1.おかしな王子様
見目麗しい王子様に見初められて、熱烈な恋愛をして、数多の障害を乗り越えて結婚をする。
平民も貴族も問わず、幼い少女なら誰でも夢見ることであると、フェリシアは思っている。
目の前には絹のような艶やかな黒髪と、優しげに細められた漆黒の瞳の王子様。
この幼い頃に夢見たままの王子様に愛の言葉を囁かれたら、誰だって恋に落ちるだろう。
でもそういう愛の言葉は、子供の頃に一度だけ会ったことがあるとか、命を救われたとか、恋に落ちる物語を持つ者に対して言われるものだ。
「初めまして。突然で申し訳ないんだけど、結婚を前提に結婚しよう」
ひどく愛しいものに捧ぐ声色をもって放たれた言葉。
決して初対面の相手に使う声ではないと思う。
それにちょっと、いやだいぶ発言がおかしい。
フェリシアは頬を染めて恥ずかしがることはなく。
ただ、困惑が勝った。
***
ことの始まりは、今日の昼、美しい魔法士が訪れたことにある。
「フェリシアお嬢様、お客様がおいでです」
「あら、どなた? 予定はなかったと思うのだけれど……」
フェリシアに声をかけてきたのは専属侍女のノエル。
彼女は扉の前で困惑を全面に出しながら後ろをちらちらと気にしている。
「お、そっち? そっちにフェリシアがいるの?」
「ですから! 応接室でお待ちくださいと!」
ノエルの視線の先からは楽しそうな女の声と、止めようと必死になっている別の侍女の声。
「あれがお客様?」
「……その通りでございます」
ちょっと疲れたような瞳でノエルは肯定を返す。
だがフェリシアとしては興味をそそられる。
貴族の家に訪ねてくる客にこんな騒がしい人はそういない。なかなか面白いことが起きるのではないだろうか。
少し期待しながら騒ぎ立てる女の姿を見ようと、フェリシアはノエルの後ろを覗き込む。
「あ! 君でしょ! 会いたかったよー!」
女が手を振ると、フェリシアがいる部屋の扉前に立っていたノエルが目に見えぬ力によって横へとずらされた。
魔法だろうか。魔力は感じたが、術式はまったく読み取れなかった。
目を丸くして驚いていると、女はなんの遠慮もなく部屋へ入ってきて、フェリシアの手を取る。
「ふわふわの金髪に、澄んだ湖みたいな青の目! うんうん、報告通りだね!」
「あ、あの。あなたは一体——」
「さあ行こう! 本人確認は取れた! 間違いは——」
「間違いしかありませんのでさっさとお退きくださいませ」
女の凄まじい勢いに押されていると、いつの間にか戻ってきていたノエルが力ずくで女をフェリシアから引き剥がす。
女はされるがままで抵抗はしないが、しきりに文句を言っている。
「ちょっとー。これ感動の再会なんだけど?」
「あなたのような方は知りません。追い返しますよ」
「それは困るなあ」
けらけらと笑っている女は別の侍女と護衛のもとに預けられた。
「申し訳ございませんでした、お嬢様」
「私は大丈夫よ。それよりノエル、あなた魔法を使われていたでしょう?」
「問題はございません。腹が立つだけです」
ノエルは完璧な笑みで答えた。これは相当に怒っている。
面白いかもと思ったが、振り回される側としては面倒な客なのだろう。
「あの方はどなた?」
「王太子殿下付きの宮廷魔法士エレノア様だと聞いております。お嬢様に会わせろと押し掛けてきました」
「……まったく状況が分からないわね」
「はい。まったく」
フェリシアは先ほどのエレノアという魔法士のことを思い返す。
艶のある銀髪に、紅い瞳。作られたように整った顔立ちに、人々の理想を詰め込んだかのような妖艶な体つき。
再会、と言っていたがフェリシアに心当たりはない。エレノアほどの美しい人ならば、忘れるはずがないのだ。
やはり、俄然興味が湧いてきた。
「ノエル。エレノア様は今応接室にいらっしゃるのかしら」
「ええ。しかるべき場所に連行されていなければ」
「とりあえず、お話してみようと思うのだけれど」
ノエルは困ったように眉根を寄せる。
「危険ではないでしょうか」
「宮廷魔法士の方なら、少なくとも危害を与えてくるとはないはずよ。話を聞くだけ聞いてみましょう」
「……承知いたしました」
フェリシアは立ち上がると、渋々といった様子で頷いたノエルとともに応接室へと向かう。
応接室へと近づいてくると、中からエレノアの楽しげな声と疲れきった侍女の声が聞こえてきた。
「だーかーらー。セオドアがフェリシアのこと呼んでるの!」
「その理由を聞いているんです」
「フェリシアだから」
「理由になっておりません」
セオドア殿下がフェリシアのことを呼んでいる。そのためにエレノアが来た。まったくもって意味が分からない。
フェリシアは扉の前で一度立ち止まって首を傾げた。
殿下と直接会話したことなどない。同い年らしいが、王家主催のパーティーに招待されたとき、遠目から姿を見たことがあるだけだ。
「ノエル。私、殿下に対して何か失礼があったかしら」
「話したこともないのにどうやって無礼を?」
「……できるはずもないわね」
静かに思考を巡らせていると、音を立てて目の前の扉が開かれた。
フェリシアが驚きに目を丸めていると、エレノアがまたにこにこと手を取ってくる。
「そんなところで立ち止まってないで、城で話そうよ!」
「少し落ち着いてくださ——」
「じゃ、そういうわけだから! 今日中には戻ってくるねー!」
「え」
エレノアが言うが否や空間が歪む。
ノエルたちの叫ぶ声を最後に、フェリシアは見知らぬ部屋に立っていた。
「あの、エレノア様! ここは一体……」
「城。セオドアが用意した部屋だよ。じゃ、あとはお若い二人でごゆっくり~」
隣に立っていたエレノアはいつの間にか手を振って部屋の外に出て行ってしまっている。
フェリシアは困惑のまま立ち尽くすしかない。
そして目の前には美しい黒髪の王子様が背を向けて立っていた。
王家主催のパーティーで一度だけ遠目に見たことがある、この国の王太子セオドアだった。
「君がフェリシア嬢だね?」
セオドアがゆっくりとフェリシアの方へ振り返る。その顔には完璧な王子様、という言葉では説明できないほどの柔らかな笑みが浮かんでいた。
だがフェリシアにそんなことを気にする余裕などない。経緯がどんなであれ目の前にいるのは王太子殿下。無礼がないよう、フェリシアは緊張に体を固くしながらもドレスの裾をもってカーテシーを行う。
「は、はい。フェリシア・イグレシアスと申します。本日はお会いできて——」
「ああ、そんなに緊張しないで。もっと気楽にしていいよ」
セオドアは小さく笑うとフェリシアに向かって手を伸ばした。
困惑に完全に停止してしまったフェリシアのことは気にせず、頬へと手を伸ばして優しくなでる。
そして柔らかく甘さを含んだ声で、予想の斜め上どころか真上を行く発言をしてきた。
「初めまして。突然で申し訳ないんだけど、結婚を前提に結婚しよう」
この人は、頭がおかしいんじゃないだろうか。




