4.いなくても問題児
甘い微笑みと共に差し出されたセオドアの手。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
フェリシアは差し出された手にそっと己の手を重ね、馬車から降りた。
昨日と同じ、見惚れるほど整った顔立ち。やはり、外見だけなら完璧な王子様だ。
今日は突然知らない部屋に転移させられたわけではなく、馬車に乗って正式な手順を踏んで城を訪れている。レンという心強い常識人もいることだし、昨日より幾分ましである。
レンもフェリシアに続いて降り、馬車は立ち去った。だが、セオドアは動かない。穏やかな笑みを浮かべながら固まっている。
「……殿下?」
呼び掛けると、セオドアはゆっくりとフェリシアの手を引く。
そして抱き寄せようとして——
「ストップ」
呆れかえった様子のレンが割り込んできた。
「何するのさ」
「当たり前だ馬鹿。距離感というものを考えろ」
この従者、今王太子に向かって堂々と馬鹿と言った。すさまじい胆力である。
手を繋いだまま中途半端な位置で固まっているフェリシアをよそに、セオドアとレンによる言い争いが始まった。
「貴族同士ならこのくらい当然だよ」
「会うの二回目で抱き合うとか貴族の節度終わってんのか? それが本当であれ嘘であれ、俺は俺の価値観のもとお前を止めるね」
「でも、こんなに綺麗なのに抱かない方が失礼じゃないか?」
「言葉で褒めればいいだろ⁉」
すでに雲行きが怪しくなってきた。これ、本当に詳しい事情を説明してもらえるのだろうか。
さも当然のことを言うかのように涼しい顔をしているセオドアと、頭痛を抱えていそうな蓮。
これが今日一日続くとして、フェリシアの精神はもつのだろうか。
「あの。とりあえずお部屋に行きませんか? 正門前で続けるのはちょっと問題があると言いますか」
フェリシアが割り込むと、辺りを一瞬静寂が包んだ。
そしていい笑顔でセオドアがレンをどかし、手を引いて歩き始めた。
「あっ、おい」
「フェリシア嬢の言う通りだ。ごめんね、蓮が邪魔しちゃって」
「おい⁉」
レンが抗議しながらついてくるも、セオドアは意にも介さずフェリシアだけを見て歩いている。
「とても綺麗だよ。そのドレス、フェリシア嬢の瞳の色と同じにしたんだね。リボンも空色で、統一感があってすごくいい。髪の編み込みもドレスの柔らかなシルエットと相まってフェリシア嬢の美貌を引き立ててる。それに——ああ、もしかして今日か昨日にでもオイルを塗り込んだ? 昨日も白くて滑らかな肌で美しかったけど、今日はさらに透き通っているね。微かに甘い香りもする。ラベンダーかな? これがフェリシア嬢の好きな香りなの? 覚えておくね」
え、こわ。
淑女の微笑みを保ったまま、フェリシアは内心でそう思った。表情を崩さなかった自分を誰か褒めてほしい。
「お、お褒めにあずかり光栄です……」
「ほれ見ろ、フェリシアさん困ってるぞ」
二人の後ろでため息を吐きながらレンが言い捨てた。
「妻を褒めて何が悪いの?」
「まだ婚約すらしてないんだよ!」
また始まった。
馬車の中でも思ったが、どう考えてもレンの発言は従者のものではない。
フェリシアにはさん付けだし敬語も使うのに、王太子に対しては呼び捨てだしタメ口。それどころか普通に注意している。
セオドアもセオドアで不満そうではあるもののレンの態度に気を悪くする様子はない。
「……あの」
セオドアとレンの視線が同時にフェリシアへと向かう。なお、セオドアは呼びかけられた瞬間、笑みがひときわ大きくなっていた。
「レン様は殿下の従者、なんですよね……?」
「違うよ」
「違います」
即答である。
「では一体どういったご関係で……?」
困惑にフェリシアはセオドアとレンの顔を行き来している。
昨日、セオドアのもとを訪ね、今日は正式な使いとしてフェリシアを馬車で迎えにまで来て、セオドアからの手紙も預かり、今は普通に説教している。
これが従者でないなら一体なんなんだというんだ。
「友人だよ」
「昨日はエレノアに『面白いこと起きてる』って連れてこられて、今日は『信用できて強くてエレノアじゃない人』って条件に合うからって駆り出されただけの友人です」
二人とも表情を変えずに言っているが、フェリシアにはまったくもって意味が分からない。
「ええと、殿下の管轄ではない、城で働いている方とか……?」
「いえ、流れの冒険者です。要するに、俺が今ここにいるのはコイツの職権乱用ですね」
軽く親指でセオドアの方をさすレン。
あまりにも当然のことのように言われて、フェリシアは言葉に詰まった。
「職権乱用だなんて失礼な。必要なことだったんだからしかたないだろ?」
「王太子特権の私的利用でしかないだろ」
「フェリシア嬢の安全確保のためだから公務だよ」
「絶対違う」
また言い争っている。
昨日よりは理解できるようになるかな、と思っていたが早くも分からなくなっていた。
「……とりあえず、いい加減中に入りませんか」
恐る恐るフェリシアが声をかける。正門前から移動してきたはいいものの、いまだ部屋には入らず廊下での言い争いだったのである。
フェリシアの言葉にセオドアははっとしたように向き直って言った。
「ごめんね、立たせたままだったね。さあ、中に入ろうか」
先ほどまでの言い争いが嘘だったかのように微笑むと部屋の前へ向かい、扉を開けてフェリシアを招く。
迎え入れられたのは昨日と同じ部屋だ。レンは勝手知ったる様子で部屋の隅へと赴き、茶を入れている。
「座って。昨日のことと、結婚について説明するから……って、なにこれ」
椅子をすすめられるも、セオドアは目を丸くして机の上を見ている。
「何かありましたか?」
フェリシアも気になって机の上を見る。そして絶句した。
そこには一枚の書類があった。署名欄だけが空白で、他はすべて埋まっている。丸く可愛い、女性らしい字である。証人欄には「エレノア」と、まったく同じ字で「レン」と書かれている。
「なんだよ、二人して固まって」
紅茶の準備ができたのか、ティーカップを持ったレンが後ろからのぞき込んできた。
そしてレンも停止した。
三人の間に奇妙な沈黙が流れる。
「ねえ二人とも、これって……」
「間違いないですね……」
「結婚届、だな……」
疑いようもなく、確実にエレノアの仕業である。昨日、一度会っただけなのに紅い瞳がいたずらっぽく輝く姿が鮮明に思い浮かんだ。
「俺、ちょっとエレノアのとこ行ってくる」
「任せた」
つかつかと早足でレンが部屋を出ていった。まともな話し合いをするにはあまりにも幸先が悪かった。




