3.レンという従者
城から帰って一時間と経たないうちだった。ノエルに意味の分からない出来事について話していると、セオドアからの招待状が届いた。
恐る恐る内容を確認すると、当然のごとく「結婚しよう」と書いてあり、両親共々屋敷全体大騒ぎ。
それからはもう怒涛だった。
ドレスを一から仕立てるのは間に合わないため、手持ちの中でも最も王太子と会うのに相応しいものを選び、それに合うアクセサリーも片っ端から試した。
父による緊急マナーレッスンの開幕。
結婚してこいという母の指導のもと侍女総出のボディーケア。
ただでさえ理解不能な王太子と宮廷魔法士の相手をしてきたあとだというのに、疲労で死ぬかと思った。
そして翌日。
費やされた努力により、フェリシアの顔が死んでいること以外は完璧な令嬢が完成した。
「お綺麗です、フェリシアお嬢様!」
「ええ、ありがとう……」
鏡に映るフェリシアは普段よりもずっと愛らしい。
瞳の色に合わせた空色のドレスは、ふんだんに重ねられたチュールが動くたびに空気を含んでふわりと揺れる。
髪は緩く編み込まれ、金の刺繍が施された空色のリボンで結ばれている。
自分でも可愛いと思う。思うのだが、いかんせん疲労で気が重い。
今日も昨日のように理解が追い付かない状況になったら微笑みを保ち続けられる自信がなかった。
「フェリシア様、城から迎えの方が参りました」
「今行くわ」
扉越しに使用人の声が響くと、フェリシアは表情を引き締めて立ち上がる。
正門へと向かうと馬車が停まっており、その前では一人の若い男が待っていた。
フェリシアよりも年上だろうか。二十代半ばに見えるその男はセオドアと同じ黒髪黒目だ。
男はフェリシアを認めると曖昧な笑みを浮かべて近寄ってきた。
「あなたがフェリシアさんですね?」
「はい、フェリシア•イグレシアスと申します。あなた様は?」
「蓮と言います。昨日はセオドアとエレノアが迷惑かけたみたいで申し訳ないです」
レンと名乗った男は深々と腰を折ってお辞儀をした。あまり見ない所作だが、他国の出身なのだろうか。
王太子本人を呼び捨てしているところを見るに、かなり近しい従者なのだろう。
フェリシアは少々面食らいながらもレンへと声をかける。
「いえ、頭を上げてください。驚きはしましたけど、害があったわけではありませんし。今日、ちゃんと説明があればそれで構いませんよ」
「たぶん、説明はあってもノリは同じだと思います……止めはしたんですけどね……」
レンは顔を上げると、言いにくそうにしながらもそう口を開いた。
「……もしかして、昨日部屋に訪ねてきたのってレン様ですか?」
「俺です。止めきれなくてほんとすみません」
「レン様は悪くありませんよ。むしろ助かりました」
「そう言ってもらえるとありがたいです。そろそろ行きましょうか」
苦笑いしてレンは馬車の中へとエスコートする。
馬車へと乗り込みながら、フェリシアは内心で安堵していた。セオドアの周りには暴走しているエレノアだけでなく、まともな人間もいる。フェリシアにとって救いであった。
レンと向かい合わせになるように椅子へと座り、馬車が動き出すとフェリシアは思わず目を見張った。
伯爵家であるフェリシアの家で使われている馬車とは比べ物にならないほど柔らかなクッションの椅子。
豪華だが派手すぎない上品な金の装飾。
揺れを限りなく小さくする設計。
確実に一伯爵令嬢を迎えるための馬車ではない。王族が扱う馬車の中でも最上のものではないだろうか。
あの王太子、どこまでやるつもりなんだ。唖然としているフェリシアをレンは哀れみの目で見つめながら静かに言葉を放った。
「フェリシアさん。セオドアから手紙預かってまして。移動中にでも読んでほしいって」
「手紙ですか。今日の段取りについてとかですか?」
「いえ、ラブレターです。しかもめっちゃ量多くて……いります?」
レンが懐から取り出したのは一通の手紙だ。中身が詰まっているのか少し膨らみはあるが、常識的な範囲ではある。
「読ませてください。そのくらいなら移動中に読みきれると思いますし」
「あと五通あります」
「……とりあえず今は一通だけでいいですか。残りの五通は後で家に帰ってから読みます」
「いいです。セオドアには後で俺の方から言っときます」
一通で終わると思った自分が馬鹿だった。結婚を二回しようと言い、大量の贈り物もしてきた男が一通で終わるわけなんてなかった。
半ば諦めながら受け取った手紙を開き、便箋を取り出す。
流麗な文字で書かれたラブレターを読み進める。そして十枚分の便箋を読み終えたとき、感想はただ一つであった。
「……重くないですか?」
「……だろうと思いました」
手紙の内容は最終的に全て「愛している」に集約される。これがあと五通は狂っているとしか言いようがない。
手紙を持ったまま遠い目をするフェリシアと、頭を抱えるレン。
とりあえず、常識人なレンが迎えで良かったと心の底から思った。
「私、なんで殿下にここまで好かれてるんですかね……」
「あー、それはー……そのー……」
「知っているんですか?」
レンは気まずそうに視線を彷徨わせている。
じいーっと無言で催促していると、レンは観念したように口を開いた。
「フェリシアさんだから、としか言いようがないっていうか……」
「それは殿下もエレノア様もおっしゃっていましたね。その理由が分からないのですが」
「俺からはどうにも……これはセオドアから聞かないといけないことだと思うんで。すみません、言えないです」
申し訳なさげに謝罪しながらも、レンはきっぱりと断った。
そこにあるのは暴走する王太子に振り回される苦労人の疲れではなく、友人を思いやる温かさだ。
「……そうですか。すみません、レン様に聞いてしまって」
「いえ、気になるのは当然のことですよ。あいつ、フェリシアさんのことになると正気がどっか行くんで。初対面でアレは戸惑いますよね」
「全くですよ……殿下って、完璧な人だという評判があるだけになおさらです……」
ため息を吐いて窓の外から王都を眺める。
整然とした街並みは美しい。使い魔が宙を翔けて荷を運び、必要に合わせて建物そのものが動く。
至るところに魔法の仕掛けがあるこの先進的な作りは、セオドアとその協力者二人が作ったものだ。
「セオドアも普段はまともなヤツですよ。フェリシアさんの元々持ってたイメージ通りの人だと思います」
「そのまともな殿下を見てみたいんですけどね……」
「しばらくは無理かもしれません。あいつ、フェリシアさんに会えて浮かれてるんですよ」
苦笑しながら、レンは穏やかに続ける。
「どうか、セオドアのことは嫌わないでやってください。今は暴走気味ですけど、少なくともフェリシアさんを想う気持ちは本物ですから」
フェリシアには、わずかに伏せられたレンの瞳から正確に感情を読み取ることはできない。
なぜセオドアが何を抱え、なぜフェリシアが愛されているのか、そしてレンはそれをどこまで知っているのか、フェリシアには分からない。ただそれでも、レンの言葉には長い付き合いを思わせる親しさと、フェリシアには知りようのない痛みが滲んでいた。
フェリシアは言葉に詰まって、だがどうにか言葉を絞り出そうとしたとき、それより早くレンが口を開いた。
「もう着きます。外ではセオドアが待っているはずです」
馬車はもう王城の正門へと差し掛かっている。
フェリシアが窓から先を覗くと、絹のような黒髪を風に揺らしながら佇んでいるセオドアの姿が見えた。
馬車がやってくるのを見つけると、セオドアは花が綻ぶように笑った。
そして、目が合った。
「えっ」
「どうかしましたか?」
「いえ、目が合った気がしまして。外から馬車の中って分かるものなんですか……?」
ひきつった笑みを浮かべながらフェリシアが問うと、レンは遠い昔を思い出すように答えた。
「あいつ、視力化け物なんですよ」
「それでどうにかなるものなんですか……?」
「セオドアを同じ人間だと考えない方がいいと思います」
それは、従者が言っていい言葉なのだろうか。
馬車の中においてフェリシアも大概失礼な発言をしていた自覚はあるが、レンはそれをはるかに上回る。
どれだけ苦労させられてきたんだという同情と、この発言を許される二人の関係性への興味が同時に湧いてきた。
だがそれを言葉にするより先に馬車が停まる。ついに城へ着いたのだ。
馬車の扉が開かれる。
「ようこそ、フェリシア嬢」
甘い微笑みを浮かべながらセオドアはフェリシアへと手を差し出した。




