2.やっぱりおかしな王子様
見る者すべてを恋に落としそうな、甘い完璧な微笑み。
セオドアはフェリシアの頬にそっと触れており、傍からみれば仲睦まじい恋人のそれだ。
ただし二人は初対面だし、セオドアの発言は理解不能だった。
「……言い間違えてはいらっしゃいませんか?」
「まさか。俺は本気だよ。結婚を前提に結婚しよう」
「……」
絶句とはまさにこのことである。
フェリシアはもう言葉も出なかった。これは何を返すのが正解なのだろう。
何言ってるんですか? と堂々と返したい気持ちはあるが、どう考えても不敬極まりない発言である。
黙り込んでしまったフェリシアを見てセオドアは何を思ったのか、さらに距離を詰めてきた。
「ああ、結婚式をどうするかが心配? 安心して、二回やるから」
「二回」
「うん。まずは近しい人だけ集めて、小規模の式を挙げよう。来週はどうかな。籍はそこで入れるけど、貴族や民へのお披露目も兼ねた式はもっと時間をかけて——」
この王太子、止まらない。
結婚式を二回挙げる気満々である。結婚を前提に結婚とはそういうことなのか。
彼は滔々と今後の計画について語っている。
セオドアという王太子は勉学に優れ、魔力量も多く魔法にも秀で、社交界でも既に高い評価を得ており、さらに剣術においては騎士団長すら上回る技術を持ち、この国最強の剣士と名高い。要するに天才である。
人当たりが良く、穏やかで真面目。非の打ち所のない完璧な王太子だと、フェリシアは聞いていた。
それがどうだ。実際に会ってみれば結婚の予定を楽しそうに語っている。婚約すらしていないのに。
何かおかしな魔法でも受けたのだろうか。さっきのエレノアという宮廷魔法士は癖が強かったし、彼女だろうか。
フェリシアは覚悟を決めた。このまま流されたら確実に面倒極まりないことになる。
未だ頬に添えられているセオドアの手をそっと離して、まっすぐに漆黒の瞳を見つめる。
「どうしたの?」
セオドアはふわりと微笑む。途方もない幸福の中にいるかのように。
その笑みにフェリシアはほんの少し喉が詰まって、だが毅然と言葉を発した。
「殿下。私たちは初対面です。突然結婚と言われても困ります。まず、理由をお聞かせいただけないでしょうか」
一瞬の沈黙が落ちる。
セオドアの気分を害してはいないだろうか。内心戦々恐々としながらもそんな様子はおくびにも出さず、フェリシアは凛とした態度を崩さない。
笑顔のまま固まっていたセオドアだが、さすがは完璧な王太子と呼ばれるだけはある。すぐに持ち直して再び柔らかな声で言葉を紡ぎ始めた。
「君がフェリシアだから」
「……意味が分かりません」
「でも、俺にとってはそれで十分なんだ」
侍女に対して、エレノアも言っていたことだ。
フェリシアだから、セオドアはフェリシアを呼んでいる、と。
意味が分からない。
だが、目の前のセオドアはいたって真剣だ。
やはり精神魔法でもかけられているのか。あるいは、フェリシアの知らない何かがあるのか。
セオドアは再び何か言葉を発しようとしている。
しかし、それよりも早くノックの音が響いた。
「俺。セオドア、ちょっと出てこい」
若く、だが少し疲れたような男の声。
城の人間だろうか。フェリシアには聞き覚えのない声だったが、セオドアには誰だかすぐ分かったようでぞんざいに返した。
「断る」
「話がある。フェリシアさんのことだ」
「……分かった」
はあ、と小さくため息を吐くとセオドアはフェリシアの方を向いて申し訳なさそうにする。
「ごめんね、フェリシア嬢。少しだけ待っていてもらえるかな」
「承知いたしました」
セオドアが纏っていた先ほどまでの柔らかな雰囲気はわずかに固くなっている。
扉の向こうにセオドアが立ち去ると、フェリシアは備え付けの椅子に腰かけた。
「一体なんなのかしら……」
エレノアと出会ってからここまで三十分と経っていない。それなのに、フェリシアは過去最大の疲労を感じていた。
婚約を持ちかけられるなら百歩譲ってまだ分かる。だが、セオドアが言ったのは結婚だ。それも二回やるつもりらしい。
理由を聞いてもフェリシアだから、と。理由を話すつもりがないのか、あるいは本当に頭がおかしいのか。
セオドアが呼び出された理由もフェリシアだ。その呼び出しの理由くらいは後で教えてもらえるだろうか。
ぐるぐると思考が回って、だが結局、頭の中には困惑しか残らない。
面白そうだ、とエレノアに会いに行ってしまったのが間違いだったのだろうか。
数分が経つと、セオドアが帰ってきた。片手でエレノアを引きずっている。
「く、首が絞まる……」
「自業自得だ」
呻くエレノアと、一切容赦のないセオドア。また困惑が増えた。
もうひきつった笑みを浮かべる他なくなったフェリシアのもとへ二人がたどり着くと、セオドアはばつが悪そうな笑みを浮かべた。
「エレノアが無理矢理連れてきたって聞いたよ。ごめんね、てっきり許可取って連れてきたものだと……」
「だって話進まなかったんだもん」
「エ、レ、ノ、ア?」
「すいませんでした」
エレノアは美しい銀の髪を垂らして、床で項垂れている。
哀れというかなんというか、ちょっと申し訳なくなってきた。
「顔を上げてください。驚きはしましたけど、帰してもらえればそれで構いませんから」
そう言うとエレノアはぱっと顔を上げて目を輝かせた。
一方でセオドアは微妙な表情をしている。
「やっぱフェリシアだよね! 優しくて思いやりのあるフェリシア最高!」
「……本当にごめん」
「……いえ。お気になさらず」
はしゃぐエレノアと、頭を抱えているセオドア。
フェリシアにもなんとなく関係性が分かった。これは好き勝手する従者に振り回される真面目な主だ。
たぶん、セオドアが暴走してるのはフェリシアの件だけであって、普段は評判通りの真面目な天才の王太子なのだろう。結局なぜ暴走してるんだ、という話にはなるのだが。
「……とりあえず、今日は帰ろうか。明日、正式に迎えを出すから」
「エレノア様ではない方だと助かります」
「そうするよ」
「なんで!?」
わめくエレノアを見下ろして、セオドアはにっこりと笑う。
「エレノア。イグレシアスの屋敷に繋がる転移門、開いて」
「えー、でも……」
「開いて」
セオドアの圧を受けて、エレノアが渋々といった様子で転移門を開く。門の先には確かにフェリシアの暮らす屋敷が見えた。
「今日は迷惑をかけたね。でも、結婚の話は本気だから。詳しい話はまた明日。じゃあね」
「……失礼します」
ひらひらと手を振るセオドアと、未だ小声で抗議をしているエレノアへとお辞儀をすると、フェリシアは転移門をくぐって帰宅した。
転移門の先は、屋敷の正門から玄関へ続く道の途中だった。
結局、あの二人は本当になんだったのだろうか。エレノアが問題児なのだろうということ以外何も分かっていない。
セオドアも最初は頭がおかしいんじゃないかと思ったが、呼び出されてから戻ってきた後の様子を見るに、本来はまともな人物であるようには思えた。
フェリシアの知らないところで勘違いでもあったのだろうか。それにしたって重すぎる気はするが。
「お嬢様!」
庭から玄関へと歩いていると、屋敷の中から、ノエルが駆け寄ってきた。
「お怪我はございませんか!? あの無礼な魔法士に意地悪などはされませんでしたか!?」
「大丈夫よ。ちょっと疲れたけど」
「お部屋に戻りましょう。それと、あの宮廷魔法士には正式に抗議を出しておきます」
「そこまではしなくていいわ。明日、正式にお話があるそうだから、まずはそこで事情を聞いてみようと思うの。それよりも」
フェリシアはそこで言葉を切ると、屋敷内へと運び込まれている大量の荷物を見た。たくさんの使用人が屋敷と馬車を行き来している。
「あれは何かしら」
「……王太子殿下からの贈り物です」
「……」
やっぱりセオドアは頭がおかしいんじゃないだろうか。




