6.まともな王子様
にこにこと楽しそうにしているセオドアを前に、呆れながらフェリシアが窓の外へ視線を向けていると、見てはいけなさそうなものが見えた。
「待てエレノア!」
「やだね。このエレノア様を捕まえようなんて千年早い」
宙に飛んで挑発しているエレノアと、剣を片手に城の屋根を駆けて追いかけるレンの二人である。
「……あれは大丈夫なんですか?」
「いつものことだから心配しないで。城の修理はエレノアにやらせる」
セオドアは一切顔色を変えていない。本当にいつものことのようだ。
冷めた紅茶を一口飲んで顔をしかめると、淹れ直そうとティーポットに手を掛けている。
「私がやりますよ」
「いいの? ありがとう。向こう側に茶葉があるから、好きに使って」
ぱっと笑ったセオドアが指差した先には数えきれないほどの茶葉、茶葉、茶葉。棚一面が茶葉だけで埋まっている。
棚へと向かい、銘柄を一つずつ確認していく。どこでも売っているような一般的なものから、他国でしか取れない希少な茶葉までたくさんの種類が揃っている。
「殿下は紅茶がお好きなのですか?」
「うん。最初はそうでもなかったんだけど、人の影響でね。毎日飲んでたら好きになってた」
「へえ、それでこんなに」
せっかくなので飲んだことのないものを飲んでみようかと、フェリシアは見たことのない銘柄の茶葉を選んで淹れる。
「でもこだわりは別にないんだよね。紅茶であればいいというか。たくさんあるのはフェリシア嬢用」
「……」
また始まった。
ティーポットに湯を注ぎ、机へ向かいながらセオドアへと視線を向けた。彼は頬杖をつきながら愛おしいものを見るようにフェリシアの一挙一動を観察している。
この人、フェリシアの前ではずっとコレでいくつもりなのだろうか。それはちょっと困る。
「私も紅茶は好きですから、たくさん用意してくださるのは嬉しいです」
「じゃあもっと——」
「ですが」
フェリシアはセオドアの言葉を遮ってピシャリと言い放つ。
「用意しすぎです。この半分もあれば十分ですから。殿下は加減というものを学んでください」
「………………善処するよ」
「それはしない人の台詞です」
すっとセオドアは顔を逸らす。
その様子にフェリシアはため息を吐きながらティーカップへと紅茶を注いでいく。果物のようなみずみずしく甘い香りが辺りに漂う。
「茶葉については追々何とかするとして」
「増やす?」
「減らします。殿下を知るための質問を続けてもいいですか?」
「もちろん。話せることなら何でも」
フェリシアは席についてティーカップを手に取りながらセオドアへと視線を向ける。
「では、好きなものは何ですか?」
「フェリシア嬢」
「そういうことではありません」
「ああ、ものじゃないもんね。ごめん」
「そこじゃないです。では食べ物で」
「フェリシア嬢の作ったもの」
「食べたことないですよね?」
「これから食べる時がくるかもしれない」
驚くほど話が進まない。それなのにセオドアには一切悪びれる様子もない。この人、本当にフェリシアに自分を知ってもらう気があるのだろうか。
「……食べたことがあるものでお願いします」
「うーん……それなら刺身かな」
「サシミ、ですか?」
「東の国で食べられてる生の魚肉だよ。時々、蓮が仕事で東に行くと凍らせてお土産に持ってきてくれるんだ」
またレンだ。この二人は本当に仲が良い。やはり関係性が気になるが、先ほどはぐらかされたばかりだ。今はまだ追及できない。
「生魚ですか。それ、食べられるものなんですか?」
「衛生管理を徹底すれば食べられるよ。蓮……は南で仕事のはずだから、今日の罰としてエレノアにでも買いに行かせようか。今度、一緒に食べよう」
「いいんですか? ありがとうございます、楽しみです」
新たな体験というものは楽しいものだ。未知の料理への期待を胸にフェリシアは笑う。
そしてその笑みを見て停止した人間が一人。次の瞬間、セオドアは両手で顔を覆った。
「フェリシア嬢が自然に笑った……次に会う約束して笑った……」
「楽しみなの刺身ですけどね」
「笑ってくれるなら何でもいい……」
隠しきれていない耳の端は真っ赤だった。自分から仕掛けるのはどうということないくせに、不意打ちには弱いらしい。
「殿下って、存外可愛らしい方なんですね」
「フェリシア嬢の方が何倍も可愛いよ」
鈴を転がすように笑うフェリシアにセオドアはさらに懸命に顔を隠し、だが発言は一向にブレない。ここまできたら一周回って尊敬である。
好きな人だからといって、普通、笑うだけでここまで反応できるものだろうか。
フェリシアが妙な感心を覚え始めた頃、突然に扉が叩かれる音が響いた。
「殿下、少しお時間よろしいでしょうか」
レンとは違う、硬質で落ち着いた男の声だ。
その瞬間、セオドアは落ち着いた王太子の姿となった。顔を覆っていた手は下ろされ、赤みはさっと引いていく。
「緊急?」
「南部の水路について、至急確認をお願いしたい箇所がございます」
「入って」
セオドアの許可が出ると、一人の文官が扉を開けて部屋へと入ってくる。
文官はフェリシアの姿を認めると軽く一礼し、セオドアへと数枚の書類を手渡す。
「魔物による被害が甚大で、水路設備の復旧まで時間がかかる見込みです。魔法士を派遣して工事を急ぎますが、その間は別の水路からの供給を増やして対応しようかと」
セオドアの様子を見て、フェリシアは思わず瞬いた。
書類へと視線を落としたその表情は真剣だ。好きなものを聞いてフェリシアを挙げるという行為をした男など見る影もない。
「基本的にはこの案でいい。ただ、供給量は第四区に二割増やして。農業区画への供給は止めていいから」
「それでは作物が」
「今年は雨が多い。農業区画なら地下水路からまかなえるから、居住区を優先させて」
「承知いたしました」
文官は一礼して退出していく。
静かになった部屋でフェリシアが茫然としていると、視線に気づいたセオドアがふわりと微笑む。
「どうしたの?」
その瞳に宿るのは純粋な恋情だ。真剣な王太子の顔は即座に消えている。
「……いえ、本当に本当はまともなんだと思いまして」
「俺はいつだってまともだよ?」
「まともという言葉の意味を辞書で引いてみてはいかがでしょうか」
フェリシアはただただ内心で驚いていた。
評判は何度も聞いていた。強く、聡明で、臣下からの信頼も厚い、理想の王太子。彼がいる限りこの国は安泰だと。
なのにフェリシアがこれまで見てきたセオドアは初対面で二度の結婚を要求し、大量の贈り物をし、ラブレターを六通も書き、会うなり抱きしめようとしてレンに止められていた人物である。
正直なところ、評判の王太子と目の前のセオドアが全くと言っていいほど結びついていなかったのだ。
それが今の一件で覆された。この人、フェリシアが絡まなければ本当にまともで完璧な王太子のようだ。




