嵌め込んだ黄金の髪留め一点、紅水晶の薔薇髪留め一点、真珠を連ねた髪飾り一点、金剛石の蝶髪留め一点——」
「待って。髪留めだけであとどれくらい続くの?」
「……髪留めや髪飾りだけ三十二点あります」
「……だけ?」
「だけです。アクセサリー類ですと、他にもネックレスやブレスレット、耳飾りなどもそれぞれ同じ程度の量があります」
ノエルも若干遠い目をしている。
やがてフェリシアは目録から顔を上げた。
「……これ、すべて殿下が選んでいるのかしら」
「書状にはそのように書いてありましたよ」
「……全部?」
「全部です」
理解に苦しむ。あの王太子、暇なんだろうか。多くの公務を抱えているはずなのに、一体いつ選んでいるのだろう。
フェリシアはざっと贈り物の山々を見渡した。
布地はあるがドレスはない。宝石はあるが指輪はない。サイズが分からないからか素材だけを贈ってきている。そこで配慮できるのならまず量を見直してほしい。
しかし。ふと、城で延々とフェリシアの装いについて語っていたセオドアを思い出す。
ドレスやリボン、塗り込んだオイルとその香りにまで気付いていた。
それを考えると、この贈り物も無作為に選ばれたわけではないのかもしれない。
フェリシアは近くに積まれていた箱から一つの髪留めを手に取った。
繊細な銀細工に、いくつもの透き通った青い宝石があしらわれている。
「……綺麗」
「ええと……『蒼玉をあしらった白銀の髪留め』ですかね。お嬢様によくお似合いになるかと」
ノエルの言葉に、フェリシアは髪留めをじっと見つめる。
たしかに好みであった。悔しいことに。
あの王太子、見る目はあるらしい。
「……次、これを着けていこうかしら」
「よろしいのでは? 殿下もお喜びになりますよ」
「でも調子に乗ってまた暴走し始めそう」
「既に手遅れなので気にしなくて良いと思います」
「……それもそうね」
反論できなかった。




